京都の焼き物で「清水焼」といえば、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
今回ご紹介するのは、そんな清水焼発祥の地「五条坂」です。通りには、焼き物屋さんが多く並んでおり、観光に行く途中でブラブラするだけでも楽しめます。では、どのような街並みなのか一緒に見ていきましょう。

焼き物の町を歩こう

 大和大路五条東北角に「ここよりひがし五条坂」という石碑があります。
 
ここからが清水焼発祥の地五条坂です。昔の人は、つま先上がりで歩くのが五条坂と言ったそうです。確かに、この石碑から東大路通りまではつま先上がりで歩くなだらかな坂です。また五条坂中ほどに若宮八幡宮(陶器神社とも言われています)があり、その五条坂の入り口に「清水焼発祥之地 五条坂」という大きな石碑が立っています。

  私が小学生のころは、登り窯を焚いている時その煙が五条坂一帯に漂っていたことを覚えています(広さは今と同じですが、舗装されてなくてバイパスもなかったです)。窯炊き用の松割木が積んである広場があり、その中で職人さんが焚きやすい大きさに素晴らしい早さで手斧で割っていました。よく見惚れていました。このように焼き物の街という風情が沢山見られた地域でした。ご興味のある方は、「ここよりひがし 五条坂」の石像から坂を上り散策するのも楽しいかと思います。

登り窯とは

 登り窯は傾斜地の傾斜を利用して築かれ下からいくつもの(5前後)部屋に分かれ下から順番に焼いていきます。燃料には松割木が使われます。松は油分を多く含んでいて燃やすと熱カロリーが高く、火足が長く炎が窯の中を回るので適していました。

 登り窯では、食器、花器、茶道具などいろいろなものが作られていましたが、時間や人手等の経費、生産効率などを考え、また煙害等の問題で現在では電気窯、ガス窯にとって代わられています。

 現在は、登り窯も焚けなくなり3基ほどしか残っておらず、陶磁器を販売する店も徐々に少なくなってきています。ただ佇まいは普通の民家でも陶芸家であり清水焼従事者であり、また路地に入ると作陶していたり作品を入れる桐箱などを制作される人もおられます。このように焼き物の街として今も五条坂は息づいています。

 五条通りを挟み南側にも陶芸に従事する人々が沢山おられ「河合寛次郎記念館」もあります。ここは登り窯もきれいに保存され今でも仕事されている様な、街の雑踏を忘れる静寂に包まれたところです。

 河合寛次郎氏は、五条坂で制作活動した陶芸家です。大正時代に縁あって彼が譲り受けた五条坂の窯を「鐘渓窯」と名付け陶芸を開始しました。台風で自宅が損傷した際は、登り窯の形に対応するかのような構造をした新しい自宅兼仕事場を自ら設計し、完成させました。この自宅兼仕事場が河合寛次郎記念館です。

焼き物で心豊かな時間を

 五条坂には先代清水六兵衛氏デザインによる25基の街灯が夜の五条坂を照らしています。国道1号線では非常に珍しい私設の街灯です(五条坂陶栄会が設置)。

 最近では西大谷、鳥辺野へのお墓参りの人々、清水寺や建仁寺へ観光に行かれる人々、外国の人々で賑わっています。なかでも松原通りにある珍皇寺のお盆前にお精霊さんを迎えるために参詣する「六道まいり」は、京都のお盆には欠かせない行事で、お参りに来られる人々目当てに始まった「五条坂陶器まつり」は毎年8月7,8,9,10日に開催され五条坂の一大イベントとなっています。

 五条坂で焼き物のことを尋ねると、「清水焼を日頃の生活の中でどのように使えば毎日の食生活が楽しくなるか」、「生活の中に取り込むことによりいかに心豊かな時間を持てるか」などお店の方がそれぞれの京都の楽しみ方、焼き物の楽しみ方を語ってくれるかと思います。旅の思い出がてら、ぜひ「五条坂」を歩いてみてください。

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この記事を書いたKLKライター

清水焼窯元 株式会社陶泉窯 四代目
谷口 哲也

 
陶泉窯四代目として京都五条坂に生まれる。
故 浅見 薫先生(日展会員、元京都市工業試験場場長)より長年にわたり釉薬の指導を受ける。
裏千家流茶道、花傳御幸流華道を修行し、その伝統的造形を生かした陶芸活動を展開、数々のオリジナル作品を発表。

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陶泉窯四代目として京都五条坂に生まれる。
故 浅見 薫先生(日展会員、元京都市工業試験場場長)より長年にわたり釉薬の指導を受ける。
裏千家流茶道、花傳御幸流華道を修行し、その伝統的造形を生かした陶芸活動を展開、数々のオリジナル作品を発表。

|清水焼窯元 株式会社陶泉窯 四代目|清水焼/五条坂/登り窯/河合寛次郎/五条坂陶器まつり

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