上賀茂(京都市北区)で、育ちました。
ですが、伝統に関心や関連のない家庭だったこともあり、祭や伝統芸能に関わることもなく、京都を出て、東京や大阪で暮らしたりもしました。
地元に戻ってから、ようやく真面目に葵祭を見たり、同級生が賀茂競馬に関わっていることを知ったり、高校の裏に一休さんが住持を勤めていたお寺があったり、除夜の鐘をついていた場所に六斎念仏と関わりがあることを知ったりと、私は「京都人の京都知らず」を地で行くような状態だったのでした。

知らずに歩いていた道に、こんな歴史があったのか…こんな人達が居たのか…気づくチャンスは沢山あったのに、素晴らしいものに囲まれていたのに、何も触れないまま、こんな歳になってしまった…ですから、私の京都を探る意欲の源は、ある種の悔念に基づいており、私の視点は、つねに半分、探索者というのか、よそものの性格を含んでいるのです。

今回は、そんな見落としていた何かの話をします。

六斎念仏というものを、ご存知でしょうか。
民間信仰・民間芸能のひとつで、時宗の一遍上人が始めた踊り念仏(踊躍念仏)に起源を持つとされます。はじめは身振りと鉦・太鼓を交え、念仏を唱える形式であったものが、やがて娯楽的・芸能的要素を加えた一派が現れ、念仏六斎と芸能六斎に分かれていきました。
京都では、各地の六斎念仏が保存会を結成し、活動の維持と継承を行っています。

しかし、上賀茂 深泥池地域の六斎念仏は、保存会(京都六斎念仏保存団体連合会)に加入していません。そもそも、六斎念仏の前提である「念仏・鉦・太鼓」のうち太鼓を使っておらず、身振りもほとんど無く、穏やかに念仏を読み上げ、鉦を叩くのみ。前述の分類にすら、当てはまりません。他の六斎念仏とくらべて、かなり、異質なのです。
これは六斎念仏として挙げて良いのかどうか、識者のご助言があれば、参考にしたいと思います。ただ、地元の人は「六斎」だと認識されています。私にとっては、その定義よりも、現在も残る貴重な祈りの形であることを重視し、紹介したいと考えます。

私が深泥池の六斎念仏を初めて拝見したのは、8月28日の夜に行われる「大日盆(大日如来地蔵盆とも)」の時でした。
地蔵盆に似ていますが、祈りの対象が地蔵菩薩ではなく、大日如来である点、日にちが違う点で地蔵盆とは異なっています。

地域の男性たちが、洒脱な浴衣を身にまとい、鉦を胸にかけ、打ち鳴らし、地域の三つの祠で順番に祈りを捧げていきます。

祠の前には日よけ・雨よけのテントやシートが掛けられ、近くではご家族が見守り、ときどき、うちわで風を送ったりして、気遣っておられます。

見に来ているのは、地元の人たちと、民俗に関心を持つ来訪者を合わせても10人未満。
お経の声も鉦の音もあるのに、静かに感じられる夜です。それは、だれも私語をせず、場を乱さず、捧げる祈りに心を寄せているからではないでしょうか…。

ここは、上賀茂小学校の学区で、私にとっては、同級生の友達の家に遊びに行く、その道の途中でした。ゲーム好きの少年たちが集まって、みんなで一つの画面を囲んで遊んでいたのです。マリオやドラゴンクエスト、信長の野望に熱中する男児たちに、お念仏のような古い伝統に気づく余地はありませんでした。

気づいたとして、こんな気持ちで見ることが出来たかどうか。

三つ目の祠でお念仏が終わると、地元の皆さんがお酒やスイカなどを勧めてくれました。
お酒はダメなので、スイカをありがたく頂き、お話を伺いました。

三つ目の祠は、個人のお家の壁をくり抜いて作られています。ですので、祠を維持するためにはお家を残していかねばなりません。昔ながらの、立派な農家の作りでした。何度も難しい時があり、それを越えて今に至る話を聞かせていただきました。

大日盆だけでなく、8月16日の送り火のときには、点火に合わせて精霊送りのお念仏を挙げます。
浄福寺(上賀茂畔勝町)というお寺での行事なのですが、建物などの影響で大の字が見えなくなったため、場所を100~200mほど東に移して行われます。それでも電柱や家の屋根の間から、やっと覗くという感じです。

五山の送り火が「見るもの」になりつつある今、本来の意味を踏まえてお経を唱える人たちが居ることは、重要なことのように思えます。

現在、参加者の年齢は、最年少の方で70代後半だそうです。最高齢ではなく、最も若い方です。可能な限り、維持・継承していきたい伝統ですが、せめて記録を残していかねば…と思わされます。

かつて、深泥池には六地蔵巡りの一つ、深泥池地蔵がありました。神仏分離の後、上賀茂神社の領域に、仏教の地蔵さんが有るのはいかにも良くない、ということで鞍馬口への移転を強いられ、現在の鞍馬口地蔵(上善寺)に繋がります。

その移転先にも、芸能六斎である小山郷六斎があり、今も盛んに活動されているのは面白いことです。ふたつの、全く形の違う六斎念仏が、ひとつの地蔵さんを介して繋がっているのですね。写真は、小山郷六斎独自の演目である「猿回し」です。

上賀茂 深泥池地区の六斎念仏にまつわる、お話でした。

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この記事を書いたKLKライター

写真家
三宅 徹

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

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最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

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