今年(2021年)の秋は、冷え込み始めるのが早いように思います。
この時期、「ことし、紅葉の具合がどうか」気になるところだと思います。

私が好きな紅葉名所の中から、一箇所、ご紹介します。

京都市左京区 二ノ瀬。
叡山電鉄 貴船口駅の一駅南。
二ノ瀬駅から歩いて7~8分のところにある、白龍園です。

市内でも北の方に位置するため、紅葉の見頃は早め、例年通りであれば、11月中旬です。

東西を山に挟まれ、高低差のある地形に広がる、美しい庭園。

こちらを管理しているのは、京都市にある、青野株式会社というアパレル業を営む会社です。
つまり、プライベートなお庭。

しかし、個人の庭園でありつつ、神様の坐す聖域でもあるのです。

白龍園は、初代社長である故 青野正一氏が、縁あって一九六二年(昭和三十七)、安養寺山と呼ばれる、この地を手に入れたことに始まります。
熊笹と竹藪に覆われ、荒れていた安養寺山ですが、かつては不老長寿の白髪白髭の翁と、白蛇を御祭神として祀る霊域でした。

そのことを知った正一氏が、公式ホームページの言葉を借りれば、「けっして誉や利益のためではなく」、聖地としての姿を取り戻せるように、祭壇を復元し、一体を整備開発することにしたのです。

社長である正一氏自ら、率先して作業されたそうです。
家族・社員の人たちとともに、道を作り、石を運び、橋をかけ、樹木を植え、あずまやを立て、外部の専門家の力を一切借りずに、ふたつの祠と、鳥居、そして周囲の庭園を作り上げました。

庭園は、山の御祭神「白髭大神(不老長寿)」と「八大龍王(商売繁盛)」から一文字ずつとって「白龍園」と名付けられました。

ここが、その祠のある空間、神域です。

祠は撮影できないことになっていますので、構図に入らないようにしてあります。
上の写真の右側に、見切れていますが、白髭大神と八大龍王が鎮座しています。

観覧の折りには、ぜひ、この二柱の神様にお参りください。

白龍園でぜひ見てほしいもののひとつが、この苔。

山沿いにある場所柄、もとから苔の生育には適しているのですが、さらにお庭に立ち入る人数を管理することで、踏まれ、荒れないようにしています。その賜物です。

歩くときは、苔を踏まないように、しっかり足を石の上に乗せていきましょう。

園内には、それぞれ風趣を凝らした五つのあずまやがあります。
幾つかご紹介しましょう。
これは、園内の中心にある、鶯亭。

鶯亭のそばに、寄り添うように園内でも特に立派な大楓の木があります。

これを、下から見上げたり、鶯亭のなかから額縁風に覗いたりするだけで、何種類もの眺めを楽しむことができます。

庭園奥の龍吟亭は谷にせり出しているいわゆる「懸造」で、

谷にかかる楓樹を切り取って眺めることができます。

そこここに季節の草花があしらわれているのも、可愛らしいです。

一段上にある福寿亭

ここからは、谷の向かい側まで、眺めることができます。

このように、あずまやひとつずつに腰掛け、石碑や案内板、灯籠などを見て回るだけで、30分や1時間は、あっという間に過ぎていくでしょう。

あまりに沢山の見どころがあるので、ひとつだけご紹介。
白龍園の入り口を入って、すぐのところで出迎えてくれる、大きな石灯籠です。

これは、元から京都にあったものではありません。
江戸時代に、東北 津軽地方(現在の青森県西部)を治めていた弘前藩が、徳川将軍の霊廟に奉納したものだとか。
縁あって白龍園に移されたのだと教えていただきました。

せっかくですので、銘文を確認してみましょうか。

写真から読み取るのは大変むつかしいので、以下に書きます。

献灯石灯籠 西基
東叡山
大猷院殿尊前

慶安四年 十二月二十(日?)
津軽土佐守 藤原信義(「長」にも見えますが、「義」だと考えます。後ほど説明します)

徳川第三代将軍 家光は慶安四(西暦1651)年の四月二十日に亡くなります。
したがって、この灯籠はその死後に納められたものです。
「西基」とあるので、この灯籠が二基で一対になっていて、東基も存在していたとわかります。

東叡山とは、現東京都台東区 上野にある寛永寺のこと。
家光の亡骸は、一時的に上野の寛永寺に葬られ、のちに栃木県日光にある輪王寺大猷院(だいゆういん)に改葬されました。
大猷院とは、家光の法名、亡くなってからつけられる名前です。
この灯籠は、将軍逝去後まもなく、二基揃って上野の寛永寺に置かれたのでしょう。

このとき、日本各地の大名が同じように灯籠を奉納しています。ですので、上野や日光には「大猷院殿尊前」と刻まれた灯籠が何百とあったことでしょう。
これは、そのひとつです。

家光が世を去ったとき、弘前藩主は、第三代藩主の津軽土佐守信義(のぶよし)でした。
そこで、先程、この漢字が「義」だと推測したわけです。

ちなみに津軽信義、一般に名前をご存じの方は少ないでしょうが、あの石田三成の孫にあたります。
三成の三女 辰姫は、関ヶ原合戦のあと、秀吉の妻だった、ねねの方(高台院)の養女として育てられ、津軽家に嫁ぎ、跡取りを産むという縁に恵まれました。
とはいえ、徳川家の女性が、あとから津軽家にやってきたために、辰姫は正室(第一夫人)の地位を奪われるなど、波乱の多い生涯だったようです。

三成の娘が、ねねさんに養育され、恐らくは京都の東山にも滞在し、大名の母になった。その息子の作らせた灯籠が、回り回って、いま京都にある。

とても、興味深く思ったので、ご紹介しました。
灯籠一つで、これだけ逸話があります。

もし、出来れば実際に訪問してご覧になってください。
白龍園は、紅葉ももちろんですが、春の桜やヤマツツジ、新緑なども見事。
他の季節も、おすすめします。

白龍園の入場方法は年によって変わります。
今年(2021年)は、往復はがきによる事前予約制。
詳しくは、公式ホームページからご確認ください。

<参考> 白龍園公式ホームページ 
「しかけに感動する京都名庭園」 誠文堂新光社 烏賀陽百合著
「津軽家歴代藩主」津軽観光協会ホームページ内
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この記事を書いたKLKライター

写真家
三宅 徹

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

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京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
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