秋の深まりを感じる11月。賀茂川に沢山の冬鳥たちがやってくるのが楽しみだと今から夫が話しています。中でもカモ類のカワアイサはどこか異国情緒があり、お気に入りなのだそうです。カワアイサの他にもオシドリやユリカモメなど渡鳥の群れを目にすると冬の始まりを感じます。落葉する加茂街道の木々、落ち葉の上を踏み歩くのも楽しみの一つ。京の山々の移り変わりを仰ぎ見ながら日々の暮らしが過ぎてゆきます。
11月は結婚式の季節
11月は降水量が少なく結婚式に適している季節です。京都市内でもあちこちの神社で結婚式をしているカップルを見かけます。また11月22日は良い夫婦の日。私どもでお取り扱いしている蛤は宮崎県日向産のものが多いのですが、日向市では11月22日を「はまぐりの日」としてイベントを開催されているようです。とも藤でもこの日には蛤について積極的に発信するようにしています。
さて、今回は日本の婚礼文化についてお伝えしてゆきます。京都、大阪でかつて行われていた儀礼、結納の前に男女の間で扇子を贈り合う「見合い扇子」「扇子納め」という慣しについてご紹介し古い時代の婚礼に思いを馳せてみましょう。
江戸時代は「見合い」が主流
現代では見合い結婚の割合は減り恋愛結婚が主流となっていますが、江戸時代の町人は、ほとんどがお見合い結婚でした。縁談は仲人から持ち込まれます。そして両家の釣り合いなどの下調べを終えると「見合い」をします。現代では「見合い」は出会いの場ですが当時は「見合い」の段階では両家の間で縁談が決定しており「見合い」は形式的なもので、単に確認するといった様子でした。神社のお参りや花見などに来ている見合い相手の女性を男性側が仲人と共に垣間見ます。見るのは男性側からだけのようです。異存がなければ、男性が仲人を通して女性に扇子を渡します。女性が扇子を受け取れば承諾ということです。当時の女性の人生のあれこれを描いた双六、五雲亭貞秀の「出世娘栄寿古録」の中の「見合始」と縁談が決定する意味の「大きまり」を見ると男性女性ともに扇子を手にしており扇子が婚活に欠かせないものであった様子が窺えます。
婚礼の慣しは現代でも地域によって独自のものがありますが、昭和60年に発行された太田武男『結納の研究』によると京都と大阪で行われていた「見合い扇子」「扇子納め」もそれぞれに内容が少し異なっていたようです。
大阪の「扇子納め」
かつて大阪では一般的なしきたりとして結納前に扇子の交換が行われていました。男側からは男持ちの扇子を、女側からは女持ちの扇子を渡しました。そもそも結納前の扇子の贈り合いは江戸時代の双六の「見合い」「大決まり」のように、男側が女性を垣間見、異存がなければ自らが持っていた扇子と渡すという慣しからのものですから、大阪の「扇子納め」では双方の意思決定の表現として、自らの持っている扇子を相手に渡すということをします。この扇子は挙式に使用しますがその際は自分が渡した扇子を相手から戻してもらうことになります。
京都の「見合い扇子」
京都では、見合い当日、相手に異存がなかった場合に「交際始め」の意思表示として扇子を渡したと書かれています。男側は女持ちの扇子を、女側は男持ちの扇子を贈ります。この扇子は挙式当日に使用するものですから、単に相手に異存がない表現だけではなく、いわば互いへの初めてのプレゼントという感覚ですから結婚に向けてより進展した印象です。女性から男持ちの扇子を渡されたら、迷っていた男性も心が決まるかもしれません。現代でも婚約指輪は男性から女性に女性用の指輪を渡しますが、この時、女性から男性用の指輪を送り返したりすれば、よりしっかり結婚に向けて固まりそうです。このように関西、特に京都と大阪では結納以前の段階でも扇子を交わし念入りに婚礼を進めてゆくような風習があったことは大変興味深いです。
「見合い結婚」から「恋愛結婚」へ
日本で「恋愛結婚」が「見合い結婚」を上回ったのは昭和40年(1965年)~44年(1969年)です。私の両親は昭和40年代後半に見合い結婚をしていますが、「見合い扇子」は、なかったと言います。両親の時代の「見合い」はすでに現代的で家同士が決めた縁談に従うのではなく「見合い」は異性との出会いの場の一つで、縁談を進めるかの決定は当人たちの意向に委ねられていたとのこと。確かに「見合い扇子」の儀礼を行うとすれば見合い当日に両家が相当する扇子を前もって準備することになりますから、当人の好みだけで気軽に相手を断れない場であったでしょう。さらに「見合い結婚」から「恋愛結婚」へと比重が変わってゆく中で「見合い扇子」の風習は姿を消していったのです。京都の方で、もしも古い箪笥から儀礼用の房付きの古い扇子が出てきたらそれは「見合い扇子」に使われたものかもしれません。扇子は繁栄を意味する「末広」であり、とても縁起の良いものです。もしも「見合い扇子」を現代でもするなら、たとえば、恋愛結婚であっても、結納をしないカップルであれば、結婚式の前に扇子を贈り合うことだけでもしてみるのはいかがでしょうか。婚約状態の両家を固めるのに良いかもしれません。
夫婦円満の象徴「貝桶」
さて、簡略化されつつある現代の結婚ですが、夫婦円満の吉祥文様「貝桶紋様」は今もなお結婚式の着物の紋様として知られています。しかし「貝桶」が実際に婚礼の場面でどのように使われたかは、ほとんど知られていません。その始まりはとても古く、室町時代ごろから武家の婚礼において重要な道具類でした。今回は安土桃山時代の貝桶渡しの儀の様子をご紹介しましょう。
まず、当時の婚礼は夜に行われていました。「あかりをつけましょ、ぼんぼりに」の唄の通りです。婿側の屋敷の門には火が焚かれ、嫁の輿が中に入りますと「貝桶渡しの儀」が行われます。貝桶は2つで1対です。まずは嫁側の貝桶渡し役(2名)と婿側の貝桶受け取り役(2名)が向かい合います。それぞれに蛤貝殻が入っていますが出貝(左貝)と地貝(右貝)という風に蛤貝は2つに分けて入っています。
・左の貝桶の渡し役は、左に行き、右手で貝桶の底を持ち、左手で脇を抱えて渡す。左側の受け取り役は右膝を立て受け取る。
・右の貝桶の渡し役は右へ行き、左手で貝桶の底を持ち、右手で脇を抱えて渡す。右側の受け取り役は左膝を立て受け取る。
この時、渡す方は小指と薬指を底に掛け、低い声で
「千秋万歳(せんずまんぜい)御貝桶渡し申し候」といいます。
受け取る方は「千秋万歳(せんずまんぜい)御貝桶請け取り候」と言います。
黒々と光った漆塗りの貝桶にはたっぷりと蛤貝が入っていますから随分と重たかったでしょう。貝桶渡しの儀が終わると輿渡しの儀が行われようやく嫁が婚家に入ります。当時の婚礼では嫁が婚家から戻らぬようにと祈りが込められ、小さな所作まで厳密に決まりごとがあり、まるでまじないのように何重にも縁起を担ぎました。
現代の挙式にも伝統文化を
昔の婚礼を想像するとそのやりとりが仰々しく、また大層過ぎるように思えます。結婚をする当人同士が主導の現代では考えられないことです。年々、結婚式は自由に行われるようになっていますが、古い婚礼を知れば知るほど、婚姻とは本来、婿側にとっても嫁側にとっても慎重になるべきことなのだと思うようになりました。ライフスタイルの変化とともに変貌する結婚式の中に日本人ならではの伝統的な一面を取り入れることは夫婦の間に新しい生活への責任が芽生えるかも知れません。
現代的な貝合わせを挙式に
最近では蛤の貝殻を神社婚や人前婚での指輪交換にお使いになる方がおられ、とても嬉しく思っています。私どもでは和装、洋装に関わらずお使いいただける現代的なモダンなデザインの貝合わせを様々にご提案し、すでに沢山のカップルにお使いいただいております。婚礼に蛤のお吸い物を食べるのは江戸時代の享保(18世紀)以降で、徳川吉宗が考えたと「明君享保録」に書かれており、また陰暦の10月は神無月で出雲に集まった神の間で縁結びが評議され、陽暦11月は婚礼月に適しているという古い伝説もあるようです。伝統的な婚礼の儀式や儀礼には日本の歴史文化が凝縮されています。蛤の文化、貝合わせの文化が日本の結婚式の中にこれからも残るように、とも藤では様々にご提案してゆきたいと思っています。
参考文献『結納の研究』太田武男著 株式会社一粒社
『結婚の歴史』日本における婚礼式の形態とと発展 江馬務著
日本風俗史学会編集 文化風俗選書1
『飲食事典』下巻 本山萩舟著 平凡社
『昭和の結婚』小泉和子編 河出書房新社
『お江戸の結婚』菊池ひと美著 三省堂
別冊太陽 日本のこころX 婚礼 平凡社
「出世娘栄寿古録」五雲亭貞秀 (国立国会図書館デジタルコレクション)
「徳川種姫婚礼行列図」(文化遺産オンライン)