遊郭への客を運んだ京阪電車

「非日常を運ぶ」鉄道

今回はちょっとディープなお話です。明治43(1910)年に京阪電車が大阪の天満橋から京都の五条まで開通したのですが、当時、京都~大阪間を日常的に行き来する人がどれだけいたかと考えると、ほとんどいなかったというのが正解ではないでしょうか。今、新幹線で東京に行くよりも遠い存在だったかもしれません。仕事も職住一体の時代ですから電車に乗る人も限られ、初期投資の大きな鉄道事業はそんなに儲かるものではありませんでした。

そんな中、電車は非日常を楽しむところに連れて行ってくれるツールだったという側面もありました。その最たるものは寺社詣です。それまでは地域の氏神様に代表されるように徒歩圏内にあるお寺や神社にお参りに行くのがほとんどでしたが、鉄道が開通すると遠くのお寺や神社にもお参りに行くことが出来るようになりました。京阪電車は今も初詣でにぎわうように、沿線には伏見稲荷大社や石清水八幡宮、成田山不動尊などがあり、それらを結んでいるのが特徴です。余談ですが香里園の成田山不動尊は京阪電車自身が、昭和初期の不況による低迷を乗り切るために、自社の土地を提供して昭和9(1934)年に千葉の本山から誘致したのです。沿線の住宅建設や学校誘致はよくありますが、大きなお寺を誘致したのは非日常の創出ともいえるでしょう。

電車に乗って遊郭に

さらに非日常だったのが男性の遊郭での遊びです。実際、どれくらいの割合の成人男子がときに遊郭に通ったのかは分かりませんが、公娼制度が廃止になるのは昭和33(1958)年ですから、それまでは多くの男性がその種の遊びのために遊郭に通い、鉄道の中にはそんな乗客に支えられていた路線もありました。同時に遊郭の側からすると鉄道に支えられて繁盛したのです。京都から離れますが、大阪でもっとも大きな遊郭であった松島新地には最初の市電(築港線:明治36年)が隣接して開業することで大いに賑わいました。そして京阪沿線にはその種の街が点在したのです。それは枚方の櫻町、橋本、中書島の東西柳町、墨染の橦木町、五条の五条楽園(元七条新地)と続きます。その背景には、京阪電車は軌道法(路面電車)で建設開業したので、自ずと京阪間の集落をつなぐルートになったことがあります。

櫻町、橋本、中書島は淀川の船着場でした。そこは江戸時代から流通の拠点ですから様々な人や物が集まってにぎわい、船宿や食事の提供から「飯盛女」が接客をするようになり、その種の店も自然と発展していったのです。その後淀川の舟運が廃れ、その傍を京阪電車が走ると、自ずとそこに通う男性が乗客になっていったことは想像に難くありません。

橋本は八幡市と樟葉の間で、京都府と大阪府の県境に位置し、京阪は普通電車しか停まらない小さな駅です。しかしかつては淀川左岸に京街道が通じ、八幡の石清水八幡宮の門前町でもありました。今も橋本の街を歩いてみると街道であった証の道標が見られ、一部にはかつて遊郭だったと思われる建物が残っています。最盛期の昭和12(1937)年当時、貸座敷(遊郭)が90軒、娼妓が600人以上いて、遊郭からの税収が当時の八幡町の町民税の3分の1以上を占めたそうです。以前、京都新聞にかつての橋本遊郭の様子を紹介した記事がありましたが、その街を行きかう男性客の数の多さを「男の川」(男性客の流れが川のよう)という表現で言いあらわしています。マイカーのない時代ですからそれほどの人が橋本に押し寄せたというのは、京阪電車で来るしかなかったはずです。橋本は昔から普通電車しか泊まりませんから、せいぜい2両編成程度だった京阪電車は男性ばかり相当な混雑だったのではないでしょうか。前後しますが「八幡町誌」には、明治の東京遷都や鉄道(国鉄)が淀川右岸に開通して町が衰退したが「明治21年遊郭を再興し、京阪電車の開通と共に再び繁盛…」と明記されています。

橋本の街中に残るかつての遊郭の建物

中書島は大阪からの淀川水運の拠点ですからさらににぎわった街でした。昭和5年の「全国遊郭案内」によると貸座敷(遊郭)が84軒、娼妓が約400人いたとあります。柳町という地名からすると現在の中書島駅の北側に当たりますが、今はその名残りはほとんど見られません。そして中書島で遊んでいた男性客のかなりが伏見にあった陸軍十六師団の軍人たちといわれています。今の藤森駅はかつて「師団前」という駅名でしたが、そこから京阪に乗って通ったのでしょう。兵舎の売店で避妊具まで売られていたとか。

京阪五条で下車して五条大橋を西に渡るとかつては七条新地とよばれ、売春防止法制定後は五条楽園という祇園などとは違うディープな遊興地がありました。ここも当然、京阪を利用しての遊び場でした。

このように鉄道の中には、それぞれの時代の非日常(レジャー)を支え、一定の旅客需要があった路線もありました。なお、先にいくつかの地名をあげましたが、今はもちろんそんな風俗営業のお店はどこにもありません。念のため書き添えておきます。

〈主な参考文献〉
京の花街 大陸書房
鉄路50年 京阪電鉄

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この記事を書いたライター

島本 由紀のアバター 島本 由紀 鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

 
昭和30年京都市生まれ
京都市総合教育センター研究課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。