小野篁は、昼は朝廷の役人を勤め、夜になると井戸を通って冥界に行き、閻魔大王の下で冥官として仕えていた。篁は紫式部の苦しみを閻魔大王にとりなして救ったと伝わる。篁は、現世と冥界の調停役だったのである。
そのため、紫式部の墓は篁の墓と隣り合って作られた。
口伝とはいえ面白いものである。

 

⑥櫟谷七野神社(賀茂斎院跡)

石垣に囲まれた櫟谷七野神社

石垣に囲まれた櫟谷七野神社

賀茂斎院は、賀茂神社に奉仕する斎王の常の御所であり、約150m四方の地を占めていた。
斎院は、内院と外院とで構成され、毎年催される賀茂神社の祭(葵祭)には、斎王は、ここで清浄な生活を営み、賀茂神社に奉仕した。現在では市民から斎王代が選ばれ、直接賀茂神社に奉仕している。

斎王代

斎王代

「下鴨神社 糺の森」より

昔の斎院は内院と外院とに構成され約150m四方の地を占めていた

昔の斎院は内院と外院とに構成され約150m四方の地を占めていた

当神社パンフレットより転写

歴代の斎王には才媛がなり、歌壇としても知られ、斎院でしばしば歌合せが催された。また斎院にはほぼ500人の官人や女官が仕えており、女官には秀れた歌人が少なくなかった。
現在でも、葵祭にはヒロインが重さ15㎏にもなる十二単をつけ、身を清める斎王代禊(みそぎ)の儀が賀茂神社の川で行われている。
神社の周辺に築かれた石垣には秀吉の命で寄進した大名の刻印が今でも残る。

石垣に刻まれた刻印

石垣に刻まれた刻印

⑦水火天満宮

堀川通りに面した水火天満宮

堀川通りに面した水火天満宮

水難火難を鎮めるために、後醍醐天皇の勅願により、菅原道真の神霊を勘請して建立された。
境内には「菅公登天石(かんこうとうてんせき)の他、「出世石」などがある。

 

4.紫野と紫式部の関係

平安中期の女流作家・歌人として知られる紫式部は、物語文化の最高峰とされる『源氏物語』を執筆したことでもその名を歴史に刻んでいる。
堀川北大路下る西側の工場の壁に囲まれ『紫式部墓所』と刻まれた茶色の石碑が建っている。毎年秋になると『ムラサキシキブ』の濃紫色の実が彩りを添えて、かっての美しき女性・紫式部を偲んでいる。
一説には紫式部はこの地で余生を過ごしたことから紫野に墓がつくられ、紫式部の「紫」は紫野に由来していると伝えられている。千年の歴史を超えて読み継がれている『源氏物語』の筆者として愛され続ける紫式部の墓には、地元の人やファンによって整備され、美しい花が供えられている。

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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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