今年も祇園祭の季節がやってきました。
まだちょっと早いんやないか?とか、祇園祭の季節って日本語おかしいやろ!?と言われるかもしれません。
でもこんなヘンな言葉から始めたのには訳があります。祇園祭は山鉾巡行だけでなく7月1日から7月31日までいろいろな神事や行事があるということは今や京都人だけでなく、観光情報やSNSで多くの人が知るところとなりました。この見る人の旬とは時差をもった旬といえる季節がもう担い手にはやって来ているのです。
7月に入ると四条通には提灯が灯り、鉾が立ち祇園祭ムードが盛り上がってきます。そして見る人にとってのワクワク度のピークはやはり宵山でしょうか。宵山そのものを目的に来る人もおられれば、明日明後日の巡行に思いを馳せて気持ちが昂る方もおられるでしょう。一方で担い手側の心の宵山は5月6月なのです。関係団体間の本格的な連絡会議が始まったり、粽の準備をしたり、八坂神社の祇園祭にゆかりの神事や、表にはでないお稚児さんの行事も始まっています。7月に入ればあとは走るだけで、この5月6月こそが担い手にとって心ときめきワクワクする宵山なのです。
祇園祭が続いてきたわけ
ところで祇園祭の中心ともいえる山鉾は34基あります。巡行でくじ取らずの長刀鉾がやはり一番人気のようです。しかし知名度の高い鉾や山だけでなく、34の山鉾が、3つの神輿が、花傘が鷺舞がと、祭りが複層的に斎行されるからこそ1か月にわたる祇園祭のストーリーが完成するのです。なぜ山鉾が巡行するのかという壮大なロマンともいえるストーリー。そのストーリーを紡いでいるのが八坂神社であり、34基の山鉾であり、3基の神輿であり、花傘であり、それらにかかわる祭り人の情熱です。
私は祇園祭が1150余年も続いてきたのは、京都という小さなムラ社会の大きな祭りだからだと考えています。自治精神が旺盛であり、市内中心部が両側町であった歴史や、本音を明かさないとか、プライドが高いとかいわれる気質をもつ京都の人と町が競い合って繋げてきたのが祇園祭です。時勢や権力者(政権や社寺)の気まぐれさえも呑み込んでここまで続いてきました。
祇園祭を担う団体
さて担い手としてさまざまな団体が関わる祇園祭ですが、氏子各学区にある清々講社は祭を助成する団体として除外するならば、並列で存在する団体は34基の山鉾の保存会と、3つの神輿会同士の関係だけでしょうか。花傘巡行や鷺舞を行う祇園万灯会には並列して存在する単会は存在しませんし、もちろん数々の神事を主催する八坂神社にも祇園祭において並列する組織はありません。しいていえば八坂神社と山鉾連合会は祇園祭の多面性を思うと二元的な主催者として並列とされうる団体かもしれません。
並列する団体の話をしたのはそこにはお互いのライバル心があるからです。京都人は格子戸の内からお向かいの家をそっと覗いているなんて言われますが、少なくとも34基の山鉾と3つの神輿においてはお互いにそんなことがあるように私は思っています。揶揄ではなく、そのライバル心こそが祇園祭を1150年続かせてきた原動力であり、現代においても見る人が「おぉ~」と感嘆のため息を漏らす山鉾の辻廻しや神輿振りはこのライバル心とその源泉となるそれぞれの矜持なしにはありえません。
100年後に祇園祭を伝えるために
KLKは次代に伝えるべき京都を発信してゆくことを旨としています。祇園祭に関わる多くの団体の成り立ちや、それぞれが大切にしているモノやコトをつまびらかにして繋いでゆくこともその使命と考えています。そこで今年から毎年いくつかの祇園祭にかかわる団体をとりあげ、それをKLK新書として書籍化して次代へ残してゆくことにしました。
ガイドブックや公式サイトでも載っていない山や鉾の歴史や懸装品の特徴、保存会の運営のあり方など100年先にも伝え繋げたいプロトコルを、そしてその行間から溢れる担い手の矜持までを読み取っていただければ幸いでございます。今年の祇園祭がより多くの人々の心を掴めますよう、そして完成した本が100年先の祇園祇園祭への贈り物となりますように、この祇園祭の季節から発信を始めます。さて1番目はどこからでしょうか、どうぞご期待くださいませ。
令和6年5月
KLK編集長 吉川忠男