京都人にとっての下鴨神社

下鴨神社 楼門

下鴨神社 楼門

下鴨神社(正式名称 賀茂御祖神社)は京都人にとって、とても馴染み深い場所です。春は平安時代に戻ったような風情の葵祭の行列があり、夏の御手洗祭では池に足をひたして涼をとります。12万平方メートルの糺(ただす)の森が日差しを防いでくれるので、古本屋がずらっと並ぶ「下鴨納涼古本まつり」も行われます。初詣では多くの屋台がひしめき、たくさんの人でにぎわいます。

鴨川デルタも近く、ゆったりと散歩するにもぴったりな場所なんです。鬱蒼と茂った「糺(ただす)の森」は神聖な空気に満ちていて、パワースポットとされています。

糺の森

糺の森

京都大学や同志社大学とも近く、私の好きな森見登美彦さんの小説の聖地のひとつでもあります。アニメにもなった「四畳半神話体系」や映画・舞台にもなった「夜は短し歩けよ乙女」にも出てきますね!

このように人々に親しまれている下鴨神社の中に「さるや」という休憩所があります。まさに昔ながらの茶店といった出で立ちのお店で、お茶や甘味をいただくことができます。
この「さるや」が江戸時代のガイドブックでも紹介されている歴史あるお店だってご存知ですか?

 

「さるや」とは

さるや

さるや

「さるや」は下鴨神社の糺の森の中にある茶店です。広い下鴨神社にお参りした後は、ここでお茶やお菓子を頂いて休憩しているよ~という方も多いでしょう。2011年にオープンした「さるや」ですが、なんと江戸時代のガイドブックでも紹介されているのです。はたして、どういうことでしょうか?

出来齋京土産巻之五 下賀茂 付御手洗川

出来齋京土産巻之五 下賀茂 付御手洗川

江戸時代のガイドブックである「出来齋京土産」の挿絵に当時の下鴨神社が描かれています。左上が御手洗祭の御社で、中央では御手洗団子を焼いているところです。右下には「さるや」と書かれたお店があり、名物である申餅(さるもち)を作っている様子が見られます。この頃は境内に他にもたくさんのお茶屋さんがあり、周辺の人々の憩いの場となっていたそうです。

江戸時代の「さるや」や他の茶店は明治維新の際になくなり、境内には休憩場所が無い状態が続いていました。「参拝の方々が休憩できる場所がほしい」「下鴨神社の歴史を彩ってきた食文化を現代に継承したい」という想いで下鴨神社が「さるや」復興を文化庁に申し入れました。1994(平成6)年に世界遺産に認定されていたため境内に新しい建物を作ることは困難でしたが苦難の末5年かかり、2011年(平成23年)にようやく「さるや」は復興できたのです。
 

葵祭名物「申餅」とは

申餅

申餅

「申餅(さるもち)」は京都の三大祭のひとつ「葵祭」に関わるお菓子で、神前にお供えされていたものです。5月15日の葵祭の前日(申の日)に天皇の勅使が下鴨神社を訪れて下打ち合わせする際に、勅使をもてなすために出したので「申餅」と称したと伝えられています。「さるや」が復元に成功し、140年ぶりに食べられるようになりました。

申餅は小豆の豆を丸いお餅で包んだものです。小豆の煮汁でついたお餅はほんのり赤く、朝焼けの色である「はねず色」をしています。上品で優しい味わいです。小豆は邪気を払うとも伝え聞きます。江戸時代の人たちと同じお菓子が食べれるなんて感慨深いですね。
 

「さるや」古田社長へのインタビュー

宝泉堂 古田泰久社長

宝泉堂 古田泰久社長

「さるや」を運営している、株式会社宝泉堂の代表取締役社長である古田泰久さんに「さるや」と下鴨神社への想いについてKLK編集部がインタビューさせて頂きました。

『下鴨神社は御所の北で天皇を守る役割があり、京都で最も古い神社の一つです。いにしえでは今よりもっと境内が広くて、神社の関係者がたくさん住んでいたそうです。人々は神社に寄り添いながら神社の仕事をして生きていたんですね。下鴨神社自体がひとつの行政区のように機能していました。その中には私のようなお菓子屋さんもいたでしょうね。この「ともに生きる」ということがとても京都らしい姿だと思います。
いま神社に関わっているのは昔から住んでいる人だけではなく、色んな人がいます。自分たちも大正~昭和あたりでこちらに出てきました。

私は下鴨神社の祭事やイベント、会議などを全部合わせると年間150日は神社に関わっているのではないでしょうか。葵祭では申餅、御手洗祭ではかき氷、正月はお雑煮・・・などイベントに合わせて色んなものを提供して、下鴨神社のお菓子づくりをしているのが楽しくて仕方ないんです!お客様がお祭りを大切にしているのも伝わってきますし、1年が経つのがとても早いですね。
ちなみに宝泉堂は「さるや」以外にも下鴨本店と京都駅の店舗があるのですが、そこでは申餅を売りません。申餅は下鴨神社のものだからです。これは道徳的に大切なことだと思いかたく守っております。

「さるや」を復興させようという時に下鴨神社の宮司さんからお聞きしたのは「昔から伝わってきた大切なものを復興させて今後も継続していきたい」という想いで、私も強く共感いたしました。
下鴨神社は今に始まったわけではなく古い歴史があります。過去の歴史や文化を紐解き、子どもたちにも分かりやすく伝え、人々がつなげてきたものを知ってもらいたいのです。

京都の素晴らしさ、奥深さこそがこれからの観光の目的としても重要になってくるのではないかと思います。コロナ禍が商いの転換期になり、円安や戦争が起こり、はたしてどういう指針をもって行ったらいいのか?たくさん作って売るという今までの形態が、コロナでぴたっと止まってしまったのです。競争社会では成功だとされていたことは、本当にそれでよいのだろうかと考えました。

「本物だと自分が思うものを作ろう。それが京都に適う、あるべき姿であればやっていくことができるのではないか。」ある日突然、気づいたんです。この考えは下鴨神社と関わる中から学んでいったものでしょう。たとえば宝泉堂では丹波から最高の材料を得てお菓子づくりをしています。本物を作って、京都の本物の中で生きていく。自分が、自然と京都らしく生きる方向に向かっていると感じています。』
 

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