庭園奥の龍吟亭は谷にせり出しているいわゆる「懸造」で、

谷にかかる楓樹を切り取って眺めることができます。

そこここに季節の草花があしらわれているのも、可愛らしいです。

一段上にある福寿亭

ここからは、谷の向かい側まで、眺めることができます。

このように、あずまやひとつずつに腰掛け、石碑や案内板、灯籠などを見て回るだけで、30分や1時間は、あっという間に過ぎていくでしょう。

あまりに沢山の見どころがあるので、ひとつだけご紹介。
白龍園の入り口を入って、すぐのところで出迎えてくれる、大きな石灯籠です。

これは、元から京都にあったものではありません。
江戸時代に、東北 津軽地方(現在の青森県西部)を治めていた弘前藩が、徳川将軍の霊廟に奉納したものだとか。
縁あって白龍園に移されたのだと教えていただきました。

せっかくですので、銘文を確認してみましょうか。

写真から読み取るのは大変むつかしいので、以下に書きます。

献灯石灯籠 西基
東叡山
大猷院殿尊前

慶安四年 十二月二十(日?)
津軽土佐守 藤原信義(「長」にも見えますが、「義」だと考えます。後ほど説明します)

徳川第三代将軍 家光は慶安四(西暦1651)年の四月二十日に亡くなります。
したがって、この灯籠はその死後に納められたものです。
「西基」とあるので、この灯籠が二基で一対になっていて、東基も存在していたとわかります。

東叡山とは、現東京都台東区 上野にある寛永寺のこと。
家光の亡骸は、一時的に上野の寛永寺に葬られ、のちに栃木県日光にある輪王寺大猷院(だいゆういん)に改葬されました。
大猷院とは、家光の法名、亡くなってからつけられる名前です。
この灯籠は、将軍逝去後まもなく、二基揃って上野の寛永寺に置かれたのでしょう。

このとき、日本各地の大名が同じように灯籠を奉納しています。ですので、上野や日光には「大猷院殿尊前」と刻まれた灯籠が何百とあったことでしょう。
これは、そのひとつです。

家光が世を去ったとき、弘前藩主は、第三代藩主の津軽土佐守信義(のぶよし)でした。
そこで、先程、この漢字が「義」だと推測したわけです。

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この記事を書いたKLKライター

写真家
三宅 徹

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

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最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
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しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
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