征夷戦争のさなか、桓武帝のいわば「軍縮」政策も行われています。
強制的に集められた農民兵の負担が余りに大きすぎ、士気が上がらず、練度が低かったなどの理由から、徴兵制を改め、志願兵中心の制度に切り替えています。
健児(こんでい)の制といいます。

これによって東北と九州を除き、朝廷主導の「軍団」は解体され、地方の有力者の子弟を中心とした新しい軍事体制に切り替わり、武士の時代の下地となるのですが…それは、まだ先の話です。
今回は、桓武帝が、民生も見ていたと指摘するにとどめます。

桓武帝の夫人藤原旅子、母親の高野新笠、皇后の乙牟漏が立て続けに亡くなり、皇太子の安殿親王が病に臥せった時、占いをし、早良親王の祟りであるという宣託が出ていましたので、遷都するに当たり、「祟りによって皇室に不幸が続いたので遷都する」と宣言しようと思えば、出来たかもしれません。

桓武帝が、内心、どのくらい祟りを恐れていたのかはわかりません。実は、夜も眠れないほど恐れおののいていたかもしれません。
彼は、死の直前にも遺言として早良親王の供養を命じています。深く意識していたことは確かです。

しかし、実際に公的に宣伝に使われたのは東北遠征軍の勝利でした。
桓武帝と近臣が、戦勝をテコにしたほうが、より、世間を納得させられると判断したからでしょうし、実際に東北遠征に政策的比重がかかっていたことは、先に説明したとおりです。

「平安京」の名付けに当たって、東北の戦いを終わらせて国境を安泰にすること、といった現実的課題を失念したとは思えない、というのが、いまの私の意見です。

即位したときには不安定な立場であった桓武天皇ですが、造都と征夷、ふたつの難事業をある程度成し遂げ、自らの権威と皇統を安泰とするが出来ました。
その意味において、「平安」のひとつは達成できたと言えるでしょうか。

平安京大極殿跡 京都市上京区 内野児童公園

平安京大極殿跡 京都市上京区 内野児童公園

しかし、東北地方の戦争はまだ終わりません。
坂上田村麻呂 率いる第三次遠征は延暦20(801)年、平安遷都の7年後でした。
この後、国内の疲弊を理由として、都の造営と外的遠征の中止が宣言されますが、実際に東北遠征が終わるのは嵯峨天皇の時代、弘仁2(811)年のことです。

関東地方は、38年の対東北戦争のあいだ、遠征の負担を強いられますが、それゆえに尚武の気風がのこり、各地の領主が営む私兵団、つまり武士団が勃興する下地の一つとなります。
武士団を抑制するべき国の中央軍は、桓武帝により解体されてすでになく、平将門が反乱を起こした時、それを鎮圧したのも、また別の武士団でした。

平将門 

平将門 

Wikipedia より

将門は桓武平氏の出身…桓武天皇を祖とする一族が、皇籍を離れて平(たひら)という姓を名乗り、一般人となったものです。なお、平氏の名前の起源には諸説ありますが、平安京の「平」ではないかという説もあります。
平安時代後期が武士の時代となっていく伏線は、桓武帝本人によって引かれたものと言えるかもしれません。

参考文献
京都を学ぶ(洛西編) 京都学研究会編 ナカニシヤ出版
古代の都 なぜ都は動いたのか 吉村武彦、吉川真司、川尻秋生 岩波書店
恒久の都 平安京 西山良平 鈴木久男 吉川弘文館
蝦夷と東北戦争(戦争の日本史3) 鈴木拓哉 吉川弘文館
桓武天皇 造都と征夷を宿命付けられた帝王 西本昌弘 山川出版社
Twitter Facebook

この記事を書いたKLKライター

写真家
三宅 徹

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

記事一覧
  

関連するキーワード

三宅 徹

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

|写真家|祇園祭/桜/能/光秀/信長/歴史

アクセスランキング

人気のある記事ランキング