秋も深まり紅葉や銀杏の葉が色づき始めるころ、京都ではまたあちこちの寺社でお火焚祭が行われます。「お火焚き」って聞かはったことありますか?このお火焚きが始まるともうすぐ年末やなぁと思う行事なんですよ。そやけど京都の方でも「お火焚き?何?」ておっしゃる方も少ないことありません。
今回と次回、2回にわたって「お火焚き」についてお話します。今回は「お火焚き」の内容や起源について、次回はゆかりのお菓子や歌をご紹介します。今回はちょっと堅めのお話ですが、これを読んどいてもらわんと次の話がようわからんようになるので、ついてきていただけると嬉しいです。
「お火焚き」知ったはります?
では最初の京都人度チェック。
①「お火焚き」とは、何をする行事でしょうか?
お火焚きとは11月(昔は旧暦11月)に主に神社やお寺で行われる行事です。京都の各神社・寺社などでは願い事が書かれた火焚き串(護摩木)を井桁に組み、お焚き上げをします。願い事は五穀豊穣のようなすべての人に関わるようなものから、商売繁盛・家内安全・無病息災など個人的なものまでありますが、まずは今年の願いに対する感謝をし、火によって罪や穢れを清め、来年への祈願をするというのがお火焚祭の基本です。伏見稲荷大社さんでは夜に宮中で舞われる御神楽(みかぐら)の「人長の舞」が奉納されます。
お火焚祭、行かはったことありますか?あんまり観光客の方はいやはらへんのですよねぇ。大体氏神さんや近所の神社へ行く人が多いですが、大きな神社さんの火焚祭は火の勢いがあるので見に行く人も多いですね。伏見稲荷大社さんの火焚祭の規模は一番大きいかと思いますが、それはそれは大きく天高く煙が立ち上って迫力満点なんですよ!て言いながら私は行ったことないんですけど(笑)観光地で人の多いところはどうしても行き渋る、ていうのが京都人あるあるなもんで…
お火焚きをする場所ですが、実は神社や寺院だけではありません。京都市内では町内で行われたり、個人でされたりすることもあるのです。例えばお稲荷さんがお祀りされている町内では、お稲荷さんの前で火を焚いたり、その土地の氏神さんから神官の方に来ていただいたりして行われます。
もう1つ、個人でされるところはやっぱりお稲荷さんをお守りしているお家や火を扱うお商売をしたはるお家が多いです。お火焚きの本家である伏見のお稲荷さんは、ここで三条小鍛冶宗近に名刀「小狐丸」を打たせたという伝承があることから鍛治屋さんの守り神となっています。鍛治屋さんのようにお商売に火を使うお風呂屋さん、染め屋さんなども個人でお火焚きをしやはったそうです。他に個人ではお稲荷さんを家でお守りしているお家があります。それぞれ自分とこのお家でお火焚きをしたあと、お供えのおさがりをお町内に配らはったということです。
さて私とこの家はというと、以前は西陣織の織元で商売をしてたものの私が生まれたころにはサラリーマン家庭になってました。そんなことで母はお火焚きについての話はしてくれましたが「お火焚はお商売人さんのやらはることやし、うちはあんまり関係ないの。」て言うて、マメに参加した記憶はありませんでした。もともと伏見のお稲荷さんはお商売人さんがお詣りすることが多いので、京都市民全部に馴染みがあるお祭、とまでは言えへんかもしれません。
では、お火焚きしやはる場所の分類図を入れときましょね。
お火焚きの起源
さてここでちょっと「お火焚き」の起源を整理してみましょう。お火焚きという言葉を検索してみると本当に様々な説が出てきて、説明がとっても難しい行事なのです。まぁ「火を焚く」行事なのは間違いないですよ。そやけど、これがどこから来てるのか、何のためにやってるのかということを資料で探してみると、みんないくつかの説にわけて説明したはるくらいまとまらんのです。ということで今回はここに焦点をあてて調べてみました。
ここでは起源と思われる説をまず2つあげて、それぞれをまた2つにわけることにします。つまり、お火焚きの起源について4通りの説明をします。起源候補の1つ目は「宮中の公的な祭事である新嘗祭から始まった」説。2つ目は「天皇さんの私的な祭事に影響されている」説です。1つずつご説明しますね。
1.「宮中の公的な行事・新嘗祭から始まった」説
この説をお伝えするのに2つの見方をします。
1つ目は「新嘗祭から始まった」という肯定的な見方。
2つ目は「お火焚祭は新嘗祭とは別物」という否定的な見方
です。正反対なのですが一緒にご説明したほうが理解していただけると思います。
まず1つ目の「新嘗祭から始まった」という見方についてです。これは資料を見ても一番多い説でした(注1)。えっとその前に、「新嘗祭」て知ったはりますか?「しんじょうさい」「にいなめさい」と読むところまではご存じの方も多いかもしれませんが、内容を説明しようとすると難しいですよね。
「新嘗祭」はざっくり言うと、「収穫を感謝する宮中の神事」です。「あ、五穀豊穣を感謝する火焚祭とおんなじやん!」て思わはった方もいやはるでしょうね。宮中の儀式が民間に広まるというのはわりとようあることなので、この説に納得がいく割合は高いように思います。
順番に図示していきましょうね。先ほど書いたお火焚きをするお稲荷さんや市内の神社・寺院の間に、新嘗祭を行う宮中を入れました。「新嘗祭から始まった」ということを黄色の矢印で表していますが、民間へは直接広まったかが確定ではないので「?」マークを付けています。
次に2つ目のポイント、こちらは「お火焚きは新嘗祭とは別物」という見方です。ていうのも、不思議なことに新嘗祭とお火焚祭が両方とも行われている神社があるのです。それも結構たくさん。「え、ちょっと待って!するとこの2つは別のお祭なん?」て思いますよね。
例えば伏見のお稲荷さんでもまず8日にお火焚祭があり、宮中と同じ23日に新嘗祭が行われます。新嘗祭をする神社はどこも23日に行われるので、宮中と合わせているということは間違いないでしょう。この2つのお祭、新嘗祭と火焚祭ではともにお稲荷さんの神さんに五穀豊穣を感謝するのですが、火焚き串を積み上げて焚き上げるのはお火焚祭だけです。日も違いますし、新嘗祭を火焚祭とは別のお祭として「伏見稲荷大社」と「各神社・寺院」に入れてみましょう。ややこしくなってきましたね(汗)
この2点をまとめると
1つ目 お火焚祭は新嘗祭とおなじ「五穀豊穣」を感謝するお祭。
つまり お火焚祭=新嘗祭 かもしれない。
2つ目 お火焚祭と新嘗祭の2つのお祭を行っている神社が多い。
つまり お火焚祭≠新嘗祭 かもしれない。
ところがここでもう1つの事実が出てきました。それは
「朝廷が出す官符(公文書)のある神社で行うと新嘗祭・官符のない神社で行うとお火焚祭」という時代があったというのです(注2)
ということは、現代的な解釈をして
「新嘗祭というのは公的な(宮中の)お祭、お火焚祭というのは民間のお祭」
という意味合いで2つのお祭を行っているのかもしれません。「かもしれない」というすべて私の推測なのですが、そうなると1つ目も2つ目も成り立つのではないかと「推測」しています。
2.「天皇さんの私的な神事に影響されている」説
さてこちらはお火焚きが天皇さんの「私的な神事」からきているという説です。しかもこれが2つもある。せっかくスッキリしたのに読まへんかったら良かったなという思いが頭をかすめましたが、案の定分かりづらい…そやけどとっても面白いんですよ。
1つ目はお火焚きが「宮廷の産土神である御霊神社の神へ捧げる奥向きの行事」やということ(注3)。大正時代まで天皇さんの産土神(生まれた土地の守護神)である御霊神社の神さんをお祀りする神事があったそうです。それはやはり「お火焚き」と呼ばれ先祖神にお供えを捧げ火を焚き、そのおさがりをいただく行事でした。
この行事も宮中で行われていたのですが、新嘗祭ではなく、「奥向き=私的な」神事でした。また、私的な神事なのでほんまやったら一般には伝わらへんはずですが、京都は昔天皇さんもいやはりましたしお公家さんもたくさんおいでになったので、自然と口伝えで知られるようになったのかもしれませんね。これも図に入れてみましょう。
そして2つ目は宮中で12月に行われている「賢所御神楽之儀(かしこどころみかぐらのぎ)」という行事で舞われている「御神楽」影響説です。
宮中で行われる御神楽は天皇さんの私的行事なので公開はしたはりませんが、私らは伏見のお稲荷さんで行われるお火焚祭の「人長の舞」でその一部を見せていただくことができます(注4)。そして、この御神楽が宮中で行われるときもやっぱり庭火を焚きながら舞わはるそうですよ。先祖の神様に捧げるもので目的は違いますが、形はまさにお火焚きですね!
この行事は、旧暦11月の冬至には「太陽の光が力を弱くするとともに」「天皇の魂(生命力)が衰える」(注5)と考えて行われたということで、それでお火焚きと関係のあるのやないかなと考える説があるわけです。
とりあえずは2.の説をまとめると
1つ目 御霊神社の奥向きの神事は火を焚いて先祖神に捧げる神事 おさがりをもらう。
2つ目 御神楽は私的な神事。舞う時は火を焚く。太陽が弱くなって生命が弱るのを補う。
感謝や祈願の対象は五穀豊穣ではありませんが、火を焚いて神様に願うために行うというところは同じようですね。
この2つの神事は共通点がある上にさらに関連深い事実があります。実は御霊神社さんによる火焚祭の案内には「その(火焚祭の)起こりは宮中で十二月中旬に行われる御神楽をならったものと言われます。」との説明がされているのです。そのとおりやとすると、御霊さんの神様に捧げた神事も御神楽と何らかの関わりがあるのでは、と思えませんか?
また、この1つ目の神事は次回のお話にも大きく関わってくるのでしっかりと覚えておいていただきたいです。
お火焚き起源のまとめ
さて「お火焚き・新嘗祭の起源」と「宮中・お稲荷さん・各神社・寺社や民間」との関係についてまとめておきましょう。
まず先ほどの起源の説のもとになった4つを並べた表を示します。
わかったこととしては以下の3点にまとめられます。
1.お火焚きは宮中から伝わってきたものらしい。
2.しかも宮中の公的・私的神事両方が影響している。
3.しかし火焚祭と全く同じものはない。
長いこと京都にいやはった天皇さんのいろんな行事が御所の外へじわじわと漏れてくるあいだに混ざりあって、今みたいな形になったのかもしれんなぁというのが私の結論です。ひょっとしたらみなさんはまた別のご意見をお持ちになるかもしれませんが、複雑な経緯を持っている行事だけに私はどれも正解を含んでるのやと思います。
さて、いろんな要素をくっつけてきた図も説を検討してわかったことを付け加えて最終まとめをしておきます。
1.各神社の火焚祭は摂社にお稲荷さんがおられるところでされている確率が高いので、伏見稲荷さんから矢印→をつけてみました。
2.民間の個人や町内は境界線が引きにくいのでお互い重ねています。
3.「官符あり・なし」で呼び方が変わった可能性もあるのでそれも入れてみました。
簡単にするつもりがどんどん複雑になってしまいましたね(笑)表や図をつくるにつれ、起源を1つに絞るのは難しいということだけがよくわかりました。
長い歴史の中でいろんな行事のエッセンスが混ざり合い、またそれぞれの場所で変化して出来上がったのがお火焚きなんやなということに思い当たる今回の調査でした。みなさま、ここまで私の勝手な推測にお付き合いくださりありがとうございました。次回は行事の中で配られる美味しいお菓子とお火焚歌について京都人度チェックを出題したいと思います。
(1)表現と典拠:「新嘗祭(収穫祭)が民間に広まったもの」→「京の儀礼作法書」岩上力著 p.202、「民間の新嘗祭の一種であるとも考えられる」→「京のまつりと祈り」八木透著 p.185、「新嘗祭の民間的祭事」→「くらしと年中行事―古都の歳時記」森谷尅久編 p.223
(2)「京のまつりと祈り」八木透著 p.188-189
(3)「分類京都語辞典」井之口有一・堀井令以知共編 p.121、「町家の京言葉分類語彙篇」寺島浩子著 p.103
(4)文化デジタルライブラリー「御神楽 宮中や諸社で奏される神楽」独立行政法人日本芸術文化振興会
(5)「地蔵盆とお火焚き」山路興造(講座・人権ゆかりの地をたずねて)p.85