まず「オハケ」って知ってますか?

今回は祇園祭をご覧になるにあたり、見方が変わるようなお話を一つ。「オハケは本当に依代なのか。」これが今回のテーマです。
まず「オハケ」とは何か。7月17日の夕刻、八坂神社を出発した神輿が四条寺町の御旅所に向かい、一週間奉安(置くことです)されます。その神輿が八坂神社に戻るのが7月24日。いわゆる還幸祭です。
神輿が八坂神社に戻る途中、三基の神輿全てが「又旅社」と言うもう一つの御旅所に向かいます。又旅社は三条通の堀川から千本にかけてアーケードが続く、京都三条会商店街の中に鎮座するお社です。

京都三条会商店街振興組合様奉納の横断幕

京都三条会商店街振興組合様奉納の横断幕

ちなみに私の字を採用していただきました。

又旅社

又旅社

商店街内の赤い鳥居が目印です。

その又旅社では24日に神輿が到着するのに先立ち、境内の前に芝生を敷いて注連縄を張り、3本の御幣を立てます。これが祇園祭における「オハケ」です。

又旅社前のオハケ

又旅社前のオハケ

又旅社は現在三条黒門の角に鎮座し、そこは祇園御霊会発祥の地とされる神泉苑のかつての南端にあたると言われています。神泉苑は現在の広さよりももっと広大だったのですね。

又旅社位置関係図

又旅社位置関係図

水色部分は現在の神泉苑の位置を表し、緑色部分はかつての神泉苑の敷地を表しています。

ですので、オハケの芝生は神泉苑の水辺を表すとされます。そして3本の御幣は神の依代だと説明されます。はい出ました。今回のテーマ「依代」です。

依代って何ですか?

では依代とは何か。依代とは神が宿るもので、榊のような常緑樹であったり、岩や石であったり形状は様々です。
祇園祭の山鉾巡行に登場する山や鉾には例外もありながら山ならば松、鉾ならば真木と呼ばれる、先端に各鉾のシンボルが付いたとても長い部材が見られます。この松や真木はよく、疫病を流行らす疫神を集めるための依代であると説明されます。祇園祭の山鉾は松や真木を依代として疫神を集めながら、祇園囃子の音色や趣向を凝らした品々を伴い巡行することにより疫神の心を慰め、悪さをしないようにするというのが「通説」です。

ですがこの依代という言葉、いつから存在するかご存じでしょうか。神道の用語として古くからありそうですよね。しかし実際は大正時代以降の言葉です。日本の古代文化研究の大家である折口信夫(おりくちしのぶ)が大正4・5年に発表した論文「髯籠(ひげこ)の話」で初めて登場した折口の造語、つまり折口が作った言葉なんです。

今は松や真木を見て「これは依代でね・・・」と説明されますが、折口の論文が発表されるまではそのような説明はできなかった訳です。
そうなりますと、松や真木が依代であるというのは折口の「解釈」であって、実はそうではないという可能性も出てきます。しかし、この点についてはあくまで可能性であり、依代ではないと断言できるものではありません。ましてや祇園祭の山鉾は各ご町内のもの。私は八坂神社の人間ですので山鉾町の方々の解釈にまで立ち入るのは憚られます。

神様に移動していただく方法とは?

ですので祇園祭においてもう1つ、依代と見做されている又旅社の「オハケ」について考えてみます。オハケの御幣が依代ならばそこには神が宿るはずです。では御幣に宿る神々はどなたか。

御幣が3本立ちますので3基の神輿に乗られている神々が宿るという解釈が妥当かと思われます。しかしここで問題があります。神輿に乗られている神様は「遷霊(せんれい)」という儀礼を行なわない限り、別の所には移動されないのです。これは7月17日神輿が四条寺町の御旅所に到着(着輿・ちゃくよ)した際に、神輿にいらっしゃる神様を御旅所へお遷(うつ)しする時と、7月24日神輿が御旅所から出発(発輿・はつよ)するにあたり御旅所にいらっしゃる神様が神輿へご移動される際に神職が行う神事です。

御旅所(四条寺町)にての発輿祭

御旅所(四条寺町)にての発輿祭

神様が神輿にお乗りになる神事です。

神輿へのお供え

一方、又旅社では神様が御幣に宿られるような儀礼をしていません。神輿の中でも1番始めに又旅社に到着する中御座神輿が又旅社前に着くと、「又旅社奉饌祭(ほうせんさい)」が斎行されます。 
これは神輿に乗られている神様に対し、お供えをする神事です。神輿が奉安され、担ぎ手が離れた瞬間に神事が始まります。

又旅社奉饌祭

又旅社奉饌祭

又旅社境内から神輿に対して神事を行います。

この時、又旅社境内から神輿の神様に対してお供え物(神饌・しんせん)を供えるため、又旅社の本殿に祀られている神様(素戔嗚尊様・櫛稲田姫命様・八柱御子神様。つまり3基の神輿に乗られている神様と一緒です。)に対して背を向けての神事となります。

この状況、私は神輿に乗られた祇園の八坂神社の神様と又旅社の神様が1年に1度だけお会いになる瞬間だと思っています。神事の間、神輿の神様と社殿の神様の間にはさまれ、包まれている感覚です。
神事が終了し、神輿会の皆様の休憩も終わると再度出発するのですが、その間神様を御幣に遷霊することはありません。これは他の2基の神輿でも同様です。

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この記事を書いたKLKライター

八坂神社 権禰宜
仲林 亨

昭和54年生まれ。愛知県豊田市出身(非社家)。
龍谷大学哲学科に入学するため京都へ。哲学を学ぶはずが寺社に興味を持ち宗教研究を志す。
関西大学大学院比較宗教学専修に進み、三条小鍛治宗近の伝説を題材とした「刀鍛冶の信仰」を修士論文として提出。その後、山科区にて塾講師となるも色々あって神職になるため三重県伊勢市の皇學館大学神道学専攻科に入学。平成20年より八坂神社に奉職。現在は学術分野を担当し、各種講演や参拝者への講話を行なうと共に、国宝である御本殿を始めとした文化財保護に携わる。令和6年京都芸術大学の通信教育課程にて学芸員資格を取得。
『祇園祭 温故知新』(令和二年、淡交社発行)に講演録「戦中・戦後の祇園祭」が収録されている。

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昭和54年生まれ。愛知県豊田市出身(非社家)。
龍谷大学哲学科に入学するため京都へ。哲学を学ぶはずが寺社に興味を持ち宗教研究を志す。
関西大学大学院比較宗教学専修に進み、三条小鍛治宗近の伝説を題材とした「刀鍛冶の信仰」を修士論文として提出。その後、山科区にて塾講師となるも色々あって神職になるため三重県伊勢市の皇學館大学神道学専攻科に入学。平成20年より八坂神社に奉職。現在は学術分野を担当し、各種講演や参拝者への講話を行なうと共に、国宝である御本殿を始めとした文化財保護に携わる。令和6年京都芸術大学の通信教育課程にて学芸員資格を取得。
『祇園祭 温故知新』(令和二年、淡交社発行)に講演録「戦中・戦後の祇園祭」が収録されている。
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