なぜ、推敲が大切なのか?

処女作『西陣がわかれば日本がわかる』を上梓してから2年足らずの“駆け出し作家”の私にも、時どき「文章を上手に書くコツって何ですか?」と尋ねられる方がいます。そんな時は、ひと言「できるだけ何回も推敲してください」と答えるようにしています。それくらい推敲つまり「文章を見直し練り直す」ことは文章の質に直結します。推敲の回数に比例して文章は磨かれ、伝わりやすくなる。私はそう考えています。では、なぜそんなに推敲が大切なのでしょうか?理由は3つあります。

1.間違いはあって当然だから。
誤字や脱字はゼロであるべきです。しかし、完璧な人間などいません。むしろ「間違いはあって当然、だからこそ見直しが必要」と考えるべきです。また、できるだけわかりやすい文章、共感される文章にしたいものですが、これも1回で完成版が書ける人は、ごくごく少数派だと思います。文豪と呼ばれる方々はともかく、我われ一般人が完成版を一発で書こうとするのは、おこがましいとさえ思っています。

2.文章を磨きあげるため
文章に「絶対的な正解」はありません。読み手が誰なのかによって正解が変わるのはもちろん、そもそも自分が言いたいことを、自分自身で完全に整理できていることは少ないからです。そこで、推敲を通じて自分の文章を客観的に眺めることで、考えが深まり正解に「近づく」ことができます。

3.「書くこと」に集中するため
ココロで書き、アタマで見直す。私が文章を書くときのお作法です。誤字脱字などの細かいことは気にせずココロ、つまり思いのまま一気に書いた後で、冷静なアタマで見直す。これが効率のよい書き方だと思います。Vol5「ネット社会でも、文章に語彙力は必要か?」で、検索など余計なことをせずに集中して「ひたすら書く」ことの大切さを述べました。同様に誤字脱字や文法などに気をとられると集中力が削がれます。だから「細かいことは後回しにして、一気に書く」ことをおススメします。その分、推敲でみっちりとチェックするわけです。

推敲でチェックすべきこと

では、その大事な大事な推敲の際には、何に注意して見直せばよいのでしょうか?大きく分けると次の3つとなります。

1.伝えたいことが過不足なく書かれているか?
大切な要素のモレがないか?のチェックです。仮に「これは素晴らしい文章だ」と思える文章であっても、肝心の自分の伝えたいことがモレていたら意味がありません。これ、意外とみんなやっちゃってます。メールで業務連絡したあと「あ、○○のこと書くの忘れた」って、けっこうありますよね。私も記事をアップしたあとに「あ~、○○のことも書いとくんやった…」と後悔することもしばしばです。ここで役立つのが、vol.1で述べた「文章のレシピ」です。このレシピがチェックリストの役割を果たします。二度手間や後悔をしないためにも、再チェックしましょう。

2.論理的な文章になっているか?
「読み手が理解、納得しやすい文章」に磨きあげるために欠かせないチェックです。これは超重要なので次項で詳しく説明します。

3.理解と納得を妨げない、読みやすい文になっているか?
こちらはvol.7の記事で詳しく述べます。

これらの3つは、すべて「伝えたいことが、伝わりやすい文章として書かれているか?」につながります。本シリーズでは「文章の目的は、相手に何らかの行動を起こしてもらうこと」だと、くり返し述べてきました。つまり、推敲とは「この文章は、その目的を達成する文になっているか?」のチェックともいえます。中でも私がもっとも大切だと考える「論理的な文章になっているか?」について、これから詳しく説明してまいります。

論理的な文章とは「つながっている文章」

「論理的」という言葉を使うと、とてもコムズカシイ感じがして面倒くさそうですよね。でも、実は逆で「論理的になるほど、わかりやすい文章」になるんです。その前に、そもそも「論理的とは?」について説明します。私なりの解釈で恐縮ですが、論理的とは「話の流れがつながっている」状態だと考えています。

つながっている状態とは、「○○だから□□」「□□である理由は○○だから」という流れになっていることです。別の表現をすると「なぜそうなるのか?」をきちんと説明できている状態ともいえます。

ここで「風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざを論理的に説明してみましょう。ふつうに考えると全然つながっていない「風が吹く」と「桶屋が儲かる」の間には、次のようなストーリーがあります。

風が吹くと土ぼこりが舞う

ほこりが目に入り目の不自由な人が増える

目の不自由な人は三味線で生計を立てようとする

三味線を作るために猫の皮が必要となる

猫が捕まえられる

猫が減るとねずみが増える

ねずみが増えると、たくさんの桶をかじる

桶を買う人が増える

桶屋がもうかる

という流れです。「目の不自由な人は三味線で生計を立てようとする」が、現代人の我われには理解しづらいですが、それを除けば強引な展開ではありますが、いちおう「ああ、そういうことね」と理解できるはずです。これが「流れがつながっている」状態であり、論理的であるということです。

拙著『西陣がわかれば日本がわかる。』では、「西陣という地域は日本を象徴している」説を唱えました。これだけでは「は?」となるでしょう。「西陣」と「日本を象徴」とのつながりが弱い、つまり論理的でないからです。そこで、その間を埋めるべく「日本文化の多くは京都で生まれた」→「その京都の象徴ともいえる町が西陣エリア」→「ゆえに西陣は日本の象徴」と説明しました。1つ1つの説には異論もありましょうが、全体の流れとしてはつながっていると思っています。つまり、論理的な状態といえるわけです。このように、論理的とはつながっている状態だということがお分かりいただけたかと思います。

論理的な文章は、説得力があり共感を得やすい

「論理的の意味は、なんとなくわかったけど、それと文章と何の関係があるの?」というギモンを抱かれた方も多いかと思います。私が、文章が論理的であることにこだわるのは、相手の理解力を高められるからです。たとえば、英文を読んでいて「知らない単語」が出てくると、急に理解しづらくなりますよね。文章も同じで「論理的でない=つながらない部分」は、読み手の脳内で「知らない英単語」と同じ位置づけとなり、その後に続く文章への理解力を下げてしまいます。再三で恐縮ですが「文章の目的は、相手に何らかの行動を起こしてもらうこと」だと述べました。行動を起こしてもらうには、大前提として理解と納得が必要です。理解できないことに、納得できるわけがないし、ましてや行動できるわけもないですよね。その理解を妨げる最大の障害が「?」となる文です。だからこそ、できるだけ「?」を作らせないように、文章につながりをもたせることが必要となります。仮に「?」を生じそうな箇所なら、詳しく説明を補足することで、早い段階で「?」を解消し、つながっている状態に戻さなければなりません。

ここで気をつけたいのは、自分ではあたりまえ」と思っていることを省略してしまうことです。自分のあたりまえと、相手のあたりまえが共有できていないときに「?」が生じます。よくいう「話がかみあってない」「話が飛んでいる」状態です。数式でいえば「A=B、B=C、ゆえにA=C」なのに、真ん中の「B=C」をすっ飛ばし、いきなり「A=B、ゆえにA=C」としてしまうことです。

たとえば、あなたが友人から「接待にいい店を教えて」という相談をされたとします。あなたはいろんなお店を提案しました。しかし、友人はピンとこない様子。不思議に思って尋ねると「だってお客様は外国の人だから」とのこと。「なら、はじめから言えよ!」と心のなかで呟くあなた…。この友人は「外国の人を接待しなければならない」ということが大きなプレッシャーとなっていました。そうなると「接待の相手は外国の人」であることが、自分の中ではあたりまえの前提になっていて、相談の際にもそのことが意識から抜けていた…というわけです。これは極端な例かもしれませんが、誰しも大なり小なり似たような経験があるかと思います。ここでいう「接待の相手が外国の人」が、先ほどの数式でいうところの「B=C」にあたります。このように、つながっているかどうかをチェックするときは「本当にこの流れで相手は理解してくれるか?」という謙虚な気持ちと、第三者の視点をもつことが大切です。Vol.7で詳しくお話ししますが「推敲は第三者に見てもらう」ことの意味もここにあります。

「考えるチカラ」はAI時代に必須の能力

本章では推敲の大切さ、特に論理的であることの大切さを述べてまいりました。推敲の効用はまだまだあり「誤字脱字を防ぐには?」「スラスラと読める文章にするには?」については、次章で詳しくお話ししたいと思います。

さて「人口に対する学生数の割合」が日本一であることに象徴されるように、京都は学問の街として知られています。平安の昔から京都は最新の情報が集まる地であり、そこでは様々な学問が発展してきました。また、日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏は京都出身です。京都は歴史的にも環境的にも、学びの土壌が整った都市といえます。知識を活かして世の中に役立てる。学問の本質はここにあると思います。京都はその本質を担う街だと考えています。

本章では「伝わる文章は論理的である」ことを、述べてきました。と、エラそうなことを言っている私ですが、論理学の本を読んで眠くなってしまったのも事実です。究めようとすればとてつもなく奥深いのが論理の世界だと思いますが、文章術の範ちゅうであれば「論理的とは、つながっていること」で十分だと考えています。Vol.5「ネット社会でも、文章に語彙力は必要か?」で述べた通り、AI化が進む現代では知識そのものの価値は下がり、その知識を使いこなす力、つまり「知識を使って考える力」が問われる時代となりました。文章を書くという行為は、考えることそのものだと思います。書くことを通じて、考える力を伸ばす。学問のまち・京都人としての誇りを持ち続けるためにも、私はこれからも書き続けたいと思っています。

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この記事を書いたKLKライター

八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員
吉川 哲史

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

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自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
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