ご乗車ありがとうございます!タクシードライバーの井上です。
こちらの「タクシードライバーと行くひみつの京都案内」では、私井上が知っているようで意外と知られていない京都をご案内する企画です。皆様をディープな京都へとご案内いたします。
第7回目は「へぇ〜!」って思わず言ってしまう小ネタをあれこれご紹介いたしますね。
普段何気なしに通っていた場所や、意外な見どころ、由来って、人にこっそり教えたくなりますよね(笑)
それでは、おもしろ京都観光の旅に出かけましょう!
たらたら坂
まずは京都繁華街のど真ん中、新京極三条にある、京都にいろいろある七不思議のひとつをご案内いたしましょう。
元々三条通は今の寺町通りまでしかなく、豊臣秀吉が三条大橋を作った際に延長されました。
鴨川の河原を通る部分がぬかるまないように三条通をまっすぐに作ったそうです。
その後1872年(明治5年)、第二代京都府知事槇村正直が、河原だった一段低い場所に新京極通を誕生させ繁華街の原型となりました。
その際高低差を埋めるべくできたのがこの坂で、坂を下るのに踵(かかと)に草履が当たり「タラタラ」と音がしたことから、「たらたら坂」の名が付いたそうです。
近くにある河原町通や寺町通、三条など東西の通りにも坂らしい形跡は感じないのに、ここだけにまあまあの勾配が見られるのが不思議ですよね。
行者橋と白川夜船
三条通の東大路通と神宮道の間に、南北に流れる川がありますので、川沿いに少し南に進みましょう。
この川は「白川」と言いまして、銀閣寺の方から流れ、疏水を経由してこの先で有名な祇園の新橋から鴨川に注ぐ小さな川です。
途中にかかる欄干の無い小さな石橋は「行者橋」と呼ばれていまして、比叡山の千日回峰行「京都大廻り」の際に、修行後最初に渡る橋とされています。「阿闍梨(あじゃり)橋」「一本橋」とも呼ばれていますが、「古川町橋」が正式です。
実は、この「白川」には、もう一つおもしろいお話があります。
京都の地名のことですが、江戸っ子の間で使われた「白川夜船」という四字熟語で、京都検定のテキストにもちゃんと掲載されているんですよ。
江戸時代、特に京の都に旅することは当時も大変憧れられていて、旅から帰ってきたらその土産話に花が咲き、大人気者になったそうです。
ある時、とあるお調子者が他人の話を何度も聞いているうちに、実際には京に行ったこともないのに、自分も京に行ったふりをして人気者になってやろうと思いついたわけです。
「京の都ってぇのはさぁ、清水寺の舞台がさぁ・・東寺に五重の塔ってのがあってさぁ・・・」などと自慢げに話はじめました。
みるみる人が集まり人気者になっていきましたが、それを聞いていた本当に旅したことのある男が、「おいお前、じゃあ白川って川は行ったことがあるかい?」と尋ねたところ、実際には行ったことのないお調子者は「白川は夜船で下ったから、わかんねぇ〜」と苦し紛れに答えてしまったのです。
それで、白川は夜船で下れるような川でないことから嘘がばれてしまい、以来「知ったかぶりをする」ことを「白川夜船」というようになったといいます。
私も「白川夜船」にならないように気をつけますね(汗)
くわばら、くわばら
さて、御所の南、丸太町通に来ました。
しばらく進みますと南側に見えてまいりましたのは京都地方裁判所です。
春になると周囲の枝垂れ桜が見事に咲き乱れ、観光のお客様も少なく、穴場花見スポットと言えるでしょう。
でも本日は裁判所でも花見でもありません。
実は、この裁判所の前の丸太町通りにある「桑原(くわばら)町」
についてのお話です。
この町は、通りと裁判所の一部にあり、住民は一人もいません。
元はあの菅原道真の領地でした。
その後怨霊となって京都に戻り、雷を落とした時も、
桑原町には落さなかったことから、
雷が落ちそうな時に「くわばら、くわばら」と口々に唱えて、
雷除けにしたんです。
今でもこの言葉はお使いになりませんか!?
雷は、リアルな雷の他、親父が落とす雷もありますよね(笑)
壺井
丸太町通を西へ向かいましょう。西大路通との交差点が「円町」です。
京都は同じ町名が多いので、タクシー運転手は町名を言われると場所がわからないことがあります。
その代わり通りの名前はほぼ覚えていて、南北と東西の通りを「上ル下ル、東入ル西入ル」などと言っていただく方が場所を特定しやすいのです。
また郊外には、「円町」をはじめ「白梅町」「泉堂町」「野々神町」「百万遍」などその場所にゆかりのある名前があるところもあります。
JR円町駅の近く南側に「壺井地蔵」の石碑が人知れず立っています。
元はこの水で薬を飲むと、疫病がたちまち治癒したという霊水で、井戸のかたわらにお地蔵様を供え、近くに小堂が建てられました。(現在水は枯れて、地蔵尊が現存しています)
江戸時代には、中京の六角通り(因幡町)にあった六角獄舎の罪人が、市中引き回しされたあと、西の刑場に向かう途中ここに立ち寄り、僧が読経するなか末期の水として飲んだとか。
因みに「円町」とは(円)の旧字体(圓)の(員)の部分が(人)の意でもあることから(囚)から変化したものともされていて、“囚人の町”がゆかりとの説もあります。
湯たく山茶くれん寺
西大路通を北に向かい今出川通との交差点「白梅町」を少し東へ進みますと「北野天満宮」があります。こちらで豊臣秀吉が大茶会を開いたのは有名ですね。
大茶会を終えて、伏見城に戻る途中すぐ近くの尼寺に立ち寄り、お茶を飲みたいと言ったそうです。ところが天下人で、ましてや茶人としても名高い秀吉に粗末なお茶を出して失礼があってはかえって大変だと考えたお寺の人々は、お茶ではなく白湯を出しました。
それでも秀吉は二度三度とお茶を所望しましたが、出されるのは白湯ばかりで一度もお茶を出してくれません。
お寺には「山号・院号・寺号」があり、例えば知恩院の正式名は「華頂山 知恩教院 大谷寺」といいます。
そこで秀吉は、正式には「浄土院」という寺名でしたが、お湯ばかりたくさん出すけれども、お茶は出してくれないので「湯たく山茶くれん寺」と名付けたそうです。
実は、秀吉はこのお寺の尼さんが美人だったから立ち寄ったなんていう噂もあります(笑)
小野小町草紙洗水
次は今出川通をこのまま東に向かいましょう、堀川を下がったら安倍晴明で有名な晴明神社が見えてきました。この斜め向かいにある一条戻橋も有名ですね。
その戻橋から一本東に一条通から北に一筋までの短い通りを通称「小町通」といい、今も小さな石碑が残っています。こちらにもこんなお話が残っています。
小野小町が歌会に参じることになったのですが、小町の歌の才能を妬んだ大伴黒主は、歌会の前日に小町が詠むであろう歌を盗作するために邸宅に忍び込みました。そして万葉集の中に小町があらかじめ詠む歌のもとになるような歌をしたため、歌会当日にのぞみました。
翌日小町が見事な歌を披露すると、黒主は「その歌は盗作だ、何故ならこの万葉集にも書いてある」と言い、調べてみると確かに万葉集の中にたった今小町が詠んだ歌とよく似た歌が書かれていて、盗作が疑われたんです。しかし自信のある小町は“草紙”という歌が書き込まれていた本を庭に降りて遣水の水に流しました。昨夜書き足された文字は新しい墨と共に流れ、元々の墨は永年のことあって水に流れず、何者かが小町をおとしめる為に書き足したものだとわかり疑いが晴れたというお話です。
また戻橋は浄蔵貴所が父の葬儀に間に合わず、葬列がここに差し掛かった時に霊力で生き返らせたり、安倍晴明が式神を隠していたり、鬼が現れたりと、歴史の中であの世とこの世の境目であります結界にまつわる話が多く残されています。
実は、小野小町も怨霊であるという伝説もありまして、昔から、「御霊信仰」と言って各地の御霊神社などには、この世に怨みを持った魂の祟り(たたり)を鎮めようと、そのマイナスの力を祀り崇める(あがめる)ことにより疫神などを追い祓うという意味があります。「祟る)という文字と「崇める」という文字が似ているのもそういったことからと言われています。
小町ゆかりの山科の随心院がある辺りの町名が「小野御霊町」といいますのも、何か繋がりますね。
いかがでしたか!?
本日のご案内は、ここまでとなります。
またのご乗車を、心からお待ちしております。
ありがとうございます。
ちょこっと寄り道
*銀閣寺道の「融合カレー」さんへ
大人から子供さんまで幅広い年齢層に愛される、飽きの来ないカレーで、スパイス、酸味、甘味が融合されています。辛さは浅めで旨み重視の逸品。
ソムリエ暦25年以上のマスターが考案したレシピで、胃もたれしにくいのが特徴です。
是非お立ち寄りください。
京都市左京区銀閣寺前町12-2
お問い合わせ:電話番号 075-754-2211
営業時間:11:30~15:00
定休日:なし