山科『洋菓子カトレア』【もうそこに店はない~京都・昭和名店遺産 第四話】

昭和の子どもたちの記念日に、欠かせなかったデコレーションケーキ。

「洋菓子カトレア」が晴れて山科の四宮駅前に開店したのは、昭和35年のこと。巷ではダッコちゃんやインスタント食品が大流行し、わが国初のカラーテレビがお目見えした年である。そして世の子どもたちの誕生日やクリスマスには、バタークリームに仁丹よろしくアレザンで飾られた、デコレーションケーキが楽しみのひとつとなった、そんな時代でもある。なけなしの小遣いで駄菓子を買うのがやっとだった子どもたちにとって、色とりどりのろうそくや自分の名前が書かれた板チョコを眺めるだけで、それはもう大イベントであった。その幼気(いたいけ)な子どもたちの気持ちに、いつも身近に応えられるケーキはできないものかと、「洋菓子カトレア」を立ち上げた創業者こそ、北尾茂さんその人だった。

京都市山科区西野広見町にあった「カトレア」西野本店の佇まい。国道1号線西野交差点を南に100mほど下がると、メルヘン感漂う欧風調の店がランドマークでもあった。西友山科店1Fと川田道の新十条通を東に入った北川辺りにも支店があった。
初代店主の北尾茂さんが、のど自慢大会で表彰された時の近影。

初代店主の臥薪嘗胆、「黒船屋」での修業時代を振り返る

時を遡ること昭和24年、初代店主の北尾茂さんが16才にして心に決めた職先は、西陣千本商店街にあった洋菓子店「黒船屋」だった。丹波篠山を飛び出て、単身初めての住み込み修業に励むこととなった茂さんだが、この頃の西陣は「千疋屋」編でも述べたように、市内でも屈指の繁華街で映画館や寄席が建ち並び、多くの人々で賑わう街の様相は、茂さんには、目をみはるばかりの大都会に映ったと聞き及ぶ。茂さんの日々はといえば、修業の身ゆえの薄給、休日ばかりか盆·正月の休みも満足に取れず、娯楽も遊興もままならず、その糧は「独立開業する」ことでしかなかったという。何としても店のすべての洋菓子をひとりで作れるようになる、そしてシェフを任されることが、一番の近道だった。そして臥薪嘗胆の末、ついに茂さんの門出の時が来る。

山科は四宮駅前で念願の開業を果たした洋菓子店「カトレア」

昭和35年、京阪京津線は四宮駅前に、晴れての洋菓子店「カトレア」が開店する。茂さんの切望の独立、その輝かしい第一歩であった。

今は無き開業当時の「カトレア四宮店」の店頭。

店名は当時親交の深かった今は無き「凬月堂(ふうげつどう)」の店主が、「一番上等なお花のイメージを」と命名してくれたのだそう。その名前が功を奏したのか、岩戸景気が手伝ってくれたのか開業と同時に店は大賑わいを見せる。乗降客の比較的少ない駅、まして冷蔵機能も備わっていなかったショーケースにいささかの不安もあったろうが、ショートケーキを並べるやいなや商品は飛ぶように売れたというから驚きだ。シュークリーム1個20円、ショートケーキ1個25円と、キャラメル1箱分ほどの値段で買えるケーキは庶民の身近な存在となった。みんなさぞかし物珍しかったのだろう、ケーキを乗せた薄紙に残ったクリームすらも「もったいない」となめて平らげたというのだ。

どことなく懐かしい内装の店内、決して気取らない接客が「カトレア」ならではだった。
ショーケースには毎日、約20種ほどのショートケーキが顔ぶれを変え並んだ。

お菓子作りは毎日、早朝6時から深夜は日が変わる頃まで続き、多忙を極めた。その甲斐あって開業して早7年後には、本格的工房を備えた西野店を開設、新たな本拠を構えるまでに成長を遂げたのである。

本格的な工房を構えた西野本店、そこから2代目の奮闘が始まった。

大阪万博も終え高度成長期も正に佳境の昭和47年、西友山科店1階にも「カトレア」が出店を果たすと、まだ学生だった息子の茂人さんが二代目を継ぐべく、店を手伝うようになる。とはいえ父の教えを乞う以前に、古参のシェフから突き付けられたのは「仕事は見て盗め」という厳しい試練だった。今の時代では古い考え方と一蹴されそうだが、この教えが茂人さんにとっては逆バネとなる。同じ轍を踏まないことが、却って科学的かつ合理的な菓子作りの探求、原価計算ひいては経営学に繋がったというのだ。

2024年5月に京都新聞に折り込まれた「カトレア」の閉店を知らせるチラシ。

茂人さんの奮闘努力は艱難辛苦を乗り越え「カトレア」創業64年の歴史と共に続いたが、後継者不在問題に行く手を阻まれ、令和6年5月、町のケーキ屋さんと称された「カトレア」は、多くの人に惜しまれつつもその幕を閉じることとなった。

二代目北尾茂人さんが今でも大切にしている心がある。それは「お客さまの日常に、花を添えられるようなモノ作り、コト作りに努めること」だ。

毎年母の日になると、小銭を握りしめながらケーキを買いに来てくれた小さな兄弟がいた。生前おじいさんが大好きだったシュークリームを毎日お供えすると、足繁く通ってくれたおばあさんがいた。そういった場面を数多く見て来たからこそ生まれた心であろう。多くの人々の心に刻まれた「カトレア」のケーキに、もう出会うことはできない。

ご進物用に、また記念日にと山科区や伏見区の人々にとってなくてはならない庶民派洋菓子だった。画像のケーキは今はもう食べられない、創業当時に人気だったバタークリームとアラザンのあしらいも懐かしい昭和風ケーキ、プレジール(395円)。
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この記事を書いたライター

元橋一裕のアバター 元橋一裕 ㈱TikiScript 主宰

雑誌編集をも手掛ける広告制作会社:
㈱TikiScript(チキスクリプト)主宰
1958年生まれ。今は無き京都のリージョナルマガジン「京都CF!」の編集長を経て「ぴあMOOK関西」では「京都寺社案内」「京都老舗名店案内」「京都名酒場100」の責任変編集を任される。近頃SNSでも話題になった、KLK新書「京都カーストは本当に存在するのか」では山科区の紹介を担当している。