戦国武将と大徳寺
8.黄梅院
織田信長が父・信秀の追善菩提のため、建立した小庵に始まる。
秀吉により唐門が、毛利元就の子・小早川隆景により庫裡・表門が改築された。
墓所には織田信秀、毛利元就夫妻、元就の息子三兄弟、信長の次女とその夫・蒲生氏郷、毛利一族などが祀られている。
9.孤蓬庵
大徳寺境域の西橋に位置し、他の塔頭群とは離れている。しかし、昔は本山との間に大光院、金龍院と瑞源院との3塔頭があったが、紫野高等学校敷地確保のために、本山側に移築された。今では跡地に石碑が佇む。
作庭家、建築家、茶人として後世に大きな影響を与えた小堀遠州が建立した名刹である。
10.興臨院
能登の戦国大名・畠山義総が建立し、自らの法名を寺号とした。
畠山氏が衰退した後も、前田利家によって修復が行われた。墓地には畠山家歴代の墓のほか、久我大納言夫妻など、当院ゆかりの人々の墓がある。
11.瑞峯院
九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟公が、菩提寺として創建した。境内には大友宗麟夫妻の墓がある。7つの石が十字架をかたどるように配置され「十字架の庭」とも呼ばれる「閑眠庭」がある。重森三玲が作庭した昭和の名庭である。
12.大慈院
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橋本 楯夫
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。
|自称まちの歴史愛好家|北野天満宮/今宮神社/千本通/明智光秀/怖い話
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