天明5年(1785)に新調した胴掛類、約200年が経過し刺繍に傷みが出始めた昭和後期から順次新調作業に入った。
胴掛類の新調は高額なため国庫補助事業となり国が5割、残りを府・市・地元で3分の1を負担。昭和37年(1962)に重要有形民俗文化財の指定を受けたための補助だが指定当時の姿を維持しなければならない制約がある。復元新調が先ず考えられるが、その時点での文化、技術を後世に残すことも重要であるため、二者の選択をせねばならない。
昭和52年(1977)巡行用後掛と常用胴掛にペルシャ絨毯を購入。
昭和53年(1978)桔梗、萩、朶が描かれた上村松篁画伯原画「秋草図」綴織前掛を掛けての巡行を機会に御山四面を上村松篁による春夏秋冬で飾ることを計画、順次実行に移す。
昭和54年(1979)蘆北山人橋本循賦詠、裏千家家元千宗室(当時)揮毫の漢詩「郭巨山」刺繍見送が寄贈された。
昭和56年(1981)イランの伝説的英雄6人を描いたペルシャ絨毯(19世紀初頭トルコ系イラン遊牧民族カシュガイ製作)が吉田光邦京都大学人文科学研究所教授(当時)から寄贈された。
昭和56年(1981)には染色作家皆川月華製作の「昇り龍図染彩」見送が寄贈された。この見送には専用の大房金物、裾房金物が装着される。
昭和58年(1983)「夏」を表す杜若と白鷺を描いた上村松篁原画の「花の汀図綴織」左胴掛を新調した。同年に新調した御人形衣装の寄付を制作費に当て、裏側に寄付者のお名前を墨書している。
昭和62年(1987)「冬」を表す雪持竹の下で吉祥を表すオシドリが春を待つ上村松篁原画の「雪持竹と鴛鴦図綴錦」右胴掛を新調。
平成3年(1991)「阿国歌舞伎図」後掛を新調。原画は京都国立博物館所蔵の重要文化財で桃山時代の初期歌舞伎の観劇の状況を伝える祇園祭懸装品最初の風俗画である。
平成6年(1994)上村松篁原画の「万葉の春」から「都の春」綴錦見送を新調。万葉美人に緋桃と菫が描かれている。
八坂神社に大絵馬奉納
御神体大人形郭巨殿の御衣装は萌黄蜀江文様金襴筒袖小袖、萌黄蜀江文様金襴袴、花色地鉄仙花金襴道服、花色地鉄仙花金襴前掛、水色縮緬牡丹唐草文金襴帯、襦袢、当帯があり、御童子の御衣装は赤地蜀江錦金襴筒袖唐子衣装、赤地蜀江錦金襴袴、黒地羅紗鉄仙唐草金刺繍両襠、襦袢がある。
昭和56年(1981)それまでの御衣装(寛政復興時)に傷みがでていたので新調することになり、広く市民から寄付を募り新調し、本殿前の舞殿にてお披露目した。記念に八坂神社絵馬堂に寄付者のお名前を書き中央に上村松篁画伯直筆の「郭巨山巡行図」を掲げた大絵馬を奉納した。
八坂神社絵馬堂は四条通の東端(いわゆる祇園石段下)、重要文化財の西楼門から本殿の北側の円山公園へ抜ける境内にあり、参道から絵馬堂に向かって右の端に郭巨山の奉納した絵馬が一際大きく掲げられている。
郭巨山 巡行時の懸装品(けそうひん)
郭巨山の四面を飾る胴掛、見送は天明5年(1785)新調の胴掛と文化13年(1816)新調の見送の組み合わせと、昭和~平成に上村松篁画伯原画の春夏秋冬の二つの組み合わせがある。どちらも当時の文化を後世に残すための第一装の取り扱いである。
ただ、特別なときには入れ替えたりしている。平成3年(1991)、後掛を新調した年は通常見送に隠れて見えないため敢えて見送を懸けずに新調した後掛をご披露したり、平成14年(2002)は阿国歌舞伎400年に当たり阿国歌舞伎図後掛を前掛にしたりして巡行した。
令和5年(2023)は見送「漢詩文」の揮毫をされた裏千家家元千宗室(当時、現在は玄室)満百歳をお祝いして「漢詩文」見送を懸けて巡行した。
本書発行の令和6年(2024)は辰年に当たるため「昇り龍」見送を懸けて巡行する予定である。