「こんちきちん」は祇園祭の代名詞
コンチキチンという鉦の音色が聞こえてくる。言わずと知れた祇園囃子である。正しくは、コンコンチキチン、コンチキチンであるが、長いので、その最後のフレーズである。京都の夏の音である。京ことばとしての「こんちきちん」は、オノマトペから生まれた祇園祭を表す代名詞である。
この「こんちきちん」は老若男女を問わず、京都の人なら誰もが知っている。京都では、7月も近づくと、粽づくりなど祇園祭に関わる話題が上り、「もう『こんちきちん』やな」などという声が聞かれ出し、7月に入った途端、一気に暑さも加わった祇園祭となる。
この「こんちきちん」という音色を掛けたことばもある。客商売で客が来ないことを「来ぬ」と掛けて言うのである。「今日は客が『こんちきちん』やな(今日はお客さんが来ないな)」などと言うが、なぜか祭りの賑わいで、その悲壮感も打ち消されているように感じる。
壬生狂言の屋号は……
こんなオノマトペから生まれた京ことばもある。それは、「かんでんでん(がんでんでん)」ということばである。
このことば、壬生狂言(壬生大念仏狂言)の鳴り物の音から生まれたものである。壬生狂言は、お囃子に合わせて、身振り、手振りだけで、無言で演ずるので、その鉦や太鼓、笛は、見物人にとってはインパクトが強い。大鉦の下を木槌でカンと打つと、続いて隣の太鼓がデンデンと叩かれる。実際には、そのあとに笛が続くが、低音なので、見ている人には、ほとんどカンデンデンとしか聞こえない。
その音が、今度は壬生狂言の代名詞となって「壬生さんの『かんでんでん』」と呼ばれている。しかし、祇園祭の「こんちきちん」ほど有名ではなく、壬生の辺りの、いわゆる屋号のような呼ばれ方とでも言えそうである。
寒行の坊さんは、「ほーさん」それとも「おーさん」
次のオノマトペは、「ほーさん」である。季節は寒の時である。
その時季、寒行で、托鉢の禅僧、雲水というが、京都では「かんぼんさん」と呼んでいる。その坊さんは、「ホー(法)」と唱えて市中を歩き回るので、「ほーさん」と言ったが、子どもはオーとしか聞こえないのであろうか、「おーさん」と呼んでいる。私もそう呼んでいた。
幼いころは西陣に住んでいたので、大徳寺の僧がよく回って来たのを思い出す。寒さでピーンと張り詰めた空気の中、腹の底から出されたホーという声は、モンゴルのホーミーを思い出させてくれる。祖母に「『ほーさん』来はった」と言うと、小銭を用意してくれる。それを渡していた。
あの声を聞くと、藁草履を履いた素足があかぎれのように腫れあがった「かんぼんさん」の姿を思い出す。しかし、最近の僧は、目的地までバスに乗り、しかも後方に座り、網代笠に携帯を隠して見ている僧を見かけたことがある。時代は変わったと思った瞬間であった。
町中で重宝していた床几
今ではもうほとんど見なくなったが、町中では軒先に「ばったりしょうぎ」という折りたたみ式の床几があった。夕涼みに使ったり、子どもが遊ぶために使ったり、ある時などは、野菜を干したり、商品を置いて商売用に使ったりと、様々な用途に使われた。
それでいて、不要な時は留め金を使って「なおし(直す)」ておくのである。家に備え付けられて、収納できる床几といってもいい。脚が折りたたみ式で、しかも軒先にあるので、雨も防げる。そして、格子戸とすごくマッチしていた覚えがある。この床几を上げ下げするさまがバッタリという擬態語なので、「ばったりしょうぎ」と命名されたのであろう。
ところで、「なおす」という京ことばは、片付けるという意味である。「本を『なおし』といて」などと言えば、出した本を片付けておいてということになるが、学校で教えていたころ、子どもたちがどこを修理するのなどと騒いでいたことを思い出した。
オノマトペから生まれた昆虫名
バッタの中でハタオリバッタというバッタがいる。正しくは、ショウリョウバッタで、特徴としては、頭部が尖っている。後肢の脛節を左右揃えてもつと、関節をばねのようにして体を動かす姿が機を織っている姿に似ているからハタオリバッタという。
私も子どものころ、捕まえては機を織る姿をさせた。このハタオリバッタのことを「はたはた」と呼ぶ。「『はたはた』捕まえて機織りさせよか」などと言っていた。それは飛ぶときにハタハタという音をたてて飛ぶからである。
また、黄金虫はブンブンいう音をたてながら飛ぶことから、「ぶんぶん」と言っていた。「『ぶんぶん』に糸つけて飛ばそか」などと言っていた覚えがある。
さて、最後になるが、蝉のヒグラシ(蜩)の鳴き方である。ヒグラシは字のごとく、夕方や夜明け前の薄暗い時間帯に鳴く蝉である。京都の中心部では、カナカナという鳴き方から「かなかな」と呼んでいる。
「『かなかな』が鳴き出したな」と言っているが、八瀬や大原では、それぞれ「けちけち」、「けねけね」と呼んでいる。私は一乗寺住んでいるので、大原(鯖)街道沿いにある一乗寺、修学院、そして、八瀬、大原と隣り合う地域で、現在のヒグラシをどう呼んでいるのかをフィールドワークしてみるのも面白いだろうなと考えている。