『秀吉の二条城』の場所は信長の二条城と現在の家康の二条城の間にあり、信長の城よりは小さかったようですが、堀も設けられ天守もある立派な城だったようです。当初、秀吉の政庁の役目を果たしていましたが、聚楽第ができる前のつなぎだったのでしょう、僅か3、4年で政庁は聚楽第に委ねられることになります。
平素は前田玄以が居住して政務にあたり、秀吉が上洛すると宿泊所として使っていたそうです。現在、妙顕寺城(秀吉の二条城)はありませんが、『古城町』という住所だけは残っています。

(参考)平安京左京一条三坊十町跡・旧二条城跡(京都市埋蔵文化研究所出版)、天下人と二人の将軍(黒嶋敏著、平凡社)、足利義輝・義昭(山田康弘、ミネルヴァ書房)、 WEBサイト「歴史のあと」WEBサイト「サライ.jp」WEBサイト「ニホンタビ」、平安女学院説明板、京都市教育委員会の駒札、京都市文化財保護課(馬瀬智光)説明板、妙顕寺の京都市駒札
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この記事を書いたKLKライター

KBS京都 常勤監査役
今川 博明


京都市左京区出身。
歴史に興味をもち、関西大学文学部史学科を卒業。
KBS京都(京都放送)に入社、現在は常勤監査役。
京都の史跡を多くの方に伝えたくて、京都史跡ガイドボランティア協会員として活動中。

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