「文章×ハードル走」「文章×おもてなし」 そのココロは?
「仏作って魂入れず」
いちばん肝心のものが抜けていることを意味することわざです。テクニックだけに走った文章は、まさにこの状態。魂、すなわち「心」が入っていない文章は、文字という記号が並んでいるだけのようなもので意味がありません。では、心を文章に込めるにはどうすればよいのでしょうか?そこで登場するキーワードが「おもてなしの心」というわけです。
前回の記事『文章は陸上レース』で述べたように、文章には目的があります。その目的とは「自分の望む行動を、相手にとってもらうこと」でした。つまり、せっかく書いた文章がその目的を果たせるかどうかは、相手次第ということなります。そのためには、伝えたいことを相手にも共感、納得してもらう必要があり、さらにそれ以前に、書いてあることを相手にきちんと理解してもらう必要があります。もっといえば、最後まで読んでもらえるかどうかも、そもそもその文章を読むか読まないかさえ、すべて相手次第です。
これ、たとえてみればハードル競走のようなものです。スタート直後の第一ハードルは、「まずもって、読み始めてもらえるか?」です。これを越えたら、次は「理解してもらえるか?」のハードルが待っています。その次は「共感、納得」、ラストは「行動に移す」のハードルです。これらすべてのハードルを乗り越えて、ようやくあなたの文章はゴールイン、つまり目的を果たせます。ひとつでも、つまずいたらアウト。残念ながらスルーされた文章となります。この時、ハードルの高さは読み手によって変わります。読み手が読みやすいと思えば、ハードルは低くなり、読みにくいと思えば高くなります。そう、文章とは結局「相手次第」なのです。だから「相手ファースト」の心がまえが必要であり、その根底にある「おもてなしの心」が大切になってくるわけです。
わかりにくい文章は、相手の時間ドロボー!
私たちはよく「伝える」という言葉を使いますが、文章を「伝える」という意識で書くと、たいてい失敗します。伝えるではなく、「伝わる」を基準に考えるべきです。この「伝える」と「伝わる」の違いは、主役の違いにあります。「伝える」の主役は自分です。書くにせよ、話すにせよ、自分が発信してしまえばミッションは完了、結果はどうあれ「伝えた」ことにはなります。ようするに自分一人で完結できる行為です。いっぽう「伝わる」の主役は相手です。文章を読み、理解し、納得し、行動するのはすべて読み手である相手となるからです。先ほどのハードル走でいえば、すべてのハードルをクリアしてはじめて「伝わった」となります。そう考えると「伝わる」文章にするためには、主役である相手が少しでも行動(読む、理解、納得)しやすいように配慮する「おもてなしの心」が必要であり、そうして書かれた文章が「おもてなしの文章」というわけです。
では、おもてなしの文章とは、どんな文なのでしょうか?具体的にはこの後に詳しく述べますが、ザックリいうと「相手のココロに負担をかけない」「相手のアタマを使わせない」文章といえます。ひと言でいえば、読みやすい文章ってことです。気軽に安心して読める、解読に悩まない文章は、読むのもラクですよね。また、スラスラと読める文章は読む時間も短くて済むので、読み手もうれしいはずです。逆にいうと、読みにくい文章は読み解くのに時間がかかり、相手の時間を奪っていることになります。私は「わかりにくい文章は時間ドロボー」といって、自分を戒めるようにしています。それでは、おもてなしの心が具体的にどのように反映されるのかを見ていきましょう。
たとえば、あなたがお客様の依頼で企画書を提出するとします。文章の目的はもちろん企画を採用してもらうこと。お客様も自分から求めた以上、読む必要がある。そんな状況を想像してください。そのうえでポイントを2つご説明します。
まずは「見た感じ」が大切です。Vol.1『文章は見た目が9割!』でお話ししたとおり、ひらがなと漢字の割合や、行間隔に配慮するなど「パッと見た感じ、読みやすそう」な文にすることは、読み手に安心感を与えます。逆に、読みにくそうな文章だと「え~、今からこれを読むの?なんだか面倒くさそう…」と、読む前から心に負担をかけることになります。中身を見る前の段階で、気持ちがポジティブになるか、ネガティブになるか。どちらの企画が通りやすそうかは想像するまでもありませんよね。ということはですよ、おもてなしの心で文章を書くことは、結局自分のためにもなるってことです。私は「情けは他人のためならず」のことわざの意味を、書くことを通じて理解することができました。
2つめに大切なのが、「全体像を見せる」ことです。企画書に限らず、文章には「流れ」というものがあり、その流れは人によって、あるいは状況によって様々です。たとえば「いきなり結論から入って、その理由を説明する」場合もあれば、「理由を並べた後に結論を提示する」場合もあります。他にも結論の根拠や具体例などさまざまな要素があります。読み手はこれらの内容を、書き手のペースに合わせて読まなければなりません。何ごとにおいても「自分のペースではなく、相手のペースに合わせると疲れる」のは、皆さんもよくよくご経験されていると思います。そう考えると、理想は相手のペース、つまり相手が読みたいであろう順番に書くことになりますが、それはよほど気心が知れた関係であるなどレアケースでしょう。となると、私たちにできることはひとつ。これから何と何の話をするのか?それは、どんな順番で書かれているのか?を最初に示すことです。あるいは、ポイントが3つあるなら、はじめに「これから3つのポイントを説明します」と書いてしまうことです。そうすることで、読み手は「なるほど、3つのポイントがあるんだな」という頭と心の準備ができます。この前置きなしに「ポイントは○○があり、次に△△があり、それから□□があって…」となると、読み手は先が見えず「この話いつまで続くん・・・?」とストレスが溜まってきます。「話の流れを先に示す」のは、そういった余計な負担をかけないための配慮といえます。
相手のアタマを使わせない
また、この「流れを示す」ことは、文中でも大切な役割を果たします。たとえば、最初の10行で理由を説明した後、11行目から結論に入るとします。ここで何の前置きもなしにいきなり結論に移ると、読み手は「ん、何の話?」となり、混乱してしまいます。なぜなら、ここまで理由を読み続けてきた脳内は「理由モード」になっていて、そこに突然、結論がくると「違和感」という異物の侵入としてとらえてしまうからです。そうならないためには、相手の脳内を「理由モード」から「結論モード」にチェンジしてもらう必要があります。チェンジの方法はカンタンです。「ここまで○○の理由について説明してきました。では、ここからいよいよ結論に移ります」といったように、「ここから話が変わりますよ」というひと言を添えるだけでいいんです。このように「相手が自分の話についてこられているかな?」と思いを馳せること、これもおもてなし文章といえます。
もう一つの例として、とある方からいただいたメール文を紹介します。
「私はAさんが先週の会議で言った○○について賛成します」
この文を一読して、すぐに理解できた方は読解力に優れていると思います。ちなみに、私は「えっと…」と悩んでしまいました。この文章のどこがややこしいか?それは1つの文章の中に、2組の主語と述語があること。しかも、そのうちの1組は、主語の「私は」と述語の「賛成します」がものすごく離れていることです。この文を読みやすくするのは簡単で、先頭の「私は」を後ろに移動して
「Aさんが先週の会議で言った○○について、私は賛成します」
とすればOKです。それぞれの主語と述語の距離が近くなるだけで、スッと頭に入ってきますよね。
前者と後者では同じことを書いているのに、前者の方は読解力を必要とします。それだけ、読み手のアタマを使わせているわけで、相手にストレスを与えていることになります。ロールプレイングゲームでいえば、ヒットポイント(HP)の消耗が激しい状態です。このHPがゼロになるとゲームオーバー、つまり読み手は離脱してしまいます。主語だの述語だの、国語の時間みたいで恐縮ですが、要は「主語と述語はなるべく近くに置く」と心がけるだけで、読み手の負担はずいぶんと減らせます。
おもてなしは京都人が大切にしている心
『文章は見た目が9割』で説明した「専門用語はなるべく控え、相手がわかる言葉を使う」など、おもてなしの術はまだまだあります。それはまた別記事にてご紹介しますが、要は読み手の負担を徹底的に軽くすることが、最後まで読まれる文であり、理解そして共感されやすい文であり、行動に移されやすい文章ということになります。読み手の負担を減らすには、常に読み手の立場になることです。別の言葉でいえば、相手に想いを馳せて寄り添うことを「おもてなしの文章」と私は呼んでいます。文章は語彙力や表現力などテクニック的な要素もたしかに大切ですが、それと同じくらい相手に配慮する気持ちが大切なことがお分かりいただけたかと思います。
ところで、おもてなしの語源は「表なし」にあるとも云われています。ウラオモテのない心がおもてなしにつながるという解釈です。茶道の第一人者である千利休は「どの茶会も一生に一度のものとして誠意を尽くすべき」と説きました。その精神は「一期一会」という言葉とともにおもてなしの原点として現代に継承されています。文章にも同じことがいえます。文章に託された言葉は、あなたの心そのものです。そこにあるべきなのは偽りや虚栄心ではなく誠意です。その誠意こそが冒頭で述べた、仏像に入れるべき魂、つまり、文章を書く時のとてつもなく大切な心だと思います。
さて、本稿でなんども登場した「おもてなし」は、京都人が大切にしている心のありようです。そう考えると京都人には、文章を書く素養がもともと備わっているともいえます。本サイト「Kyoto Love. Kyoto」の読者は、何らかの形で京都に関わる方が多いと思います。すなわち皆さんなら「伝わる文章」が書けるということです。おもてなしの心と文章で、よりよいコミュニケーションを目指してください!