次に2つ目のポイント、こちらは「お火焚きは新嘗祭とは別物」という見方です。ていうのも、不思議なことに新嘗祭とお火焚祭が両方とも行われている神社があるのです。それも結構たくさん。「え、ちょっと待って!するとこの2つは別のお祭なん?」て思いますよね。

例えば伏見のお稲荷さんでもまず8日にお火焚祭があり、宮中と同じ23日に新嘗祭が行われます。新嘗祭をする神社はどこも23日に行われるので、宮中と合わせているということは間違いないでしょう。この2つのお祭、新嘗祭と火焚祭ではともにお稲荷さんの神さんに五穀豊穣を感謝するのですが、火焚き串を積み上げて焚き上げるのはお火焚祭だけです。日も違いますし、新嘗祭を火焚祭とは別のお祭として「伏見稲荷大社」と「各神社・寺院」に入れてみましょう。ややこしくなってきましたね(汗)

この2点をまとめると

1つ目 お火焚祭は新嘗祭とおなじ「五穀豊穣」を感謝するお祭。
     つまり お火焚祭=新嘗祭 かもしれない。
2つ目 お火焚祭と新嘗祭の2つのお祭を行っている神社が多い。
     つまり お火焚祭≠新嘗祭 かもしれない。

ところがここでもう1つの事実が出てきました。それは
「朝廷が出す官符(公文書)のある神社で行うと新嘗祭・官符のない神社で行うとお火焚祭」という時代があったというのです(注2)

ということは、現代的な解釈をして
「新嘗祭というのは公的な(宮中の)お祭、お火焚祭というのは民間のお祭」
という意味合いで2つのお祭を行っているのかもしれません。「かもしれない」というすべて私の推測なのですが、そうなると1つ目も2つ目も成り立つのではないかと「推測」しています。


2.「天皇さんの私的な神事に影響されている」説

さてこちらはお火焚きが天皇さんの「私的な神事」からきているという説です。しかもこれが2つもある。せっかくスッキリしたのに読まへんかったら良かったなという思いが頭をかすめましたが、案の定分かりづらい…そやけどとっても面白いんですよ。

1つ目はお火焚きが「宮廷の産土神である御霊神社の神へ捧げる奥向きの行事」やということ(注3)。大正時代まで天皇さんの産土神(生まれた土地の守護神)である御霊神社の神さんをお祀りする神事があったそうです。それはやはり「お火焚き」と呼ばれ先祖神にお供えを捧げ火を焚き、そのおさがりをいただく行事でした。

この行事も宮中で行われていたのですが、新嘗祭ではなく、「奥向き=私的な」神事でした。また、私的な神事なのでほんまやったら一般には伝わらへんはずですが、京都は昔天皇さんもいやはりましたしお公家さんもたくさんおいでになったので、自然と口伝えで知られるようになったのかもしれませんね。これも図に入れてみましょう。

そして2つ目は宮中で12月に行われている「賢所御神楽之儀(かしこどころみかぐらのぎ)」という行事で舞われている「御神楽」影響説です。

宮中で行われる御神楽は天皇さんの私的行事なので公開はしたはりませんが、私らは伏見のお稲荷さんで行われるお火焚祭の「人長の舞」でその一部を見せていただくことができます(注4)。そして、この御神楽が宮中で行われるときもやっぱり庭火を焚きながら舞わはるそうですよ。先祖の神様に捧げるもので目的は違いますが、形はまさにお火焚きですね!

この行事は、旧暦11月の冬至には「太陽の光が力を弱くするとともに」「天皇の魂(生命力)が衰える」(注5)と考えて行われたということで、それでお火焚きと関係のあるのやないかなと考える説があるわけです。

とりあえずは2.の説をまとめると

1つ目 御霊神社の奥向きの神事は火を焚いて先祖神に捧げる神事 おさがりをもらう。
2つ目 御神楽は私的な神事。舞う時は火を焚く。太陽が弱くなって生命が弱るのを補う。

感謝や祈願の対象は五穀豊穣ではありませんが、火を焚いて神様に願うために行うというところは同じようですね。

この2つの神事は共通点がある上にさらに関連深い事実があります。実は御霊神社さんによる火焚祭の案内には「その(火焚祭の)起こりは宮中で十二月中旬に行われる御神楽をならったものと言われます。」との説明がされているのです。そのとおりやとすると、御霊さんの神様に捧げた神事も御神楽と何らかの関わりがあるのでは、と思えませんか?

また、この1つ目の神事は次回のお話にも大きく関わってくるのでしっかりと覚えておいていただきたいです。


 

お火焚き起源のまとめ

さて「お火焚き・新嘗祭の起源」と「宮中・お稲荷さん・各神社・寺社や民間」との関係についてまとめておきましょう。

まず先ほどの起源の説のもとになった4つを並べた表を示します。

わかったこととしては以下の3点にまとめられます。
1.お火焚きは宮中から伝わってきたものらしい。
2.しかも宮中の公的・私的神事両方が影響している。
3.しかし火焚祭と全く同じものはない。

長いこと京都にいやはった天皇さんのいろんな行事が御所の外へじわじわと漏れてくるあいだに混ざりあって、今みたいな形になったのかもしれんなぁというのが私の結論です。ひょっとしたらみなさんはまた別のご意見をお持ちになるかもしれませんが、複雑な経緯を持っている行事だけに私はどれも正解を含んでるのやと思います。

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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
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