龍谷大学で仏教を学ぶ理由

私は昨年より龍谷大学に入り、仏教学を専攻している日野と申します。どうもはじめまして。実家は広島にあり、家は代々浄土真宗本願寺派の檀家です。
私は小学生の頃に寺に関心を抱き、ある夏は連日お経をあげたこともありました。また夕方になると実家の菩提寺に鐘を突きに行ったりしておりました。なぜでしょうか。それはおそらく「日本っぽい」ものが好きだったからです。それ以上でも以下でもございません。さらにその理由を答えるのであれば、超越的な話(前世の影響とか…)をしないといけなくなると思います。
しかしあくまで当時は「寺」に関心をもっていたのです。特に仏教の教えなどにはまったく興味はありませんでした。お経は読んでいましたけどなにひとつ理解していなかったですし。ただただ声に出して読む、それで満足していました。

あれは中学3年生、高校1年生そこらへんのことです。徐々にスピリチュアルなことが好きになったのです。きっかけは忘れましたが、強いて言うなら美輪明宏様でしょうか。中学3年生の夏に美輪様のコンサートに行きました。そのあたりから美輪様を好きになり、「オーラの泉」を知ったり、美輪様が仏教に精通されていることを知りました。そして「美輪明宏、仏教」この二つの単語のリンクが私をビリビリさせました。
そんなこんなでスピリチュアル、死後の世界、宗教などに関心を抱きました。しかし、元来そのようなものが好きなのかなとも思います。潜在意識かもしれません。

以来いろんな物を見たり読んだりしている内に仏教は勿論、神道、キリスト教にも興味が湧くようになりました。その中から私が選択した仏教。仏教の中でもさまざまな種類があります。日本仏教(曹洞宗、真宗、日蓮宗etc...)、チベット仏教、原始仏教どれに対しても同じような温度で魅力を感じます。ほんとにいい加減ですが、超越した世界に魅了されたことが仏教を選択した背景にあります。
龍谷大学仏教系教員のご専門の幅広さは世界的に見ても類稀だそうです。また龍谷大学図書館は蔵書数が約230万冊と恐ろしく多いです。知的好奇心を広げることも深めることも可能な恵まれた環境です。

京都と仏教

京都と仏教の関係は言うまでもなく密なもので、例えば圧倒的な寺の数や真宗の始まりの地であることなどが挙げられます。
浄土真宗開祖の親鸞聖人は京都市伏見区にある日野誕生院の周辺で生まれました。親鸞聖人は名家日野家の出です。日野…どこか縁を感じます。後に浄土真宗を開基されました。ちなみに今年は浄土真宗が開かれて800年、親鸞聖人が生まれて850年の節目の年です。5月中旬まで本願寺はイベント尽くしです。

親鸞聖人と言えばなんと言っても「本願寺」。本願寺は親鸞聖人の廟堂として建立されたものです。そこで少し時を遡って、親鸞聖人と深く関わる重要な場所をクローズアップさせていただきます。

六角堂と親鸞聖人

六角堂こと紫雲山頂法寺は用明天皇2年(587年)に聖徳太子によって建てられました。本尊は「如意輪観世音菩薩」です。この観音様は衆生の苦しみを取り除いてくださると言われております。
親鸞聖人は幼き頃から20年間比叡山において厳しい修行をされてきました。そして29歳の時に比叡山を下り、ここ六角堂で100日間の参籠を始められました。それは万物誰もが救われることを願っていたからです。
籠ると言っても100日の間24時間籠りっぱなしという訳ではないとの話もあります。毎晩、比叡山から六角堂まで足を運び、比叡山へ戻るのです。比叡山から六角堂はかなりの距離があります。しかも往復なので下山、登山付きです。また籠りっぱなしであればそれはそれで気が狂いそうです。どちらにせよ親鸞聖人はとてつもない体力、精神力を持っていたのではないでしょうか。
幼い頃から仏教を学び、後に開祖となり、そして実は箱根駅伝選手顔負けの強靭な体力持ち。ハイスペック過ぎます。

そんな生活をし始めて95日目、夢に観音様が聖徳太子の姿をして現れました。そして「法然という者がいる。その者の法を聞きなさい。」とのお告げを受けました。その後、すぐに法然の許へ行き、弟子となりました。観音様が親鸞聖人の体に限界を感じて救ったのかもしれません。小さな神秘体験説が浮上してきました。修行とも言える籠りの末、そんなことが起こり頼れる人も分かり、法然の許へ行く100日間の足取りはきっと颯爽としていたと思います。六角堂は浄土真宗が起こった超本元となります。まさに「その時歴史が動いた」場所なのです。

華道の始まりの地

華道の始まりの地

もうひとつ六角堂と切っても切っても切れないものが「華道」です。
小野妹子が出家し頂法寺僧侶の坊である池坊に入り、仏前に花を供えたことが華道の始まりです。それ以来頂法寺の住職は華道家元池坊が代々務められています。
現在の家元は45代目の池坊専永様でいらっしゃいます。御家元もやはり頂法寺の住職をされております。1462年に「碧山日録」という文献に池坊が登場してから550余年経っているそうです。歴史の深さとこれからの繁栄を想像したら、美しい花々をバックに明るい光が見えました。

浄土真宗が始まるきっかけがあり、日本の華道の始まりの地が六角堂です。ここで起こったことは今日の日本に大きな影響を与えております。それにこの場には親鸞聖人の念もまだどこかに残っているのではないでしょうか。六角堂由来の伝統的文化、宗教の栄え、本尊の観音様の力、親鸞聖人の神秘体験の件も考えると、本当に霊験あらたかなパワーを頂ける場所である可能性が一気に上がりました。
六角堂へ行った後見る夢にはご注意ください。

おわりに

実は親鸞聖人は聖徳太子を「日本のお釈迦様」と言ったことがあります。その理由は聖徳太子が仏教を日本に広めてくれた第一人者であるからです。親鸞聖人は非常に聖徳太子を慕っていました。比叡山修行時にも厳しい思いをすると聖徳太子の姿をした仏が親鸞聖人の前に現れたことがあるのです。そして先ほども書きましたように、六角堂でも親鸞聖人の夢に現れました。その度に親鸞聖人は立ち上がり前に進んでいたのです。親鸞聖人の想いが伝わっていたのでしょうか。なんだかロマンチックです。
「聖徳太子創建の六角堂で太子を慕い続けた親鸞聖人の心が通じた」そのように考えるとまた違った視点で楽しめると思います。

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この記事を書いたKLKライター

龍大生ライター
日野稜太

平成15年、広島県生まれ
龍谷大学文学部仏教学科在籍

釈尊の教えにとどまらず、神道・キリスト教・スピリチュアルなどにも関心がある。
また、皇室ファンであり、日本の文化や伝統を重んじている。



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