工芸ノオト −京都で出会った手仕事のおはなし− 【知る人ぞ知る素敵な布「西陣絣」】

「いとへんuniverse」の一員として「西陣絣(にしじんがすり)」の魅力を伝える活動をはじめて、この秋で5年になります。

制作現場に立ち会い、実際の布を手に取り、古い文献を調べたり職人さんにお話を聞いたりするうちに、少しは西陣絣と仲良くなれたような気がするものの、まだまだ分からないことばかり。
それどころか「何が分からないかさえ分からないくらい、きっと何も分かっていないのだろうなあ」としみじみすることもしょっちゅうです。

わたしは物書きなので、どんなに頑張って学んでも知識の域を出ることはありません。
職人さんたちの仕事を見ていると、物書きのわたしが西陣絣の芯の芯までを知り尽くすということは、この先もありえないだろうと思うのです。

なんとも心許ない話ですが、そんなわたしでも自信を持って言えることがひとつだけあります。それはわたしが「西陣絣の大ファンである」ということ。
はじめて西陣絣を見せてもらったときの衝撃と感動は今も忘れがたく、その夜のことを昨日のように覚えています。

それくらい、とても大きな出来事でした。
 

西陣絣との出会い

それは、リーダー、郁ちゃんと3人でいとへんuniverseを結成して1ヶ月ほどが経った秋の終わり、「鍋でもつつきながらミーティングしましょう」と、西陣にある郁ちゃんの住居件工房にお邪魔した夜のことでした。その日の京都はとても寒く、もうすぐはじまる本格的な冬を先取りしたかのような厳しさでした。築100年は経つという町家もずいぶん冷え込み、鍋をつつく手がかじかむほどで「わたしは青森出身で慣れっこだけど、この家寒いでしょう?」と、郁ちゃんが石油ストーブを焚いてくれました。同じく寒がりのリーダーは、部屋の中でもダウンジャケットを着たままでした。

郁ちゃんが愛してやまないブルース・スプリングスティーン&ザ・Eストリート・バンドのCDやレコード、趣味のフライフィッシングの道具などが楽しく並んだ部屋には、わたしたち人間よりも存在感のある先住者がいました。くるくると回る大きな枠や、太鼓のような形をしたドラムなど、独特の形状をした見たこともない木製の道具たちで、年季の入ったよい色艶をしています。聞けば、西陣絣を加工するための道具なのだそう。郁ちゃんは廃業された絣屋さんからそれらを譲り受け、師匠の元から独立して絣職人として活動しようとしているところでした。わたしはすぐにその道具たちに親しみを持ちました。古い町家で道具や絹糸に埋もれるように3人でお鍋を囲んでいると、なんともいえず気持ちがほっこりと落ち着いたのを覚えています。

 そして、食事が済むやいなや、出てきたのが西陣絣の見本裂(みほんぎれ)でした。

 リーダーは機屋に勤めており、着物や帯を企画制作したり自分でも手織りをする職人さんですが、実家は絣屋で、かつて家業を手伝っていた元絣職人でもあります。この日は家に伝わる大正時代の見本帳を持参していました。また郁ちゃんの家には、郁ちゃんの師匠である徳永さんが所有する昭和時代のカラフルな端切れがたくさん置かれていました。2人はそれら貴重な布を、目の前で広げてくれたのです。

郁ちゃんの師匠の端切れ

町家の寒さも吹き飛ぶほどの衝撃でした。
次から次に出てくる、めくるめく素敵な布の数々。色柄の多彩さ、モダンさ、かっこよさ。いわゆる和柄とも民芸調とも全く違う、洗練された意匠。

見本裂は「お召し」という絹のきもの地がほとんどでしたが、細い絹糸がたくさん使われているため、そのぶん紋様も精緻で繊細な表現になっていました。

素敵!素敵! なんて素敵なんだろう!

「本当にこれ、糸を染めてずらして並び変えて、ここまでの模様をつくっているの? 嘘でしょう?? クレイジーすぎる!」

最後は、悲鳴にも似た変な褒め言葉が口から飛び出していました。興奮が抑えきれません。

「ああ、これなんかスカートにしたら素敵やろねえ」
「どんな模様でもつくれるんだよね……わあ、蚊取り線香柄まであるじゃん!(笑)」
「この頃は何つくっても売れたんやろなあ……」

そんな風にひとつひとつのはぎれを見ながら、3人で盛り上がりました。

郁ちゃんの師匠の端切れ
リーダーの家に伝わる見本帳

職人さんの個性が宿る布

布を眺めながら話するうちに、西陣絣の現状も分かってきました。
かつて昭和の最盛期に130軒はあったという絣屋さんは、郁ちゃんを含めてもう7人しかいないのだそう(2019年の現在は、悲しいことに6人になってしまいました)。

郁ちゃんを除けば全員が高齢者でどこも後継者はいないといいます。
実際、リーダーも実家を継がず、織屋勤めをしています。

そんな状況をなんとかしたいと、郁ちゃんは職人の世界に飛び込んだのでした。
師匠の元で何年もかけて修業していたとはいえ、後継者が減っている業界に身を投じるというのは、大変に勇気がいることです。
郁ちゃんの行動力と溢れる絣愛に、胸を打たれずにはいられませんでした。

また、新たな事実もわかりました。
なんと、リーダーはお父さんだけでなく、お母さんの実家も絣屋さんで、おじさんやおじいさんも絣職人だったそうなのです。
なんという血筋でしょう、絣職人のサラブレッドです。

目を丸くしているわたしに「そうだ! いいものがあるよ」と、郁ちゃんが大昔に制作された西陣絣加工業組合の紹介映像をテレビに映してくれました。
撮影された時期は昭和50年代頃ではないでしょうか。
古ぼけた映像には、リーダーの今は亡き母方のおじいさんやおじさんが登場していました。若かりし頃の徳永師匠もいます。
みなさん、実に手際よくお仕事をされていて、とてもかっこいい。郁ちゃんの部屋にあるのと同じ道具たちも活躍しています。

いとへんuniverseのスタジオオープンデーの様子

その映像からはいろんなことが分かりました。

・西陣絣は西陣織の品種のひとつであること
・西陣織は分業化が進んでいて、工程ごとに専門の職人さんがいること
・西陣絣の職人さんは経糸(たていと)を加工して絣模様をつくり、織機にかけるちきりに巻きとるまでが仕事であること
(よく「絣を織っている」と間違われますが、布は織りません。織るのは織りの職人さんです)

▶︎西陣織とは

そして、映像では西陣絣の作業工程についても詳しい説明がありました。
絣の職人さんは、仕上がりのデザインにあわせて設計をし、経糸をきちんと防染し、染め屋さんに手配をします。多色の場合は色の数だけ防染と染めを繰り返す。無事に染まったら、その糸を並び変え、ちきりに巻きとる。巻きとるときに「はしご」という道具にかけてずらし、模様を生み出します。

ものによってはきもの何反分にもなる細くて長い経糸を自在に操るだけでもすごい技ですし、防染したりずらすことで模様を出すには、緻密な計算と美的センスも必要になるでしょう。

後から知ったことですが、小紋のような規則的な柄以外に、絵羽模様をつくることも可能なのだそうです。その場合は糸の種類によって織り縮みを事前に見越して防染するのだそう。技術と経験でものの善し悪しが全く変わってしまう。まさに職人技です。

映像を見ながら、郁ちゃんも大興奮。
「若い頃の師匠だよ! かっこいいよねえ……!」
といい、両手で経糸を組み替えるエア作業をしながら
「師匠はね、『やたら縞』っていって筋の間隔や色の配列に規則性のない縞が得意でね、『やたらの徳』って呼ばれてたんだって」
と、教えてくれました。

「やたらの徳」……!
なんてかっこいいあだ名なのでしょう!

「ほどよく適当に組み替えるのは案外難しいんや。苦手な人も多いんやで」
とリーダーが頷きます。
「職人さんそれぞれで得意不得意はあるよね」
と同意しながら、郁ちゃんはさらに教えてくれました。
「あ、この人はリーダーのおじさんだよ。伝説の職人さんなんだって、師匠がよく話しておられるの」

伝説の職人さんとは、いったいどんな方だったのだろう…。
いつか「やたらの徳」師匠にお話聞きに行かねば。
今は亡きリーダーのおじさんの姿を目に焼き付けながら、心密かに決意を固めました。

そしてこの映像を見ながら、自分がどうしてこんなに西陣絣にときめいたのかが、腑に落ちたように思いました。

そうかあ……そうなんだ。

わたしがさっき見せてもらって感激した色とりどりの西陣絣は、全部、この映像のなかにいるような職人さんたちが、それぞれに知恵を絞り、工夫を凝らし、腕によりをかけて、その手で仕事して生み出してきたものなんだ。

だからこそ、西陣絣はあんなにも多彩で、ひとつひとつの紋様に不思議な個性が宿っているんだなあ。そして、西陣絣の模様が精緻だけどどこかゆらぎや味わい深さをたたえているのも、手仕事で生み出されているからこそなのだろう。

いとへんuniverseのスタジオオープンデーの様子

そして同時に、この仕事が「学校の授業で教えられるようなものではない」ということも理解したのです。
自分が手織りする一反分の絣ならできる人もいるでしょう。けれど、職人さん仕事となると話は変わります。
きもの何反分もの長さの糸を、クライアントが要望するように、整経屋さんや染色屋さんと連携しながらつくりあげていかねばなりません。
職人としての適性はもちろん、織物や糸、染料への知識など現場での経験が必要になります。

郁ちゃん自身も時間をつくっては師匠の元に何年か通い、最後の1年は本格的に弟子入りして経験を積んだといいます。それはつまり「簡単に後継者は生まれない」ということを意味していました。

ということは……。
現在、この映像に出てきた職人さんたちと同じ仕事ができる若手は、目の前にいるこの2人だけかもしれない。リーダーのように元職人の若手がどこかにいるかもしれないけれど、いなければ、西陣絣の未来はこの2人に託されることになる。
そして、わたしは文章の職人としてそんな2人とチームを組んでいるのです。

「手織りものの良さを伝えよう」という目的で結成したいとへんuniverseでしたが、同じくらい大事なことがあった…!

それは「西陣絣をつくり、伝えていく」こと。
わたしたちいとへんuniverseの大きなミッションを自覚した瞬間でもありました。
 

西陣絣を次世代につなぐために

それから半年ほどして、郁ちゃんの大学の同級生である染色作家のイシガキちゃんがメンバーに参加し、いとへんuniverseのものづくりは「西陣絣・手織り・手染め」の3本柱になりました。どれもが人の手で生み出される布たちです。結成したときから、和装にはこだわらず、今の暮らしに馴染む布をつくり、挑戦することを大切にしています。

いとへんuniverse製作の西陣絣ストール
いとへんuniverse製作の西陣絣クラッチバッグ

チーム結成翌年の11月にはクラウドファンディングに挑戦し、64名の方にご支援をいただいて京都市内にスタジオを借りることができました。スタジオでは手機を3台設置して手織り制作をしています。西陣絣の経糸に自分好みの色を織り込んでもらえるセミオーダーは、一番人気です。また、洋服に使いやすい広幅コットンの西陣絣にも挑戦し、それらオリジナルの布でサコッシュや眼鏡ケースなどの小物も制作販売しています。

いとへんuniverse製作の西陣絣眼鏡ケース

去年からは毎月第2土曜にスタジオを一般公開し、遊びに来てくださる方に西陣絣をご紹介するようになりました(お正月やお盆など都合によってはお休みしています)。

そのときお客様にご覧いただくのが、あの寒い秋の夜にわたしが初めて見た見本裂と、古い西陣絣の紹介映像です。あのときのわたしのように、興奮し、感激しながら、思い思いに西陣絣との出会いを楽しんでくださっているみなさんの様子は、なんとも心強く、嬉しいものです。そして心のなかでそっと話しかけます。「西陣絣、素敵ですよね。わたしも本当にそう思います。この布がどうか次世代に伝えられますよう、みなさんのお力を貸してください」と。

ありがたいことに、クライアントや大学の先生、クリエイターや学生さんなど、活動に共鳴してくださる方がいろいろ手助けをしてくださり、少しずつ輪も広がってきました。郁ちゃんの本業仕事も好調で、唯一の若手西陣絣職人として引く手数多な状態です。西陣絣を築いてきた多くの先人たちもきっと、天国から応援してくれているに違いありません。

いとへんuniverse製作の西陣絣コットン生地

けれど、まだまだ、です。
郁ちゃんに弟子ができて、その弟子が独立したとき。あるいは、いとへんuniverseから若い西陣絣職人が生まれたときが、西陣絣のバトンを次世代につないだということになるのでしょうか。

そのためには、わたしたちいとへんuniverseでも魅力的な西陣絣をつくり、もっとたくさんの方に知ってもらい、手に取ってもらわねばなりません。博物館に「絶滅寸前の貴重な布」として飾られるのではなく、「ある日お店で見かけて素敵な布だと思ったら西陣絣だった」というのが理想です。

正直なところメンバーそれぞれが本業を続けながらの挑戦になるので時間的な制約も大きく、一足飛びに飛躍するのは難しいのが現状です。けれど、西陣絣に興味を持ってくださる方々の力を借りながら、一歩一歩積み重ねていくしかないと思っています。もちろんわたし自身も「西陣絣の大ファン」として、もっともっと伝える努力をしていくつもりです。

どうぞみなさん、西陣絣に触れにスタジオへ遊びにいらしてください。メンバーとまだ見ぬ素敵な布たちが、みなさんをお待ちしています。

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この記事を書いたライター

染織や紙を中心に地元京都の工芸を取材し、WEBや雑誌に寄稿。
2014年に西陣織の職人さんたちと西陣絣を伝える「いとへんuniverse」を結成。個人でも西陣絣の研究活動を続けている。また、2020年より染色作家岡部陽子と手染毛糸Margoを立ち上げ、インディダイヤーとしても活動中。


|いとへんライター・文筆家|西陣絣/伝統/職人/糸