画像提供:京都府立植物園

中井「日本の桜の栽培品種は、ほとんどが江戸時代に生まれたものです。江戸時代は園芸文化が日本に広まった時期なんですね。たとえば殿様が椿が好きだから変わったものを育てて献上するとか。戦がなくなったため、武家たちは園芸で競争して文化が深まりました。熊本の『肥後椿』はそうしてできたもので、100品種以上あります。」

ー平和になったから園芸が発達したんですね。戦より楽しそうで良かったです!

中井「『センリョウ(千両)』『マンリョウ(万両)』も、その名前通りの価値がある植物だったといわれています。園芸文化は武家や公家から町人(商人)へ広がり、世界的にもトップクラスの水準だったんです。たとえば、標準的な桜は花弁5枚なんですが、八重桜は花弁が5枚以上あり、10枚、30枚、50枚、100枚、300枚なんていうものもあります。色も濃いピンク、赤、緑、黄などさまざま。変わった桜ができるたびに、人々は「接ぎ木」の技法を通して後世に命をつなぎ、桜を愛でてきました。

しかし、明治維新でいろんな価値が転換します。日本はそれまでの文化を否定し、植民地にならないように西欧と同じことをせよ、富国強兵だという方針になってしまいます。武家はなくなり、廃仏毀釈でお寺も大打撃を受けました。どちらも多くの桜を育てていた場所だったのに、桜を維持できなくなってしまいました。」

ー桜にかける金銭的・時間的な余裕も、育てる場所もなくなってしまったんですね。

この江戸の終わりごろに、ソメイヨシノができたといわれています。それまでのお花見はソメイヨシノではなかったんです。明治政府は成長が早くて、派手な花が一瞬で散るというソメイヨシノを気に入り、全国の学校や公園に植栽しました。また、第二次世界大戦後も復興のシンボルとして日本中にソメイヨシノが植えられて広まっていきました。

江戸時代の桜品種を守った人々

ー江戸時代にたくさん生み出された桜の品種たちは捨て置かれて、ソメイヨシノだけが広まっていくことになったんですね。

中井「桜品種を残すために力を尽くした人々がいます。まず駒込の植木屋である『高木孫右衛門(まごえもん)』がこの状況を見かねて自分の畑で桜品種を残そうとしました。

つぎに江北(こうほく)村の『清水謙吾』が、荒川堤防の治水工事の際に、高木孫右衛門が残してくれた江戸時代の桜を植えようと発案し、78種の桜を約6㎞にわたって植栽しました。資金は地元住民が出したといわれています。これは「江北の五色桜」と呼ばれて評判になり、一大花見の場所として人気になりました。

近代の桜の権威は『三好学』です。荒川の土手の桜を、絵図と実物を見て1本ずつ調べ、学名をつけて記録しました。これにより多くの桜品種が植物学的に位置づけられたんです。これがあるから、今の私たちはこれらの品種を知ることができます。

ー残した人、植えた人、調査した人、それぞれの想いが多くの桜品種を救ったんですね。

京都府立植物園は1924(大正13 )年に開園しました。大正天皇即位の大典記念で植物園が作られることになり、明治神宮の設計もしている『寺崎良策』を呼んで作ることになりました。その頃、荒川では治水工事をやりなおすため桜の維持ができないという状況でした。桜は小石川植物園や新宿御苑に分植されましたが、寺崎が14代目の佐野藤右衛門に桜を送ります。佐野が増やした桜が京都府立植物園に送られ、多くの桜品種が保護されることになったんです。

ー江戸の桜が、紆余曲折あって京都にやってきたんですね!200品種も持っている理由がわかりました!!

京都の桜品種

画像提供:京都府立植物園

中井「平野神社や御室桜など、京都にも桜の名所がいっぱいあります。しかし江戸由来のものと比べたら、来歴がわからないものが多いんです。京都府立植物園はこのような品種の調査も行っています。

『オオハラナギサ(大原渚)』という京都府立植物園でずっと栽培されてきた品種があります。名前はついていますが、どのようなものかよくわかっていなかったんです。DNAを調べたら、なんと新宿御苑の『ミギワザクラ(汀桜)』と同じものでした。

大原の寂光院には、平家物語に出てくる『汀桜』があります。後白河法皇が建礼門院を訪れた時に詠んだ和歌『池水に汀の桜散り敷きて  波の花こそ盛なりけれ 』に出てくるものです。実際、寂光院に桜を見に行ったら、なんと『汀桜』と『オオハラナギサ』の花びらが同じだったんです。このように、品種のきちんとした位置づけも植物園の役割のひとつです。」

ー植物園と新宿御苑と寂光院にそんなつながりが!探偵みたいです。
伊達政宗のモッコク(木斛)

伊達政宗のモッコク(木斛)

中井「また、京都の神社仏閣の有名な古木のクローンをつくり、それを植物園で預かって栽培展示しています。万が一オリジナルに何かあった時にはお返しできるように準備しています。これは伏見の海宝寺の『モッコク(木斛)』で、伊達政宗が手植えしたといわれている古木のクローンです。」

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