御祭神は菊理比売(くくりひめ)で、「くくる」が「結び」につながることから「縁結び」のご利益があります。また、江戸時代中期、「後桜町天皇」が歯痛で悩んでいて、女官が「白山神社」から持ち帰った「神箸(しんばし)」と「神塩」をつけたところ、たちまち歯痛は治ってしまったそうです。そこから、「白山神社」には「歯痛平癒」のご利益があるともされています。


 

青蓮山 明王院 不動寺(方除)

こちらは街中の松原通と麩屋町通の角にひっそりと佇む、超パワースポットです。

平安京造営の時に、桓武天皇が平安京の東西南北に王城鎮護のため四つの磐座に経巻物を収めたとされる内の一つで「南岩倉」と伝わり、弘法大師自作の「石仏不動明王」を安置されていることから「松原不動」とも呼ばれています。

平安京は「四神相応」「不動尊」「大将軍」など風水によって都を守るいろんな工夫が凝らされていますね。よほど祟りを恐れたんでしょうね。

また豊臣秀吉は聚楽第の造営の時、ここの不動明王を持ち帰ったところ、夜な夜な不思議な光を放ったので霊験を感じ元の場所に戻したとも言われています。秀吉公はいろんなところで同じような伝説を持っているのも面白いですね。北白川のお地蔵様や小豆島の蘇鉄も夜な夜な「帰りた〜い、帰りた〜い」って泣いたそうですよ(笑)

 

泥足(どろあし)地蔵/善想寺(心願成就・安産)

こちらも、延暦寺の開祖、伝教大師最澄ゆかりの手彫りのお地蔵さんです。

元々滋賀県の坂本にお祀りされていた時に、日照りが続き百姓の作兵衛さんが三昼夜お祈りしたところ、雨が降り周りのお百姓さんは田植えができました。そこで翌朝作兵衛さんの家に様子を伺いに行ったんです。作兵衛さんは疲れ果てて倒れていたにも関わらず、見事に田植えが終わっていたので、不思議に思いながらもお地蔵さんにお礼参りに行くと、腰から足にかけて泥塗れになっておられました。お地蔵さんが代わりに田植えをされたのだろうということから、「泥足地蔵」と呼ばれています。

また妻の難産に際し、一昼夜お祈りしたところ安産の知らせがあって、お顔を見たら一面汗だらけだったというお話もあり、「汗かき地蔵」や「身代わり地蔵」とも呼ばれ、心願成就や安産のご利益があります。門前にあって、通りすがりの方もお参りできるのも嬉しいですね。

写真:H Pより

それから、善想寺のある場所は「四条後院跡」と言いまして、天皇が譲位後に居を構えた場所で、あの斜めの「後院通り」の名前の由来になったとも言われています。


 

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この記事を書いたKLKライター

タクシードライバー
井上 廣則


昭和37年 京都市生れ
タクシードライバー
京都検定2級
京都市より「京都観光おもてなしコンシェルジュ」を認定。

京都センチュリーホテルで18年勤務。
居酒屋・ラーメン店経営などを約20年。
酒米から育ててお酒を楽しむ会に参加し、唎酒師の資格も持っている。
近年では、自身が大病を患った経験から「食と健康」を一人でも多くの方々に広めようと様々な活動を行っている。

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