室町幕府は京都の室町通りにあったことから、そう呼ばれていますが、幕府を開いた足利尊氏は室町通に住んだことはありません。二条高倉小路付近にあった二条高倉第で政務を行っていたと言われています。
幕府が室町の名前で呼ばれるようになったのは、金閣寺を建てた第3代将軍・足利義満が「花の御所」(室町殿)と呼ばれる邸宅を室町通(正門が室町通沿い)に造ったのが始まりです。敷地は御所の2倍もあり、隣接地には相国寺も建立され、公家に対して武家時代の到来を示したのでした。

歴代の足利将軍が並ぶ

この室町幕府の歴代将軍の木像が勢揃いしている寺院が、京都にあるのをご存知でしょうか?
木像は京都衣笠の麓にある臨済宗天龍寺派「等持院」の霊光殿の中に安置されていて、歴代15人の将軍のうち、第5代将軍・義量と第14代将軍・義栄を除く13人の将軍木像が並んでいます。
等持院は足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎え、衣笠の麓に創建したのが始まりです。尊氏は亡くなるとこの寺院に葬られ、尊氏と義詮時代の幕府の地にあった等持寺も、こちらに移されました。これ以降、足利家の菩提寺となり、霊光殿の中に歴代将軍の像が安置されることになったようです。

この歴代将軍の木像以外に、徳川家康の像もあります。家康が42歳の厄除けのために、石清水八幡宮で祀られていたものですが、明治時代の廃仏毀釈後に等持院へ移されました。
この霊光殿の一番奥には、尊氏の念持仏とも言われている本尊・利運地蔵菩薩があり、その両側には達磨大師像(中国禅宗の祖師)と夢窓国師像が並んでいます。さらに尊氏の墓が庭にあり、歴代将軍の遺髪を葬ったと言われている足利家十五代供養塔も立っています。
寺院に入ると、とても大きな達磨大師の図(衝立)が、大きな目でぎょろりと来院者を出迎えます。愛嬌のある顔ですが、迫力満点なので圧倒されてしまいます。

本堂(方丈)は福島正則が1616年、妙心寺塔頭海福院に建立したもので、その後1812年この地に移築されました。南庭を見渡せる廊下は鴬張りになっていて、安土桃山時代から江戸時代に活躍した狩野興似の襖絵もあります。
庭園は3つあって、南の庭は枯山水庭園で、東西に石が並んでおり、土塀は5本筋の有る筋塀です。これは皇室が出家して住職を務める門跡寺院の証とされ、特に5本というのは最高格式を表します。

残りの2つの庭園は池泉回遊式の日本庭園で、足利尊氏の墓を境にして西庭園と東庭園に分かれています。
西庭は芙蓉池庭園と呼び、夢窓礎石(夢窓国師)によるものではないかとも言われ、池は蓮の形を模して造られています。北面の小高い築山には、清漣亭と呼ばれる茶室があり、茅葺の入母屋造りです。中は長四畳の広さで上段一畳を貴人床とし、眼下から芙蓉池を眺めることができます。その他、西庭には樹齢400年の大きな椿があり、織田信長の弟で茶人の有楽斎(長益)が好んだことから、有楽椿とも名付けられました。

もう1つの東庭には、草書体の「心」の字を模した心字池と呼ばれる池があります。そのほとりには多くのモミジが植えられており、紅葉時期には隠れた名所となっています。等持院の周りは閑静な住宅地で、道路も狭く大型バス等が入れないので、観光客で混雑することもなさそうです。

足利三代の木像梟首事件

この寺院は室町時代から現代まで何事もなく現代に至ったわけではありません。応仁の乱や火災に見舞われ、室町幕府と共に衰退して行きますが、豊臣秀吉が息子の秀頼に命じ、寺院は再興を果たします。その後も紆余曲折あり、幕末には歴代将軍木像の首が盗まれる事件が発生します。1863年足利三代木像梟首事件です。等持院を訪れた尊王攘夷派数人が歴代将軍の木像の見学を申し入れたところ、200文の拝観料を要求されたことに腹を立て、木像の首を盗み、それをさらして攘夷の血祭りにしようと計画します。仲間を集め9人で忍び込み、足利尊氏、義詮、義満の3人の首とその位牌を奪うと三条河原にさらしました。更に「今の世になっても、この奸賊になお超過している者がある。それらの者の罪悪は足利尊氏などよりも、はるかに大きい」という意味を記した立札を立てたのです。この一件は黒谷本陣の京都守護職・松平容保にもたらされます。容保は、これは幕府への当てつけであり、討幕を意味するものだと犯人捕縛を命じ、結局彼らは捕まりました。

日本映画の父・牧野省三

明治時代に入ると更に衰退していき、その塔頭跡地に大正10年、牧野省三が等持院撮影所を建てました。彼は日本映画の父と呼ばれ、日本映画の基礎を築いた人です。
日本初の劇映画「本能寺合戦」を撮影し、人が消えるトリックを忍者映画に採用しました。また、300本以上の時代劇映画を制作し、尾上松之助、坂東妻三郎、月形龍之介など多くのスターを育て上げました。俳優の長門裕之、津川雅彦は彼のお孫さんです。
撮影所は昭和8年まで存続しました。牧野家の墓も寺院内にあり、境内には彼の銅像が立っています。
彼が生前よく口にしていた言葉は「一スジ(シナリオ)、二ヌケ(映像技術)、三ドウサ(役者の演技)」で、今も映画作りの三大原則となっています。

牧野省三の銅像

牧野省三の銅像

この寺院は、龍安寺や金閣寺の有名寺院に囲まれ、これらと比べると目立ちませんが、ここには足利15代の230余年の歴史を物語る貴重な文化財が大事に保管されています。
また、北側には立命館大学のキャンパスがあり、最寄りの駅名はとてもインパクトがあります。「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」で、2020年12月31日まで日本一長い駅名でした。電車は京福電鉄・北野線で、北野白梅町駅から帷子ノ辻駅までを走っており、車両は昭和の時代を彷彿とさせるレトロな1両編成です。昔懐かしい電車の車窓から情緒ある京都の景色を眺め、喧騒を離れた落ち着きのある等持院で室町時代の歴史や風情を味わってみてはいかがでしょうか。

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この記事を書いたKLKライター

KBS京都 常勤監査役
今川 博明


京都市左京区出身。
歴史に興味をもち、関西大学文学部史学科を卒業。
KBS京都(京都放送)に入社、現在は常勤監査役。
京都の史跡を多くの方に伝えたくて、京都史跡ガイドボランティア協会員として活動中。

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