立花宗茂は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
大友氏の一族で、重臣。築後柳川初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した。旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。

13.龍源院

能登(石川県)の領主・畠山義元が豊後(大分県)の大友義長らとともに創建した。庫裡の南には聚楽第の礎石を配した阿吽の石庭がある。寺宝として、豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝えられる四方蒔絵の碁盤、天正十一年の銘がある種子島銃を蔵している。

14.高桐院

江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(三斎)が建立した細川家の菩提寺である。
境内には三斎と夫人ガラシャのほか、歌舞伎の創始者とされる出雲阿国の墓がある。

出雲阿国の銅像

出雲阿国の銅像

(四条大橋東詰)

15.玉林院

戦国の高名な医学者である曲直瀬道三を供養するために建立された。
道三は、京都で施療院を開いて多くの病人を救済し、人々の尊敬を集めた医者であった。
墓地には、曲直瀬道三、山中鹿之介、片桐且元の墓がある。

 

16.龍光院

龍光院とは、かの戦国武将の黒田官兵衛の法名で、息子の黒田長政が父のために建立した。墓地には黒田官兵衛と黒田長政親子のお墓と御廟がある。

 

17.大光院

豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺。茶室「蒲庵」は、黒田如水(官兵衛)好みで、如水の子・黒田長政と加藤清正、福島正則の三武将がそれぞれ一つずつ石を露地に寄進し「三石の席」とも称された。

大光院の土塀

大光院の土塀

瓦の一部が埋め込んである。

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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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