源氏絵には定型化された仕草があります。代表的なものの中から、2種類見てゆきましょう。「5巻 若紫」はわかりやすく知名度ナンバーワンの人気の場面です。逃げた雀を追って縁先に出ている紫の上を垣間見る光源氏、転がる籠、満開の桜と飛び去る雀は定型化され多くの絵師によって描かれてきました。

若紫

若紫

次に「4巻 夕顔」です。夕顔の花を載せた扇を差し出す童女とそれを受け取る随身、夕顔らしき女性、夕顔の咲く垣、光源氏の乗る車が描かれています。
私は小学生の頃、この二つの場面が大好きでした。いつか誰かが自分を見出してくれる、そんな男性に出会えるだろうかと思ったものです。現代では恋愛や婚活は女性も積極的に自分をアピールするのが普通ですが、平安時代の女性たちは家の中の深いところに居て、誰かの垣間見や突然の訪問でしか恋が叶わなかったのです。そう思うと、これらのシーンの特別感、ドラマティックな奇跡のような場面であることがわかってきます。

夕顔

夕顔

源氏絵が伝える平安時代の暮らし

源氏物語には平安時代の貴族の暮らしぶりが描かれているため日本の歴史文化を知る上で重要な資料だと言われています。源氏絵「22巻 玉鬘」より「衣配り(きぬくばり)」では光源氏と紫の上が六条院に暮らす夫人たちや姫君たちに新年の衣装を選びます。春の御方と呼ばれた紫の上には紫草の根を多く使った葡萄(えび)染めに紅梅の文様、夏の御殿に住む花散里には涼しげな浅縹(はなだ)色に洲浜の文様など年齢や容貌、性格に相応しい衣装が選ばれています。このように姫君ごとに細やかな設定が書かれており、紫式部は文学だけでなく、衣装にも高い知識と美的感覚を持っていたことがわかります。そして絵画に関しても高い知識を持っていました。「絵合」では、宮廷で対立する二つの勢力の対決の場面で梅壺女御方は古い伝統的な「竹取物語絵巻」を、一方の弘徽殿女御方は「いまめかし(当世風)」で目新しい「宇津保物語絵巻」を選んでいます。両者の絵画観の違いがよくわかるチョイスでこの場面の緊張感が伝わってきます。今ほど情報化社会でない平安時代に絵の流行りや鑑賞法を正確に把握していた紫式部の審美眼は素晴らしいものです。

玉鬘

玉鬘

貝合わせは源氏物語には出てこない

「絵合」は「物合わせ」という遊びで、「物合わせ」は平安時代にとても流行しました。参加者が左方右方に分かれて趣向を凝らし、持ち寄ったものを飾り立て、造り物や和歌の出来栄えを競います。「絵合」ではこのイベントのために当時の人気画家が描いた絵巻に人気書家が書をしたためた絵巻が用意されました。「貝合わせ」も物合わせの一種であり、左方右方のそれぞれが珍しい貝殻を集め、海の風景をジオラマのように造りそこに貝殻を散らし、その情景を歌に詠み、それぞれの出来栄えを競いました。蛤の貝殻のみを使う遊びではなく、さまざまな貝殻が集められ飾られました。源氏物語では当時流行の遊びとして「物合わせ」の遊びの一つである「絵合」の場面が描かれていますが「貝合わせ」は登場しません。蛤の貝殻の内側に源氏絵が描かれるようになったのは、貝覆いと貝桶が武家の婚礼道具となった室町時代以降とも言われています。王朝文化である源氏物語の世界が同じ王朝文化である貝覆いの遊びに使われる蛤の内側に描かれることで格式のある王朝風の道具類となり婚礼の威儀を整える役目を果たしたのでしょう。そして、江戸時代には大奥で働く女性たちや商家の令嬢が源氏絵の描かれた貝覆いのセットで遊び、王朝風の雰囲気を楽しんだのです。
紫式部が書いた『源氏物語』は現代も人々を魅了し続けます。物語の中で女性たちは自分らしさを見出し、幸せとは何かを追い求めています。何度読み返しても新しい発見がある源氏物語の世界がこれからも蛤とともに残っていくことを願っています。

参考文献
『すぐわかる源氏物語の絵画』 田口榮一 監修 東京美術
『江戸の遊戯』貝合わせ・かるた・すごろく 並木誠士 青幻舎
『絵巻物の鑑賞基礎知識』編者 若杉準治 至文堂
『源氏物語絵巻 新版 徳川美術館蔵品抄2』徳川美術館 発行
『特別展 土佐派と住吉派 其のニ やまと絵の展開と流派の個性』
和泉市久保惣記記念美術館
『源氏物語画帖』鷲尾遍隆 監修 中野幸一 編集 勉誠出版
『土佐派源氏絵研究』和泉市久保惣記記念美術館
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この記事を書いたKLKライター

とも藤 代表
佐藤 朋子

京都市中京区の呉服店の長女として生まれ、生粋の京都人である祖母や祖母の叔母の影響をうけながら育つ。通園していた保育園が浄土宗系のお寺であったことから幼少期に法然上人の生涯を絵本などで学び始め、平安時代後期の歴史、文化に強い関心を抱くようになる。その後、浄土宗系の女子中学高等学校へ進学。2003年に画家の佐藤潤と結婚。動植物の保護、日本文化の発信を共に行なってきた。和の伝統文化にも親しみ長唄の稽古を続けており、歌舞伎などの観劇、寺社への参拝、院政期の歴史考察などを趣味にしていたが、2017年、日向産の蛤の貝殻と出会い、貝合わせと貝覆いの魅力を伝える活動を始める。国産蛤の⾙殻の仕⼊れ、洗浄、蛤の⾙殻を使⽤した⼯芸品の企画販売、蛤の⾙殻の卸、⼩売、⾙合わせ(⾙覆い)遊びの普及を⾏なっている。

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|とも藤 代表|貝合わせ/貝覆い/京文化

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