令和六年祇園祭対談 八坂神社宮司 野村明義氏×公益財団法人郭巨山保存会 代表理事 平岡昌高氏 ~100年後に祇園祭を伝えるために~
祇園祭と信仰心
野村「時代の流れや、組織・行政の考え方によっても変わってくると思いますが、昔は『座』とか祇園さんに許しをもらってやってることがあったから、氏子は神様中心に動いていたのではないでしょうか」
野村「祇園町が栄えてきたのは江戸時代からです。 それまでは洛中のなかでの信仰ですね。もともとはここには何もありませんでした。江戸時代の記録があまり残ってないのではっきりしたことが言えないのですが。
平岡さん、山鉾町は隣の町のことはわからないと言いますが、実際どうなんでしょうか?」
平岡「結局、自分とこのお祭りをやるだけで精一杯なんです。お祭りの時間は郭巨山に張り付いてるから、ほかの山鉾がどんなお飾りをされているのかも知りません。ただ、うちのメンバーの中には特別興味がある者がいて、よそのお飾りなども勉強させてもらってますね」
平岡「わたし自身が信仰心が薄いのか分かりませんけど、同志社出身なのでキリスト教のプロテスタントなんですね。わたしの中には神さま仏さまイエスさんがおられまして、ごちゃごちゃになっています(笑)
初詣に行き、お宮参り・七五三・結婚式では本殿でお祓いを受けますし、仏事もやる。日本人独特の変な宗教観かもしれません。ただ、祇園祭については八坂さんのお祭りです。
山鉾巡行はあくまで町衆のお祭りでイベントでしかないものですが、お神輿はまた全然ちがうものだと感じています。ご接待でお神輿さんが来られたら羽織袴でお迎えさせていただいています。郭巨山では山鉾巡行だけ裃(かみしも)を着ますが、その他は袢天(はんてん)やTシャツでうろうろしています。神輿と山鉾は格式がまったく違うものだと思っています。
山鉾巡行では、郭巨山町を出て、四条烏丸で心を改めて、いよいよ八坂さんに向かって巡行開始。くじ改めの後、目的地の御旅所で神様のお越しを願って遥拝させていただき、四条河原町で改めて、全員揃って一礼。ここまでがお祭りだと思っています。
河原町に入ったとたんに観光行政への協力と、楽しみの時間だと思っています。
隊列も変わって、後ろに付いていた人間が前へ来れるようにします。緊張も解けて全然気分が変わりますね。お囃子も河原町でテンポが変わって戻り囃子になります」
野村「歴史の流れで、行政の力で仕方なく神仏分離になってしまいましたが、神と仏とまた龍神がいっしょになって疫病を鎮めていた時代が1000年くらいあります。まず形を戻してから、信仰を探っていきたいなというのが今の想いです。どうだったかはやってみないとわからないですが、良い形になればいいなと。今は神主がやってますが、昔は僧侶の方がいろんな神事もされてました」
100年後の祇園祭に向けて
野村「神様を利用して金儲けに走ることの線引きは難しいですね。ちまきを転売して高値で売るとかは本末顛倒です。
祇園祭は疫病を鎮める祭りであったのに、経済効果を求める人が増えてしまったため疫病が鎮まらなくなったから、神様がコロナで祭りを止めたと思っています。
祭りができない2年間を経験し、祭りができることは有難いことだというのを実感するためのコロナだったと思います」
平岡「観光で来られる方はお祭りを見に来られるわけですけど。やってる方としては100年後も変わってほしくない神事です。心清らかにお祭りをさせていただくことは守っていきたい。そもそもイベントではなく神事だということをご理解いただいてご覧いただきたい。これは観光客だけでなく。やる人間もそうでないといけませんね」
野村「平岡さんが言われているように、祇園祭は神事なので変わってほしくないものです。疫病鎮めという目的が、経済効果を求める祭りに変わらないようにというのは気を付けなければいけません。100年後に向けてこの考え方は変えてほしくないです。祇園囃子がブラスバンドやイルミネーションのパレードにはなってほしくはありません。
神輿や山鉾の役目、なぜ疫病を鎮めるために牛頭天王がいらっしゃるのかなど、問題意識を掘り下げて見ていただいたらもっと楽しくなりますよ。わたしは祇園祭を、今度疫病が流行ったとき、乗り越えられるような仕組みにしていきたいです。」
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