能面は生きているような気がする

 私が子どもの頃、家の中に一つだけ怖いモノがありました。それは寝室に飾ってあった能面です。当時、面がこちらを見ているような気がして、どうも落ち着かなかったのです。夜中にお手洗いに行くたびに能面が気になってしまったことをよく覚えています。成人した今では能面に接する機会が増えて、美しいものに出会えばうっとりと眺めてしまうほど好きになり、知れば知るほど、なるほど“能面は生きている“と思うようになりました。

 そもそも能面とは字の如く、室町時代から続く日本の伝統芸能である能楽に使用する面のことをいいます。現在も演じられる二百数曲のうち、そのほとんどが能面を使用して演技をします。さて能面と聞いて、どのようなイメージを持たれますか。おかめのような顔や白色の化粧をした顔ですか、それとも角のある鬼のような顔などを想像されますか。神社で見かける皺くちゃのお爺さんの顔も能面のひとつです。また、よく耳にする言葉では「能面のよう」という言い回しが有名で、広辞苑によると〈無表情なさま、顔が端麗なさまにいう〉とあります。無表情の代名詞となった能面ですが、なぜ能楽で無表情な仮面が使用されるようになったか不思議に思われませんか。能面を使用することで演技をする際に表現の幅が狭まるのではないか、と質問されることもしばしばあります。

能にして能にあらず

 能面の使用に関して歴史を辿りますと、能楽の大成された室町時代まで遡ることができます。先ず面を使うことの大前提には、別の人格や別の何者かに変化する、という意味があります。

 実際、女の役を演じるとき、年齢の若い者が老体の恰好をするとき、妖怪や鬼神に扮する際など、素顔のままでは無理がある場合に能面が必要とされたのでは、と考えるのが妥当です。

 また、なぜ歌舞伎のようなメイクを施さなかったのか。これは化粧ではなく能面を使わなければいけない必然性が考えられます。能楽に古来より「翁」という、天下泰平、国土安穏、子孫繁栄、五穀豊穣などを祈願する神事として扱われる演目があります。これは元々、特別な力を持った呪術師が演じていた宗教儀式があり、能楽師(当時は猿楽者とよばれる)が寺社に奉仕するようになってから、この儀式を任されたと言われています。特別な力を持たない能楽師に、呪術師によって特別な力を与えられた仮面を使うことによって宗教儀式を行えるようになりました。これが能面を使用するきっかけになったとも考えられます。この翁は「能にして能にあらず」と言われ、現在でも演じられており、他の演目とは一線を画し大切にされています。京都では、毎年お正月になると平安神宮や八坂神社で奉納されます。奉納は能楽堂の舞台とはまた違う趣がありますので、まだご覧になっていない方は是非いかがでしょうか。

能面は本当に無表情なのか

 能面の最も特徴的なところは、一つの面の中に二つ以上の表情が表現されていることです。例えば、小面(こおもて)と言われる平安時代の化粧をした若い女性の代表的な女面には、にこりとした明るい表情と、悲しそうな表情の相反する二つの表現を持っています。また、般若(はんにゃ)と呼ばれる鬼の顔には、怒りの表情と苦しみの表情があるなどして、能面のなかに陰陽を作りこんでいるわけです。また必ずしも二つの表情を持ち合わせずとも、面の左右で微妙に表情を変えて陰陽をつけているものが多いのです。能楽師はこれを利用して役の表情を使い分けます。動きの中で少し面を上に傾けたり、下に向けたりすることにより、晴れ晴れとした顔や泣いている顔というように変化させます。博物館などで能面を真正面から見ると、確かにどちらとも取れない表情に見えることでしょう。これが中間表情という具合に説明されて、はっきりしない様から「無表情」と思われてしまう所以ですが、能楽師の手に渡ると途端に表情がよみがえります。


能面は顔、生きている

 能面は単なる道具ではなく、能楽の中では極めて大切に扱われます。例えば、私の所属する金剛流ではほとんどの場合、宗家が演目に合わせて舞台衣装を選びますが、先ずは能面から決めることが多いのです。また、舞台の楽屋では能面は一番高い棚に置かれて、シテ(主役)を務める者と後見(こうけん)と呼ばれる舞台進行役の者しか触れることができません。シテが出番直前の装束もすべて身に着けた姿になると、鏡の間とよばれる、舞台につながる直前の部屋に移動します。ここは能面を装着して精神統一をする為だけの特別な部屋です。この能面の装着のことを、我々は「能面を掛ける」と言います。ハンガーに衣服を掛けるように、人に能面を掛けます。これは人である能楽師よりも能面が優位に立つ代表的な例で、その重要性が十分にお分かりになるかと思います。

私が内弟子時代、良い能面の条件は何か、と先生に質問をしたことがあります。すると先生は、本当に良い能面は生きているような顔なのだ、と仰いました。また、よく時代劇などでも「面(おもて)をあげよ」というセリフを聞いたことがあると思いますが、実は能面もオモテと呼ばれます。時に、能面は人間の顔と錯覚させるような力を持ちます。子どもの頃に抱いた能面に対する恐怖の念は “能面が正に生きていること”を実感したひとつの例に他ならなかったのです。

編集部VIEW!

平成30年12月8日(土)15時~ 京都・金剛能楽堂にて「能楽大連吟」が開催されます。
山田伊純氏もシテ(主役)で出演されます。

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山田 伊純

金剛流能楽師
平成元年生まれ。京都市在住。
金剛流二十六世宗家金剛永謹のもと内弟子に入門。
平成28年に独立。同志社大学文学部卒業。
舞台の傍ら能楽講座や謡曲仕舞教室を開く。
公式LINEブログ掲載中。

      
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