今年は例年にない暑さであった。しかも早い時期から真夏日が始まり、何度熱中症アラートが発令されたかわからない。今年ほど秋が待ち遠しい年はなかった。しかし、秋が来ると、あの暮れゆく夕暮れほど寂しさを増すものはない。これが日本の良さなのかもしれないとつくづく感じる。この四季に彩られたことばを持つのが京ことばでもあるように思う。
「かたかげ」とわらべ歌「いんでこ大文字」
その秋に聞かれることばに「かたかげ」がある。それは子どもと母親との間で交わされる帰宅時間を表すことばなのである。「『かたかげ』になったら帰っといでや」と一言言って送り出す。
「かたかげ」とは、漢字で表すと「片陰」となる。夕方、太陽が西に移動し、東に向かって光が差し込むと、碁盤の目になった南北の通りは、西側に通りが隠れるほどの陰ができる。この陰を見計らって、子どもたちは帰宅時間を考えるのである。この強い陰が、だんだん弱まっていくと薄暮となる。すると、わらべ歌「いんでこ大文字」を歌いながら帰って行くのである。
いんでこ大文字 大文字がとぼった
もういんでこと 大文字
もう帰ろうと 大文字
この歌がいつ頃から子どもたちの間で歌われ出したかは分からない。しかし、単に大文字の日だけのことではなく、この歌を歌いながら、家に帰って行ったのだろう。ゆえに、「さよなら歌」とも言われている。
昔の大文字の点火時刻は
そして、大文字の点火時刻であるが、今は8月16日の午後8時であるが、旧暦でいえば7月の十六夜であった。日没から月の出の間に大文字が点火された。つまり薄暮に点火されていたのである。薄暮、それが帰宅時刻であり、「かたかげ」が、薄暮の前の時間なのである。1年を通して、薄暮に「いんでこ大文字」を歌いながら別れるのであった。
さて、その中で「いぬ」ということばがある。漢字で表すと「往ぬ」である。「帰る、去る」の意味で、「もう遅うなったし、『いぬ』わ」「もうそろそろ「『いの』か」などと使う。古文でもおなじみのことばで、京ことばとしてのそのまま残って使っているのが歴史である。わらべ歌の「いんでこ」は、「帰ってくる」の意で、「忘れもんしたし、『いんでくる』わ」などと言う。
今や子どももスマートフォンを持ち、位置情報で確認すれば、直ぐにどこにいるかが分かる。そして、親もその情報を共有できる。しかし、肌感覚で時間を知ることは、自立していく中ではすごく大切なことであるように思う。
西陣の夜のあいさつ
さて、薄暮からすぐに暮れてしまうのが、秋の夜である。道々では、「おしまいやす」という挨拶が交わされた。この挨拶は広く京都で使われたが、私の生まれた西陣でもよく聞かれた。とりわけ西陣とはすごくマッチしたことばであるように思う。それは職人として1日の仕事を終えてのねぎらいを込めての挨拶ことばだからである。今は誰もが「こんばんは」という挨拶を交わす。「こんばんは」は、その後に、「もうお帰りですか」、「どちらへお出かけですか」などと、現状や様子、これから先の行為などが続く。しかし、この「おしまいやす」ということば、今の人たちがよく使う「おつかれ」、「おつかれさま」と言う挨拶ことばとよく似ているように思う。ただ、「おしまいやす」という挨拶を交わした後も、まだ仕事を続けなければならない人には、「まだお仕事どすか、『おきばりやす』」などと声を掛けた。
西陣の就労時間を表すことば
昔の西陣の織屋の就労時間は朝の7時ごろから夜は9時くらいまでで、夕食後の夜業は普通であった。しかし、1か月の内でも、5日、10日、15日、20日、25日と晦日の夜は早じまいをする日と決まっていて、それらに当たる日を「よんま(宵間)」と呼んだ。しかもその日の食膳には、魚が付くなど特別の日であった。
しかし、以前にも書いたが、西陣では、11月になると正月に向けての厳しい夜なべが始まる。その合図として、「あさまいり」ということばがあった。このことばが聞かれた日を境に、正月に向けての夜業が延長され、夜なべも10時ごろまで続く。すると、早じまいの「よんま」と夜なべの時間差が大きくなるため、「よんま」の中でも10日と晦日の夜は、9時ごろまで機を織った。そのことを「はおり(半織)」と言ったが、それは、夜なべをせずに半分織るからであった。また、時には夜通し機を織ることもあったが、それは、夜が白む朝まで機を織ることから、「しら」と言った。「よんま」「はおり」「しら」どれをとっても、西陣の厳しい労働環境を表すことばであった。