
初めの一歩は大宮通りは「あぐい商店街」から
「そういえば、ついこの間までここらにエエ店あったのになぁ」。昨今、この町でもそのような昭和の名店が次々と看板を下ろしていくのだから、ほんに悲しい限りである。とはいえ、よき日の想い出を辿りながら、そぞろ歩く楽しみは京の町風情ならではである。そして今回のそぞろ歩きは、北大路大宮を少し南に下った西陣の「あぐい(安居院)商店街」。この辺りは庶民的な店がいまだ点在するからか、何とも昭和な気分に浸らせてくれる。そしてこの辺りで郷愁を誘う店といえば何と言っても「欧風料理 千疋屋」ではなかろうか。


はじまりは、寺の境内の一角で始めた甘味処だった
この店の起源を紐解けば、時代は昭和22年に遡る。新京極は誓願寺の塔頭、長仙院という境内の一角で、家族が最初に始めた商売の甘味処の屋号が「千疋屋」だったことに端を発する。「なぜ甘味処が洋食屋に?」というくだりが気になるところだが、これについてはまだ店をやっている頃に、店主の三輪さんから一連の話を聞いたことがあるので、これを機に紹介しておこう。
それは、戦地に出向いていた三輪さんの父、弘さんが終戦を迎えて、京都に無事帰還を果たした頃のことである。時代は混沌とした世の中、甘味処を再開するような余裕はまったくなく、ともあれ弘さんが定職に就かねば、一家の生活はままならなかった。弘さんが潜水隊員だった経験を活すべく三菱重工に勤めるも、職場環境が肌に合わないとしばらくして退職してしまう。弘さんが途方に暮れていた時、義姉から「コックを雇って洋食店を始めたから手伝わないか」と運よくお声が掛かる。店の場所は定かでないが、繁華な河原町周辺の人通りを見込んだ好立地の洋食店は、見込みを上回る繁盛ぶりを見せた。見習いながらも、厨房で一生懸命に洋食を学んだ弘さんの奮闘ぶりはいつしか「一人前のコックになる」という気概になったという。
高級洋食の贔屓筋を旦那衆から庶民へと転換
昭和24年、わずか2年足らずで洋食の基礎を習得した弘さんは、華やかなりし頃の西陣を新天地に選び、ゆかりの屋号を引っ提げて「千疋屋」の看板を上げた。当時、京都の街中は四条河原町と西陣が繁華街を二分するほどの賑やかさ、その中でもハイカラ文化の象徴は、映画や寄席といた娯楽施設の次に洋食が人気の的だった。人気とはいっても贔屓筋は旦那衆が出入りする高級店イメージ、新参者の弘さんが洋食で向こうを張るには、時間を要した。弘さんは考えた。何とか洋食のこのイメージを払拭して、庶民のものにしなければ商売にはならない。そうして弘さんが選んだ立地はメインの千本通ではなく、あえての大宮通「あぐい商店街」だった。そして狙いは当たった。

寝る間も惜しまず覚えた、特製デミグラスソースを売りにした洋食は、懐にやさしい価格設定も相まって、開店するやいなや商店街の話題をさらった。機織りの職工さんたちにとりわけ重宝がられたのが、箸でもサクッと食べられ、おまけに出前にも応じてくれたというビフカツ丼だった。展示会などの催しが行われた際には、お客さま用にと西陣筋の店々から挙って出前注文が入り、多い時で一日150回もの配達に追われたという。このビフカツ丼が、後の「千疋屋」の看板商品となったことはいうもまでもない。
先代の味を礎に進化した二代目流ビフカツ丼
昭和29年生まれの二代目、裕三さんといえば「蛙の子は蛙」、弘さんも安心の進路を歩んだ。大阪の辻調理師専門学校を卒業した後、学校の紹介でパリに渡ると、帰国後はヒルトンホテルのキッチンで腕を磨いた。弱冠21歳の頃だったが、裕三さんにはひとつ気がかりなことがあった。それは永年に及ぶ立ち仕事で父、弘さんの体がだんだん思うように動かなくなってきていることだった。見るに見かねて父の店を手伝うようになった裕三さんだったが、それから5年後の昭和55年、裕三さんは「千疋屋」を継ぐことを心に決める。ただ店を任されるのではなく、裕三さんにとっての使命感は、父から教わったデミグラスソースの味を二代目としてさらに進化させることだった。

パリで学んだエッセンスを加味させ、そこに時代の味を取り入れながら試行錯誤しては、「欧風ビーフカツ丼」の味や見せ方を追求した。裕三さん曰く、味が決まるまでは数えきれないほど父と衝突したらしい。そうこうして完成した「欧風ビーフカツ丼」は、父、弘さんも大いに喜んでくれたと聞く。それは父のデミグラスソースの味を超え、「千疋屋」店主としての免許皆伝の証しでもあった。そして「欧風料理 千疋屋」が新たなスタートを切った瞬間だった。
今、その二代目「欧風ビーフカツ丼」の味の記憶を辿る。
偶然にも手元にその料理の一枚の写真が残っている。その写真を見ながら、今一度丼ぶりから箸、いやスプーンを運ぶように味の記憶を辿ってみた。横には小鉢サイズのサラダが付き、当然野菜から頂く方がカラダにいいのだろうが、待ち切れず真っ先にビーフカツ丼の具材に飛びついたことを思い出す。なんとも風味のよい褐色のデミグラスソースに包まれるのは、薄く叩いた牛肉にチーズを巻いたカツレツ、いわゆるコルドンブルーだ。そのすぐ下には、ふわとろのスクランブルエッグが静かに控え、さらに玉葱とマッシュルームのソテーを従えたバターライスがしんがりを務める。これを底からスプーンで宝物でも掘り起こすかのようにすくい上げ、思いっきり頬張る。すると口の中には何とも万様、贅沢な味わいが広がり、至福のひと時を迎える。ビター系デミグラスソースの味がほどよいタイミングで追いかけてきて、全体の味を上手くまとめてくれていた。洋食それでいて丼ぶりが実によく似合う、カオスな「欧風ビーフカツ丼」だった。
