「特別奉納 祇園祭綾傘鉾 棒振り囃子」 ふたつの神社を繋ぐ物語

2021年の祇園祭が始まっています。
私は、昨年に続いて、綾傘鉾保存会の様子を拝見、撮影しています。

6月27日に、粽づくり。

粽づくりの様子

7月1日に、吉符入の神事。

綾傘鉾吉符入の様子

ここまで、昨年と同じく、つつがなく執り行われました。

検温を徹底して新型コロナウィルス感染防止を図っている様子

しかし、今年は、昨年にはなかった行事が加わりました。
7月3日、八坂神社舞殿にて、綾傘鉾 棒振り囃子の特別奉納が実施されたのです。

7/3 八坂神社にて棒振り囃子が奉納される様子

続く7月4日、中京区壬生にある元祇園梛神社でも、同じく棒振り囃子を奉納。

7/4祇園梛神社にて棒振りが奉納される様子

棒振り囃子とは、災厄を払い都大路を清めるとされる、音楽と踊りの呼び物です。
祇園祭の傘鉾 綾傘鉾独特のもので、三種の要素から成り立ちます。
「赤熊(しゃぐま)」と呼ばれるかぶり面をつけた踊り手(棒振り)が、手に棒を持ち、軽快かつ見事に振り回します。
そばには、鬼面を付けた太鼓とバチをもった「巡柱(じんちゅう)」と呼ばれる二人の男性がたち、一人が太鼓を支え、一人がバチで太鼓を叩き、踊りながら演奏します。

一人が太鼓を支え、一人がバチで叩く

後ろでは、囃子方が鉦・笛で祇園囃子を奏でます。

これは山鉾巡行に伴って演じられるものですが、宵山や他の神事などで、棒振り囃子だけを独立して実施することもあります。

祇園祭山鉾巡行で棒振りを奉納する様子

ふたつの神社で、連日、棒振り囃子が執り行われたのですが、じつはこの二箇所で実施されたのは、意図があってのことでした。

中京区にある元祇園梛神社に、このような話が伝わっています。
「貞観時代、京都に疫病が流行したため、牛頭天王(神仏分離令後はスサノヲノミコト)を、播磨国から祇園八坂の地に勧請、鎮疫祭を行った。この途上、梛の森にて神輿を休め、分霊をこの地に置いた。これがのちの梛神社である。またここから東へ遷御する際に、地元の住民が風流傘(ふりゅうがさ)を立て、鉾を振って楽を囃しながら神輿を八坂へ送ったとされ、これが祇園会の傘鉾の起源であると言われる。梛神社のことを元祇園と呼ぶのは、この経緯に由来する」

元祇園梛神社境内

この話に従えば、八坂神社と梛神社は、祭神が同じだけではなく、ほぼ同じ時期に成立しており、風流傘を立て、棒(鉾)を振り、楽を囃す行為は、ふたつの神社をつなぐ仲立ち、とも言えるのです。

今年、八坂神社と、元祇園梛神社で、続けて棒振り囃子が奉納されたのは、この逸話を意識してのことでした。

綾傘鉾について、説明いたします。
祇園祭 山鉾の中に二つしか無い、「傘鉾」と呼ばれるものです。(綾傘鉾と四条傘鉾)

柄のついた綾傘を手に捧げ持って、疫病鎮圧を念じ、音楽や舞踊、棒振りの芸を行う、平安期からの流れを汲む歴史ある形態です。現在は綾傘の下に台と車輪をつけて曳行しています。

山鉾巡行時の綾傘鉾

このように美しく趣向を凝らした作り物から始まり、踊りなどを加えた芸能を風流(ふりゅう)と呼びます。祭礼にともなう飾り物や傘、山、鉾も風流に含まれます。
今宮やすらい祭にも風流傘が出て、音楽と舞踊が付き従い、疫病鎮めを行いますが、これも風流です。
綾傘鉾とやすらい祭の源流は同じで、兄弟や従兄弟のような関係にあたります。

綾傘鉾は、江戸時代末期、1864年、元治の兵乱で焼失してしまいます。
途中、何度か復興しようという動きがあったのですが、完全に復帰出来たのは昭和54年(1979)のこと。
百年超が過ぎていました。

踊りやお囃子を取り戻すのは、大変なことです。
しかし、綾傘鉾の復興には、幸運なことがありました。
兵火による断絶の時まで協力していた人たちが、棒振り、太鼓、祇園囃子の伝統を継承し続けていたのです。

綾傘鉾囃子方

江戸時代の記録には、「古例、赤熊の棒振隠太鼓はやし方は壬生村より出る」とあります。(祇園御霊会細記)
壬生は元祇園梛神社のある地域。
壬生六斎念仏、という民俗芸能(芸能六斎)があります。
この人たちが、綾傘鉾に参加していたのですが、壬生六斎の演目の中にも、やはり、棒振り囃子や祇園囃子がありました。

したがって、綾傘鉾の活動が中断しても、壬生の地域には棒振り囃子が維持されていました。
ただ、両者の棒振りは関連するものの、完全に同じではないため、古来の踊りを復元した上で、宵山で披露するに至ります。
完全復興に先立つ、昭和48年(1973)のことでした。
全くの無から復興するのと、土台があって修正するのとでは、大変な違いがあったことでしょう。綾傘鉾の復活に、この貢献はいかに大きかったか。
現在でも、壬生六斎念仏の構成員は、綾傘鉾にも奉仕されています。

棒振り囃子を宵山の日和神楽で披露しているところ

どうも壬生の地域は、梛神社が成立の社伝以外にも、棒振り囃子と強いつながりがあったことを示唆する「状況証拠」があるように思います。
もちろん、平安期の棒振りやお囃子が、全くそのままの形態かどうかはわかりません。
社伝には「鉾」を振り回していたとあります。
それでも、棒振りの風流を、江戸時代にもう「古例」と言われるくらい長い間、ずっとずっと伝えて来たのです。

元祇園梛神社と八坂神社は同じ神様と社伝に寄って繋がり、壬生六斎念仏と祇園祭綾傘鉾は棒振り踊りなどで繋がり、幾重もの縁が出来ています。

八坂神社で踊った次の日に、梛神社に戻ってきて棒振りをする。
千年以上のお話を一気に巻き戻したような、不思議な気持ちがしませんか。

なお、今年(2021年)は、新型コロナウィルス感染防止のため、綾傘鉾町内での棒振り囃子披露は、時間を変更、規模を縮小しながら、7/14~16の三日間、実施されています。
(本稿校了は宵山7月16日)

2021年も、山鉾巡行は中止となってしまいましたが、なんとか来年、例年通りの巡行が出来るよう、願っています。

参考文献
祇園祭細見 松田元 山鉾編
京都祇園祭手帳 前祭編 河原書店
祇園祭 その魅力のすべて アリカ編 新潮社
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この記事を書いたライター

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

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