京都市北部にある「紫野」エリア、ここが源氏物語で有名な紫式部ゆかりの場所ってご存知でしたか?「紫式部通り会」様に紫野の歴史と魅力について教えてもらいました。
紫野(むらさきの)エリアとは
平安京の北側で、船岡山から大徳寺周辺のエリアを「紫野(むらさきの)」といいます。蓮台野、内野などと並ぶ「洛北七野」のひとつです。枕草紙にも「野は紫野」と紹介されています。
紫式部の産湯井戸や墓があり、紫式部ゆかりの地として知られています。源氏物語に登場する雲林院などもあります。
紫式部通り会とは
会長の長谷川三郎さん、事務局長の岩井清さんと紫野の地元住民の方々で結成されている「紫式部通り会」では、地域を盛り上げるために紫野の案内ツアーなどが行われています。
また、有志の方達で行われている紫式部墓所の清掃のお手伝いなどもされています。長谷川さまと岩井さまに紫野のことを教えてもらいました!
弁慶の腰掛石
ー長谷川さんのお店兼ご自宅「長谷川米穀店」の前に「弁慶腰掛石」なる看板があったのですが、腰掛石はこちらで拝見できるのでしょうか?
長谷川「家の中庭にあるんですよ。こちらにどうぞ。」
ー奥までお邪魔させていただいてすみません。大きいですね!灯籠と比べると大きさがよくわかります。家の中に史跡があるなんてすごいですね。
長谷川「弁慶がこの石に座って、通りがかりの武士の刀を奪っていたと言われています。牛若丸と出会った『五条の橋』は実は『御所の橋』だったという説があるんです。
このあたりには淳和天皇が造営された紫野院がありたびたび行幸されていて、そのうち雲林院御所と呼ばれるようになりました。紫野斎院の近くを流れていた有栖川にかかっていた橋が『御所の橋』と呼ばれていたんです。」
ー「五条(ごじょう)の橋」と「御所(ごしょ)の橋」、響きが似ていますね!紫式部墓所がある町内は「紫野西御所田町」というなど、今でも地名に残っています。ごじょうの橋が松原通(当時の五条通)でなくて紫野にあったなんて、驚きです。」
長谷川「御所の橋は埋め立てられてしまっているんですが、私は道路の陥没事故があったとき、昔の石畳の橋が出てきたのをこの目で見たことがあります。昭和32年くらいでしょうか。他には見たことがある人はいないでしょう。」
常盤井(ときわい)
長谷川「長谷川米穀店の裏手に『常盤井』があります。源義朝が討たれた後、常盤御前は平清盛の寵愛をうけましたが、その後一条長成の後妻として結婚し、雲林院の近くに住んだとされています。この常盤井は常盤御前が禊や飲料用に使った井戸と言われています。」
ー常盤御前にも弁慶にも関係があるとなると、橋の信憑性も増しますね!
岩井「実は京都以外の地域とも交流があるんです。『北区独立50周年』の時に紫野ツアーを開催したんですが大盛況ですぐいっぱいになりました。その時に『本物の弁慶』が来てくれたんです!」
ー弁慶が!??
岩井「和歌山県田辺市には『鬪雞(とうけい)神社』があり、弁慶に大変ゆかりがある場所です。その地域では『弁慶まつり』が行われ、地元の人が弁慶伝説の演劇を行います。そのメンバーが鞍馬と紫野に来られる機会があって、紫野ツアーに弁慶の格好で登場してくれたんです!寸劇もあり、すごい迫力で感動しました。」
ー弁慶伝説でつながる絆があるというのは素晴らしいですね。和歌山に行ってみたくなりました。
▶︎弁慶まつりHPはこちら
紫式部墓所
ー最後は、紫式部墓所にお参りですね。
岩井「紫野は平安時代の中級貴族の別荘が多い場所でした。現在非公開ですが、大徳寺の真珠庵さんに『式部の産湯井戸』があるといわれています。そこで紫式部が産まれたんでしょう。そして紫式部墓所もあります。現在は、名前を名乗られない有志の方がほぼ毎日掃除をして綺麗に保ってくださっています。」
ー誕生と、人生の終わりの両方にゆかりがあるってすごいですね。このお墓もいつ来ても美しく保たれていて、守っている有志の方々の熱い想いを感じます。
岩井「『紫式部通り会』の活動で生まれたものがあるんですよ。『お菓子司 ふたば』さんで作られている『しきぶ日記』というお菓子です。紫式部にちなんで中身が紫色になっています。また『ニッキ』が使われていて、『日記』とかかっているんです。」
ーパッケージも雅でかわいいですね。地元のお土産があるっていいですよね!紫のお芋がしっとりしていて美味しいです。
ー本日はインタビューにお答えいただき有難うございました。京都の散策がさらに楽しくなりそうです!