学校に通えないアフリカの子どもたち。
学校があって貧困や労働から解放されたとしても、道が悪くて通えない子どもたちがいる。

アフリカの大学で土木を教え、これまで29カ国で延べ180㎞の生活道路を整備してきた男がいる。

 

土木の仕事

地球上の人工構造物で建物以外はすべて土木、と熱く語る。
世間から注目を集めるのは建築。土木は取り上げられにくい分野である。ところが土木は計画→設計→施工→維持管理→再構築と繰り返す、縁の下の力持ちにあたる。仕事の相手は人間であり、また地球でもある。

木村の研究対象は「土」である。土の性質を砂と水、空気の組み合わせで分析し変化を予測することで、どんな土にどんな負荷をかけるとどんな変化が起こるのか。たとえば関西国際空港を海上に作る際に、海底は柔らかい粘土と砂の層の互層なので、そのままでは粘土の部分が沈んでいく。この空港は50年後にどれだけ沈むのか。といったことも研究分野の一つである。

地盤を豆腐にたとえるとわかりやすい。重い物を乗せるとへしゃげてしまう、揺らすとプルプルと揺れる。そのような変化を研究して、災害時にどんな被害が起きるのかを予測でき、どのような補強が必要なのかがわかってくる。
また土の性質を調べることでどのくらいの雨が降ればこの山の斜面が、どのくらい崩れるのかなどの予測ができ、災害を未然に防げるのである。つまり、土木=社会で土木は社会の役に立つのである。
しかし土木の研究結果はすぐには使ってもらえない。医療などと同じように事前に安全性の確認が必要になるからである。
こうやったらうまくいくと思ったことがその通りにならなかったり、反対に意外な方法で解決の糸口がつかめたりする事もある。今の研究がいつか社会の役に立つと信じ、研究を続けているのである。

 

子どもの頃

隣の家の壁塗りを興味深く見ていた少年時代。大人になったら左官屋さんになりたかったという。「モルタルという建築材料はね、セメントと砂と水を混ぜて作るんですが、混ぜた材料を中に水がたまるように垣にして、少しずつ水を足していって、頃合いの状態になるまで練るんですよ」と木村教授は少年の目で語り始めていた。

「男の子はたいていブルドーザーとかショベルカーとかトミカのミニカー「はたらくくるま」で遊ぶのが大好きなんですよ。みんな砂場でトンネルを作ったり、泥ダンゴを作ったりしたんです。」
「泥ダンゴ作りが自分の研究の基本」とも語る。土に適量の水を加えて固めることで固い泥ダンゴができる。
砂場や海岸でのトンネル作りも同じだ。水が多いとべちょべちょになって崩れてしまうし、少なすぎると固まらないのでトンネルができない。
子どもの頃はみんな経験で感じていたのだろう。「たいていの人はどこかで汚いとか、危ないとか言われて泥遊びをやめていくんですが、私はいまだに続けているんです」と笑う。

 

アフリカとの出会い

大学に入って趣味のサイクリングで、カナダやメキシコ、オーストラリアやニュージーランドを単独で走る。大学院2年生の時に1年休学して、サハラ砂漠を縦走。それがアフリカとの出会いとなる。
大学教員になり、1993年にケニア国立ジョモケニヤッタ農工大学に「土を教える教員がいない」ということで赴任を命じられた。赴任当時、ケニアの教育はテキストを黒板に板書し、暗記をさせる教育であり、自ら考えるという習慣が無く、学生のレベルも伸び悩んでいた。そこで「自ら考えて実践できる技術者を育てて欲しい」という依頼がケニア政府からあったのである。

当時人口2,500万人のケニアには公立私学あわせて5つの大学しかなく、土木を学ぶ学生は3大学で80人しかいなかった。当然、集まってきている学生は超エリートである。
ところがバケツの絵を描かせても平面的にしか描けず、立体的に描いて見せたら教室中が拍手の渦になった。「要するにそういう考え方や教育を受けてこなかっただけで、本当は優秀な学生なんですよ。指導した卒業生がケニアの科学技術庁の長官になったんですから」と語る。

覚える勉強だけでなく自ら考える教育を進めていった結果、今では新型コロナウイルス対策の研究や人工呼吸器など医療機器の開発まで手がけられるようになっている。日本では海外の先生を受け入れてから独自の研究ができるようになるまでに40年かかった。ケニアは27年でここまで来たのだからすごいことである。
JICAや京都大学が継続的に惜しみなく協力したからこその成果だと言える。

 

土のうを使った道路整備

学校に通えない子どもたちもいれば、市場や病院に行けない人々もいる。貧困だけではなく、通れる道がないことも大きな理由だ。特に雨期はひどい。雨がたまるとぬかるみは四輪駆動車でも動けないほどだ。最初は水のたまるところに橋を架けようかとか考えた。
アスファルトやコンクリートでの舗装も可能だったが、コストがかかりすぎる上に専門的な技術者も必要になる。これまでのアフリカ支援は、どこの国も自国で設計し自国の現場監督が現地の労働力を使って施工し、できあがれば帰って行く、というのが一般的であった。しかし「もっと大切なのは継続的な支援」という知見から、現地の方々が現地で設計から監督・施工までできる仕組みを作る必要があると考えた。

研究者の卵は育てた。資金提供をして現地の研究者に研究をさせたのだが、思うような成果が出なかった。これはもう自分で考えてやるしか無いと色々考えた結果、ローテク(簡便技術)・ローコスト(低コスト)・ローカル(地域で)・レーバーベース(人力)の4Lでできる工法を考えた。
たどり着いたのは土のうを積む工法だった。同じ大きさの袋に土や砂利を詰め、凸凹になった道の表面を少し掘って土のうを並べる。木槌や太い枝でたたいて固め、その上に土をかぶせて道の両脇に排水用の溝を掘る。アスファルト舗装の1/50以下のコストで道路が敷ける。
しかも現地の方々だけでできるという事が極めて重要なのだ。京都大学の敷地内に実験場を作り、何度も何度も検証を重ねていった。構想5年、実験2年、実行0年だったと木村は語る。
ボランティアでは長く続けていくことが難しいと考え、国が現地の方々に発注をして集落で受注し、対価を得る仕組みも作った。集落も個人も潤い、道路の整備も迅速にできるという「住民へのチャリティーから住民のビジネスへ」という考え方である。
アフリカとアジアを中心に29カ国で延べ180㎞の道を整備してきたが、アフリカで残り40カ国の道を整備するのが目標だ。そして私の後を引き継いでこの流れを見守り続けてくれる人が現れてくれたら愉快だ。4LのDo-nouを国際語にできればノーベル団体平和賞も夢ではないと木村は笑う。

 

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