「考える」と「思う」はどう違う?

「よく考えなさい」

親から、先生から、上司から、ずっと言われ続けてきたセリフです。そもそも、この「考える」とは、どういう行為を指すのでしょうか?自称・文筆家の私は「文章と思考は切っても切れない関係にある」と考えています。そこで、あらためて「思考とは何か?」について深堀りしてみようっていうのが本章のテーマです。

さっそくで恐縮ですが「考える」を考えるにあたって、皆さんに質問があります。「考える」と「思う」って、何がどう違うんでしょうか?あらたまって聞かれると、答えられない人が多いと思います。「思考って言葉があるくらいやから、同じちゃうん?」と答えた方、半分正解で半分まちがいです。「思う」には「考える」の意味も一部含まれています。だから半分は正解です。でも、やっぱり違うんです。混乱してきましたね。では、次の3つの例で、その違いを見ていきましょう。

・「答えを考える」とはいうが「答えを思う」とはいわない。
・「作戦を考える」とはいうが「作戦を思う」とはいわない。
・「今日は暑いと思う」とはいうが「今日は暑いと考える」とはいわない。

もしかしたら、3つめは「今日の最高気温は24℃。京都の年間を通じた平均最高気温は16℃。よって、今日は暑いと考える」な~んて言う人がいるかもしれませんが「ウザっ」のひと言で一刀両断されるのがオチでしょう。

別の例をあげてみましょう。
・「好きな異性のことが頭に浮かびあがるとき」は、思っている状態
・「どうすれば彼(彼女)と仲良くなれるか」は、考えている状態

といえます。なんとなく、違いが見えてきたのではないでしょうか?では、ここで大辞泉さんにご登場いただき、それぞれの意味を教えていただきましょう。

だんだん見えてきましたね。「思う」には、感情的なものや漠然としたものが多いのに対し、「考える」は具体的なものが多いといえます。そろそろ、結論を出しましょう。「思う」は、ココロの作用であり、「考える」は、アタマを使う行為である。私はそう考えます。

「思う」以外にも「おもう」を意味する漢字が、これだけある。いずれの字も「心」に関係する意味を持つ。

書くとは「思考を見える化」すること

なぜ、「思う」と「考える」の違いにこだわるのか?それは、「考えたつもり」でも、結果的に「何も考えていない」ケースが多いように感じるからです。たとえば、営業部長がAさんとBさんに「商品○○の販売を強化したい。どんな施策があるか、次の会議で報告してほしい」と言ったとします。念のためですが、2人の意欲も考えた時間も同じだったと仮定してください。

会議での2人の発言はこうでした。Aさんは「いろいろ考えたんですが…やっぱり、もっと多くの人に知ってもらうとか、値段を安くするとか…ですかね?」といった漠然としたものでした。いっぽうのBさんは「商品○○は、□□の場所で使われることが多いので、□□でチラシを配ってみるのがいいと思います。また、値段を下げるなら価格に敏感な主婦を対象にしたセールが有効ではないでしょうか?」と、具体的な答えと理由を用意していました。この2人の違いは「考える方法」にありました。Aさんは、アタマの中だけで考えたのに対して、Bさんは頭の中に出てきたことを書き出し、その紙とにらめっこしながら考えたのです。

Aさんは「考えた」のではなく「なんとなくの案が思い浮かんだだけ」といえます。その思い浮かんだことがアタマの中だけで「あ~でもない、こ~でもない」と、グルグルグルグルと回っているだけ…。Aさんだけでなく、私にも皆さんにも経験があることだと思います。

では、どうすれば「あ~でもない、こ~でもない」の堂々巡りから脱出できるのでしょうか?私の答えは1つ、Bさんのように「書き出す」ことです。これは「アタマの中身を、紙に移動させる」行為だと私は考えています。なぜ書き出すことが大切かというと「書いたものを見ることで、自分の考えを客観的に眺めること」ができるからです。考えたことを客観視することの意味は「自分との対話」ができることにあります。いわゆる自問自答ですね。

たとえば…

「それって、ホンマに正しいんかな?」
「他にも、○○という視点から見たらどうやろ?」
「それなら、○○という考え方もアリやな」
「いやいや、それは違うやろ」
「それって、ひょっとして○○と組み合わせたらええんちゃうん?」
「○○はいらんな」

といった感じです。このように、もう一人の自分との対話を通じて、考えが広がったり深まったりして練り上げられていくのです。つまり、私にとっては「自分との対話」こそが「考える」という行為になります。

「そんなメンドクサイことせんでも、パッとひらめくこともあるやん」とおっしゃる方も多いでしょう。その通りです。ちょっとしたことであれば「思う」レベルの思考でOKだと思います。でも、真剣に取り組むべきことであれば、やっぱり「ちゃんと考える」ことが、とてもとても大事だと思います。その「ちゃんと考える」ために、書き出すことを強く強く推奨します。わざわざ書かなくてもアインシュタインなみのIQをもってすれば、自分との対話ができるかもしれませんが、私のような凡人には至難の業だといえます。私が書くことを大事にしている理由はここにあります。極論かもしれませんが「書くことでしか、人は考えることができない」とさえ思っています。

だから言うんです。
「考えに困ったら、書き出せ」と。

そもそも「考えられない」という人は「何を考えていいのかが、わからない」状態なんだと思います。別の言葉でいうと「考える材料がないから考えられない」ともいえます。で、あれば「考える材料」を作ればいいわけです。材料は「アタマに浮かんだことを書く→見る→考える」のサイクルが回り始めれば、いくらでも作れます。こうしてみると「書くことで考えられ、考えることで書ける」という関係があることにお気づきかと思います。つまり、書くことは考える方法のひとつと言えます。

だから言います。
「書き出せ」と。

最強の思考ツール「具体と抽象」

ここで「考える方法」をもうひとつご紹介します。それが「具体と抽象」です。正確に言えば「具体的に考える」と「抽象的に考える」を行ったり来たりすることです。「なんのこっちゃ?」だと思うので、まさしく具体的に説明していきます。まずは、そもそも「抽象とは何なのか?」についてお話しします。

「あの人の話は抽象的でわかりにくい」と言われることがあるように、私たちは「抽象的」という言葉にネガティブなイメージを抱きがちです。しかし、世の中に抽象的という概念がなかったら、とってもメンドクサイことになるんです。どういうことか、八百屋さんを例にそのメンドクサイ世界を説明してみます。八百屋さんでは野菜や果物を売っていますよね。でも「野菜」という名の商品も「果物」という名の商品もないですよね。あるのは大根とか白菜、人参、ミカン、リンゴなどの「具体的な」品物ばかりです。「野菜」とは、大根とか白菜とか人参とかの具体的なものを「ひとまとめ」にした言葉です。これが「抽象化」です。

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この記事を書いたKLKライター

八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員
吉川 哲史

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

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