ネット社会でも、文章に語彙力は必要か?~書くのがラクになる文章のトリセツVol.5~

ネットが教えてくれるから言葉は知らなくてもOK?

1990年代のインターネットが急速に普及していた頃、「これからは、ネットで検索すればなんでもわかる。もう、いろんなことを覚える必要はない」という話がよくされていました。あれから30年近くがたち、Googleの検索機能は飛躍的に向上し、今では地域によって検索結果が異なるのはもちろん、過去の検索履歴をもとに、その傾向や検索者の意図を汲んだ結果が表示されるようになりました。

同時に知識、つまり「知っている」ことへの価値は大きく下がりました。昔は「知っている」というだけで重宝されることが多かったのですが、今はネットで検索すれば、あるいはSNSで質問すれば、答えを出してくれます。現代では「知らないことがあれば、反射的に検索する」のが人間の行動パターンとして定着しました。そう考えると、「もう、いろんなものを覚える必要はない」世の中になったと言えます。

これは文章を書くときも同じです。ワープロと電子メールの普及によって、文字を書く機会が圧倒的に減り、「あれっ、○○の漢字ってどう書くんだっけ?」ということが増えました。漢字変換という超便利な機能のおかげで、次から次へと漢字が表示されるからです。つまり「言葉を知らなくても、漢字を書けなくても、文章を作ることができる」ということです。さらにAIが発展するにつれ、誤字や脱字を自動的に発見してくれるなど、便利な機能がどんどん増えています。わからない言葉があっても、無数の辞書アプリが意味や使い方までコンセツ丁寧に教えてくれます。さらには、文章のテンプレートや例文を紹介するサイトを活用すればコピペで「文章一丁あがり!」とすることも可能です。

となると、文章を書く際に言葉を知っている必要はあるのでしょうか?つまり「文章に語彙力は必要か?」という疑問が湧いてきます。これは「ネット社会に知識は必要か?」とほぼ同じ問題だと思います。それもあってか「知識が簡単に手に入る時代では、知識よりも思考力が重要」という声が日増しに強くなっています。みなさんは、どう思われますか?

「やっぱり、文章に言葉の知識はいらないんじゃない?」と思わる方も多いかもしれません。しかし、私の考えは逆で「文章に言葉の知識、つまり語彙力は絶対に必要。むしろ、ネット社会になって余計に大切になった」と強く強く思っています。これから、その理由を4つお話ししてまいりますが、ひと言でいえば「伝えたいことを確実に伝えるため」となります。

【理由1】 自分の気持ちや考えが伝わりやすくなるから。

たとえば、ご飯をご馳走になった相手にお礼のメールを送るとしましょう。おそらく「美味しい」という意味あいの言葉が出てくると思いますが、ふつうに「美味しかったです」と書くと、テンプレ的なありきたり感が満載で、今ひとつ気持ちが伝わらないように思います。では「美味しい」の代わりにどんな言葉があるのか?上品にいうなら「堪能しました」などいかがでしょう?他にも「妙なる味」「味わい深い」「風味豊か」「滋味」などがあります。少し砕けてよいならば「いける」「やみつきになる味」といった表現もありでしょう。あるいは味には直接触れずに「極上のひと時」のようなフレーズもあります。料理の内容にもよるので一概には言えませんが、ありきたりの「美味しい」よりも、気持ちがこもっていると思いませんか?ちなみに、グルメ漫画の金字塔『美味しんぼ』では「舌の上に黄金のピラミッドがたつ」のようなバブリー比喩や「しゃっきりポン!」といった意味不明の擬音など、多彩な言葉のメニューが並んでいました。

また、あるピアニストは「音楽家として言葉を大切にしたい」と仰っていました。たとえば「楽しい」という気持ちひとつとっても、「愉快」「面白い」「ご機嫌」「満足」「痛快」「小気味よい」「にぎやか」「心地よい」「ハッピー」etc…、様々な表現がありそれぞれ微妙にニュアンスが異なります。つまり、その言葉の数だけ旋律のバリエーションがあるということです。この話を聞いて、ナルホド!と膝を打った私は、「絵画など美術の世界でも同じような感性があるんじゃないかな?」と思ったのでした。

【理由2】 人によって「刺さる言葉」が違うから。

「○○が大切です」と書いて、「なるほど、○○が大切なんだな。インプットしておこう」と、素直に反応してくれる人もいれば、サラッと流してしまう人もいます。似た意味の「○○が重要です」と書いたほうが響く人もいれば、「○○がキモです」としたほうがピンとくる人もいるでしょう。あるいは「○○が超・超・超重要です」くらいに書いて、はじめて伝わる人もいます。

これは表現法の違いであるとともに、そもそも「○○」に対する関心度によっても変わってきます。○○に対してもともと関心のある人であれば「○○が大切です」とサラリと書いてもOKでしょう。でも、あまり関心のない人、あるいは「○○」という言葉自体を知らない人にとっては、ふつうに書いても反応してくれません。そういった場合は、「超・超・超重要」のように、大げさに強調した方が、「えっ、そうなん?」と反応してもらいやすくなります。このように、相手によって刺さりそうな言葉を選ぶためにも、言葉のストックである語彙力が大切といえます。

刺さる言葉は、人それぞれ。

先ほども述べたように、自分が大切だと思うことを、相手も大切だと思ってくれるとは限りません。また、人は「1回見た、1回聞いた」だけでは、なかなか記憶に残すことができません。であれば、どうすればよいか?ひとつの方法が「1回ではなく何度も伝える」ことです。何度も書くことで、読み手の頭と心にしっかりと刷り込まれていきます。1回よりも2回、2回よりも3回と繰り返した方がその効果は高いです。

しかし、ここでもう1つの問題が発生します。人は「しつこい」を嫌います。同じことを何度も書くと「それ、さっきも言うたがな。何回もしつこいな」と思われたらアウト。そのネガティブな感情とともに、あなたの伝えたい大切なことは否定されます。「おいおい、結局どないしたらええねん?」となりますよね。そこで、同じ内容でも言葉を変えて表現し、「しつこさ」を和らげるのです。

私の自説である「西陣は京都を代表する町」を例にしてみましょう。「京都を象徴する町が西陣」「西陣こそ京都の象徴」「西陣は京都の表徴」「西陣といえば京都の代表的な町のひとつ」「京都といえば西陣」などの言い換えが可能です。これらを連打で並べるのではなく、できるだけ距離をあけて書けば、「しつこさ」よりも「大切さ」のほうが相手に伝わりやすくなります。このように言葉を変えるために必要なのが語彙力です。


▶「あれ、そうゆうたら西陣ってどこなん?」
広告業界での古典的セオリー。くり返し訴求することの大切さを説いている。

【理由4】 書くことに集中するため

「表現のバリエーションが大切なのはわかった。でも、結局それってネットで調べれば済むことでは?」というご意見があるかと思います。ごもっともな話です。しかし、「それでもやっぱり語彙力は必要」だと思います。なぜなら「ネットで検索するだびに、脳みその活動を止めてしまうから」です。人間の集中力って、とってもモロいもので、ちょっとしたことで途切れてしまいます。私の脳みそは、特別に落ち着きのない性格をしているようで、ちょっとした誘惑にホイホイと乗ってしまい、なかなか集中力が持続しません。まして検索などという脇道にそれたら脱線しまくりで、気がついたら「あれっ、俺って何をしてたんだっけ?」となることもしばしばです。だから、書いている時は「書くことに集中」することが大切なんです。

特にサクサク書けている時って、「脳がフル回転している」感がありますよね。スピードも速いし、質の良い文章が書けているはずです。イマドキの言葉でいえば「無双」状態、私のような昭和世代ならスーパーマリオでいうところの「スター」状態といった方がわかりよいでしょうか。いずれにしても、せっかく乗ってきた勢いを検索で止めてしまうのは、とてももったいないことです。だから、できるだけ脳内の引き出しに言葉がたくさんあったほうがいいわけです。

もうひとつの理由は、検索で調べた言葉はしょせん「借りもの」の言葉だからです。やっぱり自分のアタマとココロから出てきた言葉のほうが、説得力があります。また、「どんな言葉が刺さりやすいか」の判断の確かさも、検索の借りものの言葉よりも自分の言葉のほうが高いといえます。だから、検索に頼らずとも自分の脳みそから引っ張りだせる言葉の量、つまり語彙力が大切なんです。

意識と実践が、語彙力アップの秘訣

では、語彙力を身につけるにはどうすればよいのでしょうか?よく言われるのが読書です。それは間違いないと思いますが、ただ漫然と本を読んでいても、なかなか言葉は身につきません。そこで大事になってくるのが「意識」と「実践」です。別にわざわざ読書しなくても、現代社会では大量の言葉が目に入ってきます。その中には自分の引き出しになかった言葉に触れることも多いでしょう。そのとき「へえ~、こういう言い方もあるんか」と思えるかどうかで、語彙力に大きな差がつきます。これはもう「意識するかしないか」の違いだけです。そして、そのような意識が定着すると、それまでなら見過ごしていた言葉、流していた言葉、いわば風景の一部となっていた言葉たちが、視界の中でその存在を主張するようになります。そうなれば、加速的に語彙力がアップするようになります。これが「意識」の大切さです。

次に大事なのが実践です。「知っている」と「実際に使える」には大きな違いがあることは、お分かりかと思います。バットの振り方をいくら知っていても、1回も振ったことがない人より、知識ゼロでも100回振った人のほうが打率が高いですよね。つまり「どんどん書きましょう!」ってことです。お金といっしょで、言葉の知識も持っているだけではもったいないのです。いや、お金はイザというときのために貯めておくことも大切ですが、言葉こそ使ってナンボのもんです。SNSで写真をアップするなら、「美味しかった」「キレイ」で終わらせるのではなく、いろんな言葉を考えてみましょう。きっと「映え」に華を添えてくれますよ。

言葉は文化

ここまで見てきましたように、ネット社会では誰でも簡単に情報を入手できるようになり、知識そのものの価値はダダ下がりしました。それは疑いようのない事実です。しかし、その知識の「使い方」は、これまで以上に重要となります。ひと言でいうと「適切な場面で、適切な言葉を出せる」こと。これをできる人が重宝される時代といえます。ドラえもんは、たくさんの便利な道具を持っています。でも、パニックになると、とたんにポンコツ化し、ヤカンや枕などのガラクタばかりを出して、のび太から「あわてるとダメなやつ」と憐みの目で見られていました。そう、持っているだけでは意味がないのです。言葉はあくまでも道具です。言葉に意味、つまり価値を持たせられるかどうかは、言葉を使う人間次第。本格的なAI時代を迎えるにあたり、私が自分に言い聞かせていることです。

さて、2024年の大河ドラマは源氏物語が舞台となります。一千年前に誕生した、世界で最初の長編小説ともいわれる源氏物語の作者はご存じ紫式部、京都が生んだ女流作家です。文化庁の移転に象徴されるように、京都は文化のまちです。その文化と言葉は切っても切れない関係にあります。文化都市・京都に生きる一人として、私はこれからも言葉を大切にしていきたいと思います。

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この記事を書いたライター

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

|八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員|戦国/西陣/祇園祭/紅葉/パン/スタバ