「祇園祭の神輿は人生そのもの」担ぎ手が語る神輿が熱い!
こんにちは、京都好きが昂じて東京から移住してきましたライターの立岡と申します。
季節はすっかり夏。京都の夏と言えば…、やっぱり祇園祭ですよね!
京都に住みはじめてはや2年。これまではコロナ禍のために見ることが出来ませんでしたが、今年はついに、祇園祭を見ることができるとワクワクしている今日この頃です。
メディアでは「宵山」や「山鉾巡行」が取り上げられることが多い祇園祭。しかし、その本質は「神輿渡御(みこしとぎょ)」と呼ばれる、八坂神社の神様を乗せたお神輿が、洛中へ渡る行事であることをご存知でしょうか?
今回は、そんなお神輿の魅力を神輿の担ぎ手さんである、山田佳孝(やまだ・よしたか)さんに聞いていきたいと思います。
京都の中心を示す不思議な「へそ石」があり、いけばな発祥の地としても有名な六角堂(正式名称は「紫雲山頂法寺)。その門前に店を構えているのが「株式会社金髙刃物老舗 」です。
江戸時代から続く鍛冶屋として、華道家元池坊の御用達、京料理や伝統工芸など各分野で必需品といえる刃物を取り揃えている金髙刃物老舗の七代目が今回お話をうかがう山田さん。熟練の鍛冶職人として腕を磨く毎日を送るいっぽうで、「八坂神社中御座(なかござ)神輿」の輿丁(※よちょう/担ぎ手のこと)というもうひとつの顔を持っています。
過去には破門も!?山田さんと神輿をつなぐ、恩師の存在
立岡:本日は、よろしくお願いします!さっそくお話をうかがいたいところではあるのですが、その前に店内がとっても面白そうなので、お店のなかを拝見してもよろしいでしょうか?
山田さん:もちろん!うちでは職人用のものから家庭用まで、様々な刃物を取り扱っています。切るものによって、鋼の種類・焼入れ・形・研ぎ方を変えており、多くの方に長年ご愛用いただいています。
出典:鍛冶屋 | 金高刃物老舗 | 日本
立岡:いろんな包丁があるんですね〜。
山田さん:料理用だけでも数十種類の刃物があります。京都らしいものでしたら、ハモ用の包丁や、舞妓さんが使う日本剃刀などの商品もありますね。
山田さん:奥の工房で、昔ながらの製法で火造りや焼入れ、研ぎまで全てやっています。体験や見学もしているので、毎年近くの小学生たちが職場を見に来ますね。
立岡:それは、楽しそうですね!体験もとても面白そう。興味はつきませんが、ここからはお神輿について教えてください。山田さんが輿丁になろうと思ったのは、いつのことなのでしょうか?
山田さん:子どもの頃からですね。神輿との最初の出あいは3歳くらいのころじゃないかな?恩師ともいえる輿丁の方に抱かれながら「ホイット、ホイット」という掛け声とともに神輿といっしょに歩いていたと父から聞いています。なので、お神輿は子どもの頃から当たり前のように生活の一部としてありました。でも、その後一度、破門になっているんですけどね。
立岡:破門!?一体何があったのでしょうか…?
山田さん:二十歳ごろまでは若気の至りとでもいいましょうか、やんちゃばっかりしてたんですよね。で、その恩師の方に「お前みたいなやつは、もう神輿に来んでええ」って言われて。こちらも売り言葉に買い言葉ではないですが「誰が行くか!」と。でもお互い近所なので家にも帰れず、木屋町あたりに行ってバイトしながら暮らしていました。
立岡:なるほど。まぁ、そういう時期もありますよね。そこからどうやってまた、輿丁になったのでしょうか?
山田さん:父と恩師のおかげです。
立岡 : 恩師とは、先ほどからお話しになっている近所の輿丁の方ですか?
山田さん : そうです。腕っぷし自慢の輿丁たちを、20代の若さでまとめあげた本当にすごい方でした。そのOさんが、自分が破門になっていた間に亡くなってしまい、いろいろと考え直してみたんです。父やOさんに色んなことをきつく言われたのは、それだけ自分を可愛いがってくれてたんだと気がつきました。そこからです。更生したところも見せていないし、今からでも何か返したいなぁと思うようになったのは。だから、まずOさんや父が何より大切にしていた八坂さんの神輿に、もう一度ご奉仕してみることから始めてみようと。
毎年7月には、Oさんのお墓参りに行ってろうそくを立てるのですが、墓地の近くを電車が通っているため、すぐに火が消えちゃうんですよ。でも、ろうそくの減り具合を見て「今年はここまでいったのか」とか「今年はこんなに残っているけど、何が良くなかったんだろう」と一年を見つめ直しています。
立岡:山田さんにとってのお神輿は、お父様やOさんとの大切なつながりでもあるのですね。
山田さん:そうですね。スポーツ感覚で神輿を担ぐ人もいますが、僕の場合は、父やOさん、そして神様のことがあってこその神輿ですね。考え方は人それぞれなので、良い悪いとか言うつもりはありませんが、毎年いろんなお祭に行って神輿を担ぐ人もいます。でも僕のここ(肩)はスサノヲノミコト(※)のために空けているもので、「よその神様は乗せたくない」と思っています。
立岡:お神輿、いや祇園祭に対する本気度が伝わってきますね。
法被は死装束
山田さん:輿丁が着る法被ね、あれは死装束でもあるんですよ。
立岡:どういうことでしょうか?
山田さん:我われ輿丁が亡くなった時は、法被を身につけて、扇子や足袋も棺に入れる人がほとんどなんです。だから法被は死装束そのものです。自分は「たとえ神輿を担いでいる最中に死んでも文句は言わない」という覚悟で祇園祭に臨んでいます。最近は法被に派手な刺繍を入れたがる人もいますが、僕は死装束なのにそんなことするのはちょっと違うかな、と思っています。
立岡:たしかに…。そんな意味があったのですね。
山田さん:もうひとつ思い出があります。友人の輿丁が病で余命いくばくもないと聞かされてお見舞いに行ったときのことです。奥さんから「もう意識はない」と聞いていたんですが、「お前もうすぐ祇園祭の神輿やぞ、がんばれ!」と言葉を投げかけたら、「うん」と言ってくれたんですよ。神輿という言葉に反応してくれたのがうれしかったですね。後で奥さんに聞いた話ですが、亡くなる1日前に神輿の動画を流したら、意識がないなずなのに、掛け声である「ホイット」を、ささやくような声で言って、左肩に神輿を乗せるような動きをしたそうです。
その後すぐ亡くなってお葬式のときに、奥さんが「みんなで棺を担いでやってほしい」と言われました。はじめは躊躇したんですが「思う存分やってください」と言われたので、涙ながらに精一杯担ぎました。きっと棺の中で、こんな(ユサユサと揺れて)なっていたと思いますが、喜んでもらえたんじゃないかと思います。このように僕らにとっての神輿とは楽しいとかではなく、命を懸けたもの、人生そのものなんです。
立岡:良い話だ…(涙)。他にも輿丁についてわかるお話があったら、ぜひ教えてください。
山田さん:僕は、お朔日参りといって、毎月1日に八坂神社へ行ってお祈りをしています。
立岡:毎月ですか!
山田さん:僕の場合は自営業ということもあって、時間の都合はつけやすいですし、今ではもうお朔日参りに行かないと気持ち悪くなる感じですね(笑)。神輿を担ぐ時と同じく、舞殿を時計回りの方向に周ってお参りするのが習慣になっています。
立岡:そこは染み付いているわけですね(笑)
山田さん:あと、7月はきゅうりは食べないかな。
立岡: きゅうりですか!?それはまたどうしてでしょうか?
山田さん:八坂神社の御神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」言われるものなんですが、五瓜に唐花の模様ときゅうりの断面が似ているんですよ。
立岡: そういうことか。なるほど〜!
山田さん:でも、八坂神社の境内で、冷やしきゅうり売っているんですけどね(笑)
立岡: なんと!まぁ、美味しいですもんね(笑)そう言えば、山田さんはお神輿のためにジムで鍛えておられるとか?
山田さん: ここ数年はコロナ禍のために行ってないんですけどね。コロナの前は、神輿をしっかり担ぐためのトレーニングメニューをこなしていました。
立岡: お神輿のためのメニューですか!
山田さん:トレーナーの人に「神輿をガッと持ち上げるメニュー」を組んでもらってるんですよ。主に足腰を鍛えるトレーニングですね。それを足袋を履いてやっています。
立岡: ジムで足袋!
山田さん:そうです。できるだけ神輿を担ぎ上げるときの状況に近い感じのほうが本番で力を出せますから。若い子に「山田さん、力ないやん」とは言われたくないですしね(笑)
昔はありえなかった!?三基の神輿が石段下に揃う奇跡
立岡: たくさんの素敵なエピソードをありがとうございました!ここからは、2022年の祇園祭についてお話をおうかがいしたいです。ズバリ、お神輿の見どころ…というと少し言い方が違う(※)かもしれませんが、見て欲しいものがあれば教えてください。
山田さん:残念ながら今年は披露できないのですが、一番はやっぱり17日の神幸祭18:00頃に、八坂神社の石段下に3基の神輿が揃い踏みすることですね。2,000人近い輿丁が石段下を埋め尽くす迫力は凄いですよ。
立岡 : ぜひ見たいです!が、今年はないのですか?
山田さん : 「究極の密」ですからね。来年を楽しみにしてください。この3つの神輿が揃うというのは、これまでの歴史を考えるとありえないくらいの奇跡なんですよ。
立岡: そんなにすごいことなのですか?
山田さん:あんまり大きな声では言えないのですが、昔は神輿会同士の関係が良くなかったと聞いています。というか、かなりバチバチしていたらしいです。
立岡 : 穏やかではないですね…。
山田さん: 法被の懐にドスを入れていたなんて話も聞きますね。
立岡:まさに「祭りと喧嘩は江戸の華」ですね。京都ですけど…。(妙にテンション上がる)うわあ、なんかますます見たくなってきた。来年は絶対石段下に行きます!
「少しずつでも前に進むことに意味がある」。コロナ禍と祇園祭を振り返って
立岡: 今年のお神輿はコロナ対策のために例年のコースとは異なり、八坂神社から御旅所まで直行となりますが、ここまで来るのにも長い道のりでしたね。
山田さん:そうですね。2020年は神輿を神輿庫から出せず、2021年は八坂神社の舞殿まで。いろいろ葛藤がありました。
立岡: この2年間についても、お話を聞かせていただけますか?
山田さん:「疫病退散のお祭だし、自分たちは死んでもいい思いでやっているのになんで神輿を出せないんだ」と言うのが、正直な思いでした。でも、僕たちが決めることでもないのもよくわかっているんで、輿丁として何をしたらいいんだろうと、悶々としていましたね。
悩みに悩んで、猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)という導きの神様がいる神社に行って「導いてくれ!」と祈ったこともありました。
山田さん:そうしているうちに、今は神様が「ちょっと待て」と言っている時期なんだ、とも考えられるようになりました。それまでに、1年くらい掛かっているんですけどね。
立岡: 悔しい気持ちと、「今は待ってこれまでのありがたみを噛みしめる」という2つの気持ちがあったわけですね。
山田さん:荒御魂と和御魂が混在している感じですね。昨年(2021年)は神輿が通るはずだったコースを歩いて見ました。そこで、感じたのが町の人たちもお神輿を待っているということでした。
三条堀川のへんでは、顔なじみの方や小さな男の子から「お神輿は?」と尋ねられたり、居酒屋の店主さんから「来年のお神輿さんを楽しみにしてるで!」とハッパを掛けられたりしました。ある年配のおばあさんからは「毎年、神様が通り過ぎるまでずっと頭を下げているんですよ」って。こんなにも神輿を待っている人がいるんだって嬉しくもあり、寂しくもありでした。同時に使命感も感じましたね。
立岡:実際に神輿を担いで京都の街をまわる輿丁だからこそわかる視点ですね。本当に早く、これまで通りの祇園祭になって欲しいですね。最後に、今年の意気込みを教えてください。
山田さん:(ショートコースに対する)葛藤がないとはいい切れませんが、それでも今の自分にできることを全力でやりきるだけだと考えています。通常コースと同じくらい思いっきり跳ねて、盛り上げて疫病退散を願っていきたいと思います。
立岡:本日は、素敵なお話、本当にありがとうございました!!
さて、山田さんのお話はいかがだったでしょうか?
華やかな山鉾巡行のイメージが強い祇園祭ですが、輿丁としての山田さんの熱い想いを聞いていると、これまでテレビやニュースで見聞きしたものが、別の見え方をしてくるところが面白いですよね。
神様のことや他の輿丁の先輩方との繋がりとして大切なお神輿。そんな山田さんの担ぐ中御座をはじめ3基のお神輿が出るのは、17日の神幸祭と24日の還幸祭の二日間。今年は、両方とも見に行きたいと思いました!
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東京から京都に引っ越してきた、編集者。
普段は、『TRANSIT』や『FRaU』など雑誌やメディアづくりに関わったり、企業や個人のWEBサイトを制作していますが、それは表の顔。裏では人を軸に京都を深ぼるイベント「ひみつの京都案内」を運営しています。
東京の大学在学中も京都が好きで、同志社大学に国内留学していました(専攻は歴史学)。趣味は、合気道と食べ歩き。
|編集者|旅/歴史/グルメ/祇園祭
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