私は5年前から京都、賀茂川のほとりの工房で蛤の貝殻を取り扱っています。蛤の貝殻を貝合わせ制作用に洗浄加工し、ご注文があれば画家である夫が貝合わせや貝覆いを制作をします。貝合わせに描く絵は源氏絵が知られていますが、私どもでは源氏絵の貝合わせをお創りしていません。私と夫が創る貝合わせは日本の歳時記や伝統文化を題材にしており、それらは私たちが京都で暮らす中で着想を得たものです。私たちは京都を離れず、また何故か離れようとしても離れられません。そんな私と夫の京都での暮らしを貝合わせとともにご紹介してゆきます。

月次絵

月次絵

さて、私の実家は呉服を生業にしていました。父の実家は祇園祭の山鉾町にあり、私はその家で6歳まで育ちました。家の周りは同じような職種の人々ばかりで、下駄で自転車に乗るおじさんや反物がぎっしりと入った段ボールの箱をゆうゆうと運ぶ若い人、仕立て上がった着物が入っている横に長い箱を腰と脇にはさんで小走りに店に入って行く人などが行き交い、幼い私は大人のすることを飽きずにずっと見ている子供でした。賑やかなことや華やかなものが好きで着物はなるべく賑やかな柄を好んで眺めていました。家にはおもちゃらしいおもちゃも絵本も子供好きするお菓子もありませんでしたが祖母や曾祖母の妹、店で働く人達に見守られ、大人たちが働いているすぐそばで着物の匂いをたっぷりと嗅いで過ごしました。

茅の輪貝合わせ

茅の輪貝合わせ

6月の梅雨の頃の思い出といえば傘を忘れた日の帰り道。昔は駅から家までずっと町家が続いており、傘が無くても軒先をつたって、通りを越える時は小走りに走って、またどなたかの家の軒先で雨宿りをしながら家まで辿り着いたものです。雨足があまりにも強く、向こう側の軒先まで走るのを躊躇していると格子越しにその家の中の人が「傘もってへんのかぁ」と声をかけてくれます。「傘をかしたげよか、もっていき」と言ってくださるおばちゃんがいてはって、でもそういう傘を借りて帰ると家の人は良い顔をしません。京都では他人さんに迷惑をかけないということが美徳ですから、そういうとき安易に借りると「なんで借りたん」と言われます。子供心に「あんまり、人にかりひんほうがええんやな」と覚えました。

大人ばかりに囲まれて育ちましたが幼い時は特に祖母の言うことやすることが手本で、祖母の話し方、正座になる時の座り方、立ち上がる時の手の置き方、着物を着ている時に襟が詰まって来たら胸元をぐっとおさえて襟を抜くやり方、そうする時に胸元からあがる匂い、どんなことも、やらはることの全部が好ましくて覚えようとしました。

京都の大人の人は梅雨の時期になるとカーペットは片付けてどうしても網代のものにかえたい。これはどうしてもそうしたいのです。子供の足に網代は固いので、正座をしているとすぐに足の甲が痛くなりますから6月に敷物が網代にかわると「ずっとカーペットでええのにな」と思いますが一日二日で慣れてしまいます。私の足には小学校に上がる前にはもう、しっかりとした座りだこが出来ていました。

28歳で結婚をするまで実家に居た私は他府県の人の暮らしを全く知りませんでした。大阪生まれの夫との暮らしは何もかもが新鮮で夫のすること、話し方や食べるものの好み、物のとらえ方、なんでも真似ようとしてそれがまた面白いのでした。しかしそれが長く続くと次第に自分が自分でないような気がしてきます。“わかちがたく、はなれがたい京都”が私のなかにあるのに気づきました。6月になると掃除がしたい、部屋の模様替えをしたい、カーペットはどうしても絶対に片付けたいのです。京都では6月になると家のなかを掃除して夏のしつらえにする、今ではそれが京都人ならではのことであったと知っていますが、大人になるまで何が京都ならではで、何がそうでないのかの区別がつかず、他の地域で生まれ育った夫と暮らしてみて初めて自分が京都人やと気づきました。

「夏越の祓え」佐藤潤 画

「夏越の祓え」佐藤潤 画

結婚をして18年が経ち、今では夫も共に京都の暮らしを楽しんでいます。6月の京都の神社の茅の輪については夫の方が熱心に見て回っています。夏越しの祓は6月30日の行事ですが神社によって茅の輪の建て方や時期も違いますし、その年によって出来映えの善し悪しがあります。両脇の2本の竹の長さや葉の付き具合、茅の輪の太さやしなり具合、輪の大きさなど見比べると確かに面白いものです。天気も大切で晴れた日の少し風のある日に茅の輪にかけられた揺れる紙垂を見上げるのはとても良いものです。

夫はまず一度見て来てから「あそこの茅の輪は今日が一番良いから今から見に行こう」と誘ってくれます。私が「ええ茅の輪やなあ」というと嬉しそうです。良い茅の輪というのは建てたばかりで茅(ちがや)が青々としており、いかにも厄除になりそうなもののことです。

茅の輪は8の字に3度くぐります。唱え詞(となえことば)を心で思うのは呪術めいて気持ちが高まります。人間は心の生き物ですから、嫌なことや不平不満などが心に現れる時があり、穢れを祓うとはそういう気持ちを祓うことやと思います。おいしい水無月を食べて美味しくなかった水無月の話ももう一回して6月が終わってゆきます。

夏越の祓は宮中でも行なわれる神聖な神道の儀式ですが、現代の私たちの心にも良く効く厄払いの行事だと思います。今年も茅の輪をくぐりたい、季節の移り変わりを心と身体で感じることを私と夫は今日もまたやめられず、新しい季節はいつも待ち遠しく、京都にいるほうがやっぱり思いどおりに叶いやすいから離れられずに居ております。

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この記事を書いたKLKライター

とも藤 代表
佐藤 朋子

京都市中京区の呉服店の長女として生まれ、生粋の京都人である祖母や祖母の叔母の影響をうけながら育つ。通園していた保育園が浄土宗系のお寺であったことから幼少期に法然上人の生涯を絵本などで学び始め、平安時代後期の歴史、文化に強い関心を抱くようになる。その後、浄土宗系の女子中学高等学校へ進学。2003年に画家の佐藤潤と結婚。動植物の保護、日本文化の発信を共に行なってきた。和の伝統文化にも親しみ長唄の稽古を続けており、歌舞伎などの観劇、寺社への参拝、院政期の歴史考察などを趣味にしていたが、2017年、日向産の蛤の貝殻と出会い、貝合わせと貝覆いの魅力を伝える活動を始める。国産蛤の⾙殻の仕⼊れ、洗浄、蛤の⾙殻を使⽤した⼯芸品の企画販売、蛤の⾙殻の卸、⼩売、⾙合わせ(⾙覆い)遊びの普及を⾏なっている。

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|とも藤 代表|貝合わせ/貝覆い/京文化

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