【第五回】足利八代将軍義政が生けた、抛入れ花
その花伝書は今も園家に大事に伝えられていて、同書には、
当家、挿花の字、挿の字を認べじ。生花、蘇花杯は、〝なま〟とよみて活様のこと。
蘇は、よみがえる、という字にて、接木、さしきなどの意なり。
手折た枝にもせよ、梢にもせよ、花瓶にさしはさみ置の義にて、挿の字書く申しべし。
(。、筆者挿入)
と記されていました。そこに記されていた文章を現代語に訳し、箇条書きにすると、
①「挿花」の「挿」の文字は、臿(うすづく・さす)に手を加えて、「さす」の意に用いる。
「うすづく」は、夕日が西の山に入ろうとする、意。
②「生花」「蘇花」の文字は〝なま〟と読み、花を生けることを「挿花」の文字で表し、いけばなを活ける仕草のこと。
③「蘇」の文字には、〝よみがえる〟という意味が含まれている。故に「蘇花」には〝なま〟の「ルビ」を振り、生きのいい花があるとの意がこめられている。
④「よみがえる」には、「いったん死んだかと思われるものが生きをふき返すこと」だと、辞書は記している。その考えにしたがえば、花の道に謂う「いけばな」とは、生きている草木を切り取ることで死んでしまったかに見えるものを、接木や挿し木をしたかのように、再び命を生き返らせるとの意味がこめられている。
⑤(鋏で切った)木の枝であっても、手折った草花の茎であったとしても、花瓶に「はな」を生ける(さしはさむ)ときは、人の当然なすべき正しい道との意にて、【挿】の文字を書く。ただ美しい花を観賞するために花瓶に入れるのではなく、花の道が語り伝えてきた道理に従い生けることが大切だ。
と読み取ることが出来ます。たとえば、相生神社の「相生の松」が、今日まで、どのようにして受け継がれてきたか、その経緯を知ることによって「よみがえる」が含みもつ意味を知ることができます。
相生の松は、江戸時代初期に、枯れて死んでしまったのです。そのことを惜しんだ本田忠政は、寛永二年に三代目の相生の松を継植しました。この松は立派に育ち、江戸時代末には、その雄姿を墨摺りし、護符として配布されたのです。しかしながら、その相生の松も、寄る年には勝てなかったようで、昭和十二年に枯れ死してしまいました。現在、境内に植えられている松は、秩父宮妃がお手植えになられた四代目の相生の松で、いよいよ濃く、伝統のみどりに栄えています。その姿は、今でも「末永く夫婦の連れ合いの道を護らん」との意味のもと崇められています。また、四季を通じて翠色を変えることの無い松の永遠性は、不老長寿の思想に結びつき、松を主材として生けられた生け花は「結婚式に最も適した生け花である」として、語り継がれていることは、すでに話しました。
『三日月之巻』は、「蘇花」の文字を〝なま〟と読ませていました。そのことは「七夕」と書いて〝たなばた〟と読ませてきたのと同じことです。つまり「御家元古流」が伝えてきた『花伝書』には、我が国の先人たちが語り継いできた「やまとことば」で、多くの事柄が記されていたと思われます。そのように考究したとき、義政作と伝えられてきた『両瓶簀』の抛入れ花は、我が国の遠い先祖とされている縄文人や弥生人たちが語り継いできた物語をもとに、生け表されていたといってよいでしょう。ひいては、比翼の鳥が含み持つ意味をもって、「共棲」の言葉が含みもつ意味のすばらしさを理解して欲しいとの願いのもとに生けられていたのです。ですから『両瓶簀』と呼ばれ伝えられてきた抛入れ花は、結婚式が執り行われる床の間に生ける生け花として、最適な抛入れ花だとされてきた理由がそこにあるのです。詰まるところ、我が国の遠い先祖である縄文人たちが語り伝えてきた教えが、長いながい年月をかけ、その教えが正しいか否かを確かめられ、正しいと認められた結果をもとに生け表わされてきた姿が、今に伝えられていると云ってよいでしょう。
そこで、この抛入れ花が発する声に耳を傾けると、
「自然を手本として生きることが一番ですよ」
との言葉を聴くことができるかと思います。その言葉は、まさに「御家元古流」の底に流れていた「秘密」の言葉であり、遠い昔から、「以心伝心」「教外別伝」などの言葉をもって語り継がれてきた言葉でもあったように思います。そこに花の道の奥義を窮めることの難しさが潜んでいると云えます。
『君台観左右帖記』 文明八年 能阿彌著 写
『立花圖巻』 天文二三年 中尾徳印入道著 写
『東山・瓶花座礼史』 明和二年 千葉一流 写
『遠州流・切紙口伝書』 文政九年 貞松斎米一馬著 写
『立花訓蒙図彙』 元禄九年 萬屋彦太郎 刊
『翫貨名物記』 万治三年 相阿彌著 刊
『抛入花之園』 明和三年 禿箒子著 刊
『雲上示正鑑』 明治元年 圓融王府貫錬学館 刊
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出身地
熊本県 熊本市
生年月日
昭和22年生
職業
自営業 いけはな研究家 花道・洗心流教授
テーマ
はなの道は、何時興ったのか。また、一輪の花に、どのような意味が込められていたのか?
過去の出筆
『はなをいる 花に聴く』 マインド社刊 2018年
『石州流生花三百ケ條』監修・解説 マインド社刊 2021年
『いなほのしづく』(A3用紙に約三千字の文章、関連した絵図) 月一回発行。令和三年六月で三六三号 県立図書館等にて公開。
|いけはな研究家 花道・洗心流教授|花道/生け花
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