祇園祭の山鉾や神輿などをテーマにひとつずつ取り上げていくという、今までなかった新書「100年後に伝えたい祇園祭」シリーズの1作目「100年後に伝えたい祇園祭 郭巨山」が出版されます。
これを記念して、八坂神社と公益財団法人 郭巨山保存会との特別対談が行われました。
ほかでは知ることができない祇園祭について、聞かせてもらいましょう。
八坂神社と郭巨山保存会
祇園祭とは
「祇園祭は京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ、御霊会)と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く京都の夏の風物詩である。祭行事は八坂神社が主催するものと、山鉾町が主催するものに大別される。」(Wikipediaより抜粋)
例年、7月17日の朝から昼にかけて京都市内を山鉾23基が巡行し(前祭)、夕刻に八坂神社から四条御旅所に神輿が渡ります。神輿はそのまま御旅所に1週間駐輿します。そして7月24日の朝から昼にかけて山鉾11基が巡行し(後祭)、夕刻に神輿が八坂神社に還ります。
八坂神社(3基の神輿)と山鉾連合会(各山鉾保存会)の34基の山鉾が別々に斎行されている祇園祭ですが、コロナ禍で山鉾巡行が中止になった2021年の祇園祭では、山鉾連合会と各山鉾保存会の役員が御旅所を目指して榊巡行をされたように大きな祇園祭は一体のものであると考えられます。
八坂(やさか)神社とは
「平安京遷都(794)以前より鎮座する古社で、「祇園さん」と呼ばれ親しまれております。主祭神の素戔嗚尊(すさのをのみこと)はあらゆる災いを祓う神様として信仰されており、境内には数多くの神様をお祀りしております。全国約2,300社鎮座する八坂神社、祇園信仰神社の総本社です。」
(八坂神社HPより)
公益財団法人 郭巨山保存会とは
郭巨山は京都市下京区の郭巨山町に建つ担ぎ山です。
「郭巨山が文献に初めて登場するのは応仁の乱後、祇園社記の明応九年(1600)」(郭巨山保存会HPより)
公益財団法人 郭巨山保存会は平成30年5月に認定を受け、郭巨山の祭事を運営しています。
祇園祭は、八坂神社と山鉾連合会のそれぞれが主催するものなどが合わさって成立しているお祭りで、山鉾の1つとして郭巨山があります。
聞き手は八坂神社中御座三若神輿会の役員でもあるKLK編集長の吉川忠男が務めます。この対談はあえて話し言葉のまま掲載しております。対談の雰囲気も合わせてぜひお楽しみください。
なぜ山と鉾があるのか
ー「山鉾」と呼びますが、山と鉾には違いがありますよね。鉾の方が注目を浴びがちですが、山には山の誇りがあると思います。平岡さんはどのようにお考えでしょう。平岡「わたし個人の見解としては、町衆が長い歴史のなかで力を持ち出したから祇園祭が生まれたと思っています。山鉾が立っている地域は、かつての日本の商売の中心地ですよね。それなりに財力があるけれど為政者からはしいたげられている商人たちに、良い思いをさせてやろうというのがお祭りの裏側かなと思っています。
道もいまほど広くなく色々な制限がある中で、旦那衆が良いものを自慢できる飾り付けをして立派な鉾や山をつくったんじゃないかと。そして鉾ほど財力がないところは小ぶりの山になったのかなと思っています。だから山には、ゆくゆく鉾にしたいという気持ちがあったのではないでしょうか。
その過渡期として郭巨山には屋根があります。ご神体を守る意味も大きいと思いますが。少しでも大きくなりたい、屋根のある立派なものにしたいという気持ちがあったんじゃないかと考えています」
平岡「天明の大火での罹災から復興を果たした、寛政5(1784)年から屋根が用いられたと思われます」
野村「山から鉾にかわったという歴史は残っているんですか?」
平岡「どこの山がどう変わったというのはちょっと分かりませんね・・・」
野村「もともと祇園祭は矛66本からはじまったので、最初に山はなかったんですよね。矛が減って山になったわけです、誰がそうしたかは分かりませんが。
鉾と山は異なっていて鉾は真木に剣先、山は松の木で、太子山だけが杉の木を使ってます。なんらかの目的があって、そういうふうにしたんだとわたしは思っています。
鎌倉時代の終わりごろは、陰陽師の発想がだんだん変わっていった時代です。鉾に山が加わったのは陰陽師の考え方が変わったのではないでしょうか。鉾の中に山を増やして、都の気の流れを変えて前祭後祭で整えて、空気中の水分子を浄化するという考えになったのではないかと思っています」
祇園祭と信仰心
ー氏子さんの昔と今の、信仰心であるとか祇園祭に対する思いとか、八坂神社に対する崇敬のお気持ちの変化を感じられることはありますか?野村「時代の流れや、組織・行政の考え方によっても変わってくると思いますが、昔は『座』とか祇園さんに許しをもらってやってることがあったから、氏子は神様中心に動いていたのではないでしょうか」
ー経済的利権と神社信仰は表裏一体でしたものね。今は中世の商業的な利権が失われているのに、これだけ八坂さんへの信仰心が強く維持されているのは素晴らしいのではないかと思うのですが、どうお思いですか?野村「祇園町が栄えてきたのは江戸時代からです。 それまでは洛中のなかでの信仰ですね。もともとはここには何もありませんでした。江戸時代の記録があまり残ってないのではっきりしたことが言えないのですが。
平岡さん、山鉾町は隣の町のことはわからないと言いますが、実際どうなんでしょうか?」
平岡「結局、自分とこのお祭りをやるだけで精一杯なんです。お祭りの時間は郭巨山に張り付いてるから、ほかの山鉾がどんなお飾りをされているのかも知りません。ただ、うちのメンバーの中には特別興味がある者がいて、よそのお飾りなども勉強させてもらってますね」
ー今回、本の執筆に大きく貢献された、副理事長の小林さんですね。平岡「わたし自身が信仰心が薄いのか分かりませんけど、同志社出身なのでキリスト教のプロテスタントなんですね。わたしの中には神さま仏さまイエスさんがおられまして、ごちゃごちゃになっています(笑)
初詣に行き、お宮参り・七五三・結婚式では本殿でお祓いを受けますし、仏事もやる。日本人独特の変な宗教観かもしれません。ただ、祇園祭については八坂さんのお祭りです。
山鉾巡行はあくまで町衆のお祭りでイベントでしかないものですが、お神輿はまた全然ちがうものだと感じています。ご接待でお神輿さんが来られたら羽織袴でお迎えさせていただいています。郭巨山では山鉾巡行だけ裃(かみしも)を着ますが、その他は袢天(はんてん)やTシャツでうろうろしています。神輿と山鉾は格式がまったく違うものだと思っています。
山鉾巡行では、郭巨山町を出て、四条烏丸で心を改めて、いよいよ八坂さんに向かって巡行開始。くじ改めの後、目的地の御旅所で神様のお越しを願って遥拝させていただき、四条河原町で改めて、全員揃って一礼。ここまでがお祭りだと思っています。
河原町に入ったとたんに観光行政への協力と、楽しみの時間だと思っています。
隊列も変わって、後ろに付いていた人間が前へ来れるようにします。緊張も解けて全然気分が変わりますね。お囃子も河原町でテンポが変わって戻り囃子になります」
野村「歴史の流れで、行政の力で仕方なく神仏分離になってしまいましたが、神と仏とまた龍神がいっしょになって疫病を鎮めていた時代が1000年くらいあります。まず形を戻してから、信仰を探っていきたいなというのが今の想いです。どうだったかはやってみないとわからないですが、良い形になればいいなと。今は神主がやってますが、昔は僧侶の方がいろんな神事もされてました」
ー南観音山の暴れ観音もしかり、祇園祭の中でも色んな宗教が混淆してますね。100年後の祇園祭に向けて
ー郭巨山さんは釜掘故事の親孝行というテーマのかたわら、ちまきに小判がついていて金運UPというご利益があって人気なんですよね。わたしもそれを目的に買ってしまったりはするんですが(笑) 観光客の方に、本来伝えたい儒教のテーマではなく短絡的な現世利益の方ばかり人気になるというのはどうにかならないかなぁと思っています。宮司さんは祇園祭の商業化についてどのようにお考えでしょうか?野村「神様を利用して金儲けに走ることの線引きは難しいですね。ちまきを転売して高値で売るとかは本末顛倒です。
祇園祭は疫病を鎮める祭りであったのに、経済効果を求める人が増えてしまったため疫病が鎮まらなくなったから、神様がコロナで祭りを止めたと思っています。
祭りができない2年間を経験し、祭りができることは有難いことだというのを実感するためのコロナだったと思います」
平岡「観光で来られる方はお祭りを見に来られるわけですけど。やってる方としては100年後も変わってほしくない神事です。心清らかにお祭りをさせていただくことは守っていきたい。そもそもイベントではなく神事だということをご理解いただいてご覧いただきたい。これは観光客だけでなく。やる人間もそうでないといけませんね」
野村「平岡さんが言われているように、祇園祭は神事なので変わってほしくないものです。疫病鎮めという目的が、経済効果を求める祭りに変わらないようにというのは気を付けなければいけません。100年後に向けてこの考え方は変えてほしくないです。祇園囃子がブラスバンドやイルミネーションのパレードにはなってほしくはありません。
神輿や山鉾の役目、なぜ疫病を鎮めるために牛頭天王がいらっしゃるのかなど、問題意識を掘り下げて見ていただいたらもっと楽しくなりますよ。わたしは祇園祭を、今度疫病が流行ったとき、乗り越えられるような仕組みにしていきたいです。」
対談を終えて
今回の対談では、本やWEBではなかなか知ることができない話を惜しげもなく聞かせていただきました。Kyoto Love. Kyoto編集部では、今回の対談であったお話のように、祇園祭を100年先まで伝えさせていただくためにできることとして「100年後に伝えたい祇園祭 郭巨山」を出版いたしました。
なんと、1冊まるまる郭巨山の内容です!郭巨山保存会の方が後世に郭巨山を伝える際に、助けになる本を作りたいと思って企画しました。これからも他の山鉾を主役にしたシリーズの発刊を予定しております。目標は全山鉾や神輿、祇園祭関連行事の全巻発刊です!!
機会があれば是非読んでみてくださいね。
1000年を超える歴史のある、世界遺産 京都 祇園祭。郭巨山公式の粽(ちまき)・手ぬぐい販売サイトです。祇園祭期間中に現地でしか購入できない粽(ちまき)をいつでも購入することができます。34基ある山鉾の一つ郭巨山。祇園の八坂神社を中心に、7月1日の月次祭並長刀鉾町御千度から、7月31日の疫神社夏越祭まで、1ヶ月間の間執り行われる神事を幾世代にわたって守り、次の千年に受け継ぐのが我々郭巨山保存会です。
KLK Storeや大垣書店の一部店舗(京都市内)、公益財団法人郭巨山保存会のオンラインストアで購入でき、収益の一部は郭巨山保存会に還元されます。