能楽師はお能の先生ではない
能楽の演者のことを能楽師とよびます。“師”と付いていますから、職業として能楽を演じる人のことを指します。つまり現代風に言えばプロであり、玄人(くろうと)と言われます。たとえプロの水準に達していてプロの免状を持っていたとしても、職業としてのプロでなければ能楽師とは言わないのです。決してお能を教える先生、という意味ではありません。
さて、この記事を書いている私も金剛流の能楽師です。私とお能の関わりは、祖父によるお稽古から始まりました。能楽師である祖父の跡継ぎとして5歳の頃にお稽古を始め、翌年には子方として公演に出演しました。
能楽師の家に生まれた子の多くは幼少期に稽古が始まります。幼少時代に少しでも多くの舞台を経験することにより、能楽師としての感覚的な基礎を養うためです。それでは、能楽の世界はすべて代々続いている家の人で支えられているのか、と問われれば、決してそうではありません。実は代々の家に生まれずとも能楽師となり活躍する例は多くあります。
能楽の厳格な分業制
ひとくちに能楽師と言っても、その中では明確な役割があります。シテ方(主役)、ワキ方(主役の相手役)、狂言方(狂言、能の中の間狂言〈アイ〉) 、囃子方(楽器)と分けられています。これらは分業制で、それぞれの領域を跨いで仕事をすることは絶対にありません。さらに囃子方の中でも、笛・小鼓・大鼓・太鼓の四種類があり、これらも厳格に分業制が守られています。例えば、シテ方の私が能の舞台で笛を吹くことは一生無いということです。
さらに各役にはいくつかのグループが存在し、それを流儀とよびます。例えばシテ方は大和猿楽時代(室町時代)から続いている観世流・宝生流・金春流・金剛流(大和四座)に加え、喜多流の一流が江戸時代に増えて五流と定められており、現在まで保たれています。流儀の長の宗家は四流が東京にありますが、金剛流のみ京都に宗家があります。
能と狂言
また、能と狂言の違いについて聞かれることが多いので説明します。まず端的に言うと、能と狂言を合わせて“能楽”と呼びます。前述の通りこの二つは同じ能楽という芸能の枠組みの中で役割が異なっています。内容や演出の具合も異なる点が多く、能で扱われる題材は平家物語や源氏物語など文学的な要素が濃く悲劇的な話が多いのですが、対照的に狂言では日常の出来事を面白可笑しくしたような笑い話が多く存在します。古来より能楽の催しでは能と狂言が交互に上演されてきました。現在でも能が二曲ある日はその間に狂言を観るといった具合です。
能楽師になるためには
能楽師を志す者は先ず師匠の門を叩くところから始まります。また能楽師の家に生まれた跡継ぎの多くも、外に師匠を見つけ弟子入りをします。能楽師という仕事は先ほど書いたように、厳しく分業化されているため非常に専門的です。そのため“修行“に入る期間が必要となります。師匠によって方法は異なりますが、私の場合は金剛流の宗家のもと、通いの修行と内弟子修行(住み込み修行)を致しました。
内弟子修行というのは、昔の丁稚奉公のようなもので、師匠の家に弟子が住み込み、身の回りの世話や掃除などから始まります。そして空いた時間に稽古を行い、技芸を磨くのが一般的です。内弟子修行では技術などのうわべだけではなく、師匠の生活を見ることにより、能楽の家のしきたりや習わしを学ぶ機会となります。つまり能楽師としての素養を日々の生活から身につけるのです。
一生修行
修行を終えた者は晴れて能楽師として独立をします。寿司職人であれば自分の店を持つことが許されるように、能楽師の場合も弟子を持ち舞台の仕事を自由に生み出すことができます。ところが、独立しただけでは一人前として扱われません。能楽の舞台は、複数人によって表現される世界のため、スポーツでいうところの団体競技と同じであり、自分の役割の仕事をしているだけでは良い舞台を作ることはできません。演者同士がお互いの息を読み「間(ま)」を感じて、それを共有することが必要とされます。これは本番の舞台の上でしか知ることができないのです。
また、能楽にかかわる小道具や大道具の作製、能面や能装束の着付け、幕上げ、運搬、下準備といった能の世界をつくる仕事は全て能楽師の手によるものです。能楽師とはわかりやすく言うと能楽専門家です。これが能楽“師”とよばれる所以です。私は独立後、先生から「能は一生修行」という言葉を頂きました。独立をするということは、やっと能楽師としてスタートラインに立ったという事なのです。