1月は往ぬ、そして逃げるような勢いで進む2月。
半ばまで来るとバレンタインデーのあと、商戦はひなまつりへと移っていきます。
バレンタインまでとは言わんまでも、ひなまつりケーキをはじめとするスイーツも多く、ひなまつりにいただく食事も楽しみですよね!
みなさんのお家ではどんなものを召し上がりますか?
京都人度チェック① ちらし寿司の違いは?
うちの家では何をいただくかというと、もちろん日本のスタンダード、ちらし寿司です!
え~これはマグロが入って色とりどりでとてもきれいなんですが、京都式とはちょっと違うんですよ。
さてそこでまずは軽く、1つめの京都人度チェック。
①京都のちらし寿司に入っている具の特徴は?
ヒントはこの写真です。わかるかな?
明らかに違うのはマグロが乗ってないこと。正解は「生ものを一切使わへんこと」なんです。
昔は冷凍技術もないので、山に囲まれている京都では新鮮な魚は手に入りませんでした。この写真では生ものの魚の代わりに茹でた海老を使っています。他には焼きアナゴを使ったりしますが、具はすべて火を通したものか乾物です。私の母が作っていたときは、魚すらなく紅ショウガを散らしただけでした。
すし飯には高野豆腐やかんぴょう、じゃこも入れてます。子どもの頃は今みたいに食べ物もバリエーションがなかったし、こういったお料理がホンマに楽しみでした。
京都人度チェック② おひなさん、いつ出すの?
そしてひなまつりの日が近づいてくると、もう一つ気になるのがこれ。
「そろそろ、おひなさん出さなあかんなぁ。」
(先に説明しておきますが、京都では「おひなさま」を「おひなさん」と呼ぶことが多いので、ここからはこの表記にしますね。)
小さな娘さんがいるご家庭はもちろん飾られるわけですが、ちょっと大きくなってきたら
「めんどくさいな~」
という思いが頭をかすめたりする人、おられませんか?
また、世の奥様方も昔は女の子、眠っているおひなさんがあったりするはずです。
「今年どうする?」「出す?」「やめとく?」
って頭の中で繰り返してる人、おられるかもしれませんね。
出すかどうかで悩んだ人もなんとか出すと決めたとして、次に迷うのは、おひなさんを出す時期としまう時期。さて京都式ではどうだったでしょうか?
ここで京都人度チェック。
京都の方でなかったら、ご自分の地域と比べてみてくださいね。
②京都では昔からおひなさんはいつ出して、いつ片付けていましたか?
全国では多くのお家が2月半ばから飾り始め、3月3日に片付けておられると思います。
3月3日に片付いてなかったら
「お嫁さんに行き遅れるよ~」
そんなふうに言われましたよね。余計なお世話なんですが。
しかし京都では、出すのもしまうのも遅くていいんです。京都に古くから住んでいるお家では、この時期まだ出そうとは思ったはらへんところがあります。それは、旧暦で飾る風習が残っているからなんですね。もちろん旧暦の3月3日は毎年変わるので、ひと月遅れの4月3日を旧暦のひなまつりと決めて準備をします。
私とこもその1つ。3月3日が済んでしばらくしてから「あ、そろそろやな」と思って準備し始めます。そして3月半ばごろに出して飾ります。ほんで、ひと月遅れの4月3日前後の天気のええ日に片付けるのです。(注1)
これは京都だけでなく、関西の多くの地方で残っていた風習だったはずなのですが、どんどん少なくなってきているのも確かです。実際京都でも、ほとんどの家が全国と同じく3月3日の前に出して当日片付けるようになりました。
旧暦の風習は月遅れで来るので、なんとなくのんびりとした風情があって、京都には合っているなぁと思うだけに、やる方が少なくなってきているのはとっても残念です。
しかし昨今は年々暖かくなってきて、4月3日にしまう頃には桜が満開、早い年には散り始めやったりすることがあります。いやいや、温暖化でなくても、新暦の4月いうたら色とりどりの花が咲く春真っ盛り。やっぱりちょっとおかしい感じかも…??これはもう一度最後に検証しましょう。
ひなまつりの起源をざっくり解説
さて、ちょっとここでひなまつりの起源についてもお話しときましょうね。
これは今ネットや本で調べたらあちこちで得られる情報なので、簡単にわかりやすくいきましょう。
ひなまつり、というのは「桃の節句」と言われますが、「上巳(じょうし)の節句」というのが正式な言い方です。「上巳」というのは「3月の一番初めの巳(み)の日」という意味です。
そもそも、ひなまつりは次のような中国と日本にあった厄払いの風習が起源と言われています。
中国では、昔から3月の最初の巳の日に身を清め厄を祓う風習がありました。そして、三国志の舞台、魏の時代に、上巳の節句を3月3日にすることが決められたのです。(注2)
そして日本では、平安時代ごろから人形に穢れを移し、厄を祓う風習が生まれました。これは「にんぎょう」ではなく「ひとがた」と読みますが、今でも神社の大祓(おおはらえ)神事のとき、これに息を3回吹きかけて厄払いすることはよく知られています。(注3)
また同じころ、小さな女の子がした「ひいな遊び」という遊びがありました。そこへ中国の風習が日本に入り、「人形」や「ひいな遊び」とが混ざりあってひなまつりとなったのです。多くの日本の年中行事は中国からそのまま取り入れるのではなく、日本風にカスタマイズして行うところが、アレンジが得意な日本人らしいですよね。
京都人度チェック③ 男びなと女びなの位置は?
さておひなさんを飾る段階まで来て、またあるあるな悩みが出てきます。
男びな女びなの飾る位置がわからへん。毎年やってても次の年には忘れてます。が、私は由来を知ってから忘れんようになりました。
ここでチェック3つ目です!
③京都では男びなと女びな、左右どちらに飾りますか?
正解はこちら。
京都式の並べ方は、おびなは向かって右、めびなは左。
これは中国の「天子南面す」という考え方から来ています。
それは「国を統治する者(天子→王様)は背中を北にし南向けに立つ」ということでなんです。そして「太陽が昇り陽の光が一番先に当たる東側」が立つべき場所なので、一番偉い人は向かって右に立ってないとあかんのですね。日本にもその考えが入り、おひなさんもそれにならったということです。
これが京都式の並び方の理由です。
関東式は反対なので、おびなが向かって左、めびなは右ですね。
では、どうして反対になったのでしょうか。
現在の即位の礼や皇后さまとお二人で立たはるときは、天皇陛下は向かって左ですが、明治時代に「男性が向かって左に立つ」という西洋の並び方が入ってきて、文明開化の気風にのって西洋のスタンダードに合わせやはったんです。
ちなみに即位の礼のときの高御座は、明治天皇までは一人で立っておられたので問題なかったんですが、大正天皇の即位の礼では西洋式に皇后陛下と並ばはることになって、そこで初めてそれまでと反対の並び方になったということです。
昭和3年の昭和のご大典のとき、昭和天皇と皇后さまの写真のとおり、関東のひな人形屋さんが男びな女びなを今までとは逆に並べるようになりました。しかし関西、特に京都では、並びを変えることはなかったのです。
理由はそういうことなのですが、私が面白いと思ったのは、「その時点でどんな気持ちでそれを選んだか」です。そこにそれぞれの思いが表れているように感じたのです。
東京は新しい首都であり、今からの日本を作っていく気持ちに満ち溢れていました。
「昔は昔、今は今。これからの新しい文化を作っていこう。」
東京には天皇陛下がおられます。なので、「天皇皇后両陛下が並んでおられるとおりにしよう」と思わはったのは自然の流れやったのでしょう。あえて今の皇室の並び方と反対にすることのほうが難しかったのかもしれません。
一方、京都のお店はこう思ったのではないかと。
「昔からこうやったんやし、それを守るのが筋。」
京都には長い伝統があります。それを重んじることで文化が守られてきました。
「千年の伝統を簡単に変えるわけにはいかへん。」
続けていくことが京都のプライドやったんですね。
私とこは京都に住む昔からの京都人。京都のひな人形屋さんで買うたおひなさんを、伝統を守る京都式の並び方に飾ります。
京都人は、何かの習わしを続けてきた理由として
「昔からそうしてきたし。」
とよく言います。理由にもなんにもなってないのですが、京都人にとってはそれで充分。守ることに誇りを感じるから。理由なんか、ほんまはどうでもええのです。
おひなさんが美しい理由
京都人は3月半ばにおひなさんを出し、伝統の重みを感じながら昔からの順番通りに並べました。一方で京都には、伝統の革新を繰り返しながら歩みを進めてきた一面もありますが、変わりゆく中にも芯になる伝統は必要です。他所の人がなんと言おうと「守りたいものを守ろう」と思い続けているのです。
こんな美しいお顔したおひなさんの風習、守りたいやないですか。
ちなみに、このおひなさんのお顔は、頭(かしら)師の名匠である三代目川瀬猪山さんの作。京風、切れ長でちょっとつり目の美男美女です。
京びなの制作はすべて分業制で、頭師、手足師、髪梳き屋、着付師があります。
頭師・手足師・髪梳き屋さんはそれぞれがそのパーツだけをひたすら作り続け、その技術は子や弟子へ代々受けつがれています。
それらの各パーツを組み合わせて完成させるお仕事をするのが着付師。着付師さんに、「一番難しい作業は何ですか?」と伺ったことがありますが、それは「腕を折り曲げること」やそうです。おひなさんの姿がすべてそれで決まるので、一発勝負のこの作業のときが一番緊張するとのことでした。
美しさの秘密は、これら職人さんたちの美的センスと技術を守りつなぐ心にあるのだということが、おひなさんを見るたびに伝わってきます。
折角ご両親に買ってもらった美しいおひなさん、シミや虫食いで傷んでしもたら大変ですよね。ひな人形をきれいなまま保つ方法は「毎年出して乾燥させること」やということです。昔は9月9日、重陽の節句にもおひなさんを出してお祝いしやはったそうですが、これも虫干しが目的やったのでしょう。
さぁ、今年も3月半ばごろにおひなさんを出そうかな。ひなまつりは桃の節句。ご存じですか?桃は3月下旬から咲くのです。桃の花が咲くころにおひなさんを出すのはむしろ自然。
そしてひな飾りを見てみてください。お内裏さまの横には左近の桜が…!
桜は桃の花に続いて咲きます。おひなさんをしまう旧暦の3月3日は4月3日前後になるので、昔は桜が咲くころにおひなさんをしまっていたのです。桜が満開の下のおひなさんはさらに美しかったはず。
うん、それならちっともおかしくないですよね。今年もおひなさんに桃の花と桜を見せてあげましょう!
注2:「人形のモリシゲ」サイト ~雛人形の歴史 雛人形2300年時空の旅 ドールコーディネーター平安春峰~」より
注3:Kyoto Love Kyoto「夏越の大祓に行って厄をかぶる話」をご参照ください。
注4:天皇の重要な儀式にのみ着用される束帯装束。即位の礼のときの装束。