さてお盆のお話の後半です。前半ではお盆の意味や、京都人度チェックで「おしょらい迎えをどこでするか」、そして「お盆は何をするか」について説明しながら進めてきました。お盆はお供えが大事なので、その準備についてのお話もさせていただいたわけですが、さてここからが本番です。

で、ちょっとその前にお盆の京都人度チェック、3つ目を見ていただきましょう!

③お盆の期間は何日から何日まででしょう?

これは結構ご存じの方は多いかもしれませんね。関東は新暦のお盆で7月、そして前半の部でも書いたように京都のお盆は旧暦で、8月13日から始まって16日に終わります。実はお盆は全国でも旧暦で行われる地域がほとんどで、新暦のお盆は関東や大きな都市などごく一部です。「この問題は簡単やったな」て思う方もやはるでしょうが、なんでこれをチェックで聞いたかというと、お盆は1日の一瞬では終わらず最長4日間あること、そしてお供えをする人にとってお盆の4日間は、「休日の4日間」やなくて「おしょらいさんをお供養する4日間」なんやということを心に留めといていただきたかったからなのです。

 

お盆のお供えをする

さてここからは、前回「お盆にすること」として分けた3つの作業の順番に説明していきますね。まずは1)お盆のお供えです。お盆のお膳は13日から4日間、毎日メニューを変えて作ります。蓮入りのお花とやお盛物など買うものもかなり多いけど、母は毎年私が子どもの頃からお供えの仕方を少しずつ教えてくれました。

お供えにはいろいろと制約があります。まず肉魚卵など、動物が原材料のものはダメ。ニンニクやネギのように匂いのきついもの、お酒もあきません。いわゆる「精進(しょうじん)」です。出汁もかつお節はお魚なので使えません。調味料ではみりんもアルコール分が入っているのでダメです。ここは厳格にきっちり守るよう言われました。

あと、最初にあげるお菓子としては、おけそくさん(小餅)、お迎え団子、蓮の押し菓子、おはぎ、ていうとこですね。京都のお饅屋さんは、お盆になるとお供えするお菓子の一覧が貼り出されたり、一度買うた後には紙をもろたりします。

お供え物は多いですが毎日のメニューは毎年変わるわけではないので、このような紙を見ながら買うたり、ノートのメモを見ながらその通りお供えしています。なので気持ちさえあれば誰でも簡単にできることなんですよ。あとはそれを毎年続けることができるかどうかの問題です。

ではまず13日から15日までのメニューを並べてみますね。

13日 白いご飯・さつまいもの炊いたん・三度豆のごまのおひたし・きゅうりのどぼ漬け(ぬか漬け)。
14日 おそうめん(具:花麩・湯葉・かんぴょう・干し椎茸の炊いたん)・おなすのおひたし・新生姜のお漬けもん。
15日 白蒸し(もち米を蒸したもの)・おひら(高野豆腐・花麩・かんぴょう・干し椎茸の炊いたん)・おなすのどぼ漬け。

形としては「ご飯+大きいおかず+小さいおかず(おひたし)+お漬物+お煎茶」の組合せで、14日はお素麺が左下にあり、おかずが一品減ります。写真では具が乗りすぎてお素麺が見えませんが、これが白いご飯代わりになっています。15日はご飯を白(しら)むしにします。白むしというのはお饅屋さんで買うのですが、おこわ(お赤飯)の白いバージョン、つまりもち米を小豆を入れない白いまま蒸したものです。おこわに対して、白むしは法事専用のようですね。14日と15日はご飯を炊かんでもええメニューなので、13日だけ朝と昼にご飯を炊きます。昼にお供えするとき、朝に炊いたご飯は冷めててあげられへんので面倒でも2回炊くことにしています。15日の「おひら」というのは、御所ことばで「平たいお皿に盛ったおかず」のことやそうです。

今でも朝早うからお膳を準備して、昼も夜もお供えをするお家もありますが、うちは昼1回だけにしています。150年くらい前までは上京の別の地域に住んで違う仕事をしてたので、そのころはもっと丁寧にお祀りしてたかもしれません。でも明治に西陣に来てからは西陣織の製造販売をお商売にしたために女性も仕事で忙しくなりました。それできっとお料理に手がまわらんようになったんとちゃうやろかと推測してます。毎年お盆の行事を続けていくために、時代によってその時の家庭の状態に合わせて変えてきたんですね。なので私の後の代ではお勤めがあったら夜になるかもしれんし、日も短縮されるかもしれません。でも、それでも良いのです。要は気持ちの問題やと思います。

お箸は先ほどお話したように「麻木」で作ります。まな板の上でゴロゴロ転がして包丁で切れ目を入れるとうまいことポキッと折れます。お箸の数は必ず奇数にすることと決まっていますが、うちは大体5膳にしてるので山のようになってしまいお膳に乗せるのが大変です。でもこれも、できるだけたくさんの仏さんに差し上げたいと思う意思表示ですかね。

さてお供えの全体のようすは写真のようになります。おぶったん(仏壇)の前に小さいテーブルを焼香台とつなげて置いて白い布をかぶせると長いお供え台のできあがり。大きなおぶったんやったらこんなせせこましいことせんでもええのですが、うちのような小さいものでもお供えの数はどうしても減らすわけに行かんので、このような置き方になってしまいます。おぶったんから垂れ下がっている生地はお戸帳といって、金襴地で作ってあります。これは80年ほど前、若くして亡くなった伯母が自分で織って作ったものだと母から聞きました。

▲13日のお供え

▲13日のお供え

お膳が2つ?

さてこの写真にもお膳とお盛物が2つずつあるのがおわかりでしょうか。上に1組、下に1組、ちょっと上のお盛物が場所の都合で上の段に乗せきれてませんが… 実は、これはお供えをあげる対象(霊)が2つあるのです。上のほうはご先祖さん、そして下のほうは「法界の仏様」にあげています。「法界の仏様」あんまり聞かへん言葉ですね。私もお盆の時しか使いませんが、これは簡単に言うと「無縁仏」さんのことなんですよ。私の家とは何の縁故もない仏さん。どなたにも連れて帰ってもらえへん霊のみなさんは、お寺にだれか来ると「なんとかして供養してもらいたい」とすがりついて来やはります。母からはよく「他のお家のお墓に水あげたり掃除したらあかんえ。付いて帰って来やはるさかいに。」と言われてたので気をつけてはいますが、それでもきっと10人くらいはぶら下げて連れて帰ってるのやろなぁと思ってます。ご先祖さんの供養をするためのお盆と言うても、やっぱりそんな人らもほっとくわけにはいきません。「ご先祖さんやなくても御供養してあげましょう」と、これがいわゆる「お施餓鬼」、つまり「餓鬼」に「施しをする」ということです。これが前回お盆の準備のお話で書いた「功徳ポイント」!自分に関係のない霊にも施しをすることで「功徳ポイント」をゲットして、ご先祖さんにも自分にもメリットを得るということなんですね。こう書いてしまうとお盆がなにかものすご打算的なものに思えて味気なくなりますが、ここは「ご先祖様のため」「無縁さんのため」に結果的に良いことをするのやと考えてもええのやないでしょうか。

ただ注意せなあかんことがあって、法界の仏さんのお供えはご先祖さんのとはちょっと差を付けるようにします。法界の仏さんにはお盛物だけでなくお膳も控えめに。ご先祖さんよりちょっとだけ小さくして数も減らします。お箸もご先祖さんのより細めのを選んで使います。そうそう、お光とお線香も必ず上から。下に使った火で絶対上のろうそくやお線香をつけません。母が言うてました。「おんなじようにすると居心地良うなりすぎて、帰ってくれやはらへんようになるさかいにな。」なるほど、無縁さんだけ居座られても困りますわねぇ。ということで無縁さん、お供えはあげるけどやっぱりご先祖さんと一緒というわけにはいかんのです。あ、それからもうひとつ大事なこと。うちのご先祖さんと法界の仏さんだけではなくて、もちろんご本尊の阿弥陀さんにもお供えをします。そやし本当は3種類に分けてお供えをしていることになりますね。

お膳をあげたらお光(ろうそく)とお線香もあげ手を合わせ、阿弥陀様と小さい仏さんの名前を順番に言うていきます。うちの先祖代々、両親の戒名、そして忘れんように「法界の仏様」も付けて。そしてうちは浄土宗なので南無阿弥陀仏を十念(10回言うこと)したら「おあがりやす」と声をかけます。この瞬間が一番ホッとするときですね。時間があれば、過去帳を順番に見ながら、私の知らんご先祖さんとおぶったん越しにお話をするひとときでもあります。

 

お寺さんの棚経

今度は2)の棚経についてお話しましょう。お供えしたら、お盆のうちに菩提寺のお坊さんに来ていただいてお経を読んでもらわんとあきません。お寺さんが来やはる日は今でも緊張します。お供えの盛り付けも他の日よりちょっときれいになってるかも。

お寺のお坊さんがおぶったんの前に座らはったら、家族の者はみんな揃ってお坊さんのそばに控えます。用事がない限りは子どもも必ず座らせます。私が小さい頃は法衣を着たお坊さんがものすご大きく見えて怖かった!でも、木魚のポクポク音を聞いてるうちに楽しなってきましてねぇ。音に合わせて身体揺らしてたら、母に思いっきり足をしばかれました。怒られた思い出のほうが多いですが、親からは「お盆はこうするもんや。」ということを教えてもらいました。お寺のお坊さんとは棚経のあと少しお話しますが、子どものころは「勉強頑張ってるか?夏休み何してる?」とか聞かれて、だらだらしてるのを知っている親が「ムフッ」と笑うたりするとヒヤヒヤしたもんでした。お寺さんだけと違って仏さんもきっと聴いたはるでしょう。お盆て子どもに喝入れる日やったんですかね。

▲江戸時代からある特大の木魚。

▲江戸時代からある特大の木魚。

お寺さんが帰らはったらお膳の後片付け。これまた子どもの頃、母がお膳を片付けてる間、やっぱり木魚が気になって「な~んま~んだ~ぶつっ!」と叫びながら木魚を延々と叩いてたりすると、後ろから頭をパツン!とやられたものでした。これも今となっては懐かしい思い出です。以前使っていた木魚は江戸時代から使っていた幅が30㎝以上ある特大サイズ、低い音で鳴っていましたがどこかにひびが入ってしもたらしく音が鈍くなってきました。言うときますが、私が叩いたせいやありません。おぶったんを新しく替えたとき木魚も新調したのですが、お仏壇屋さんから「これは大事に保管しておいてください。」と言われたので、今もウコンの布に包まれて押し入れの中で眠っています。

 

最終日は超早送り!

そしていよいよ最終日、3)のおしょらい送りをします。最終日の16日はこの日だけかなり朝早うからお膳の用意をします。あらめは前の晩から水に浸けといたものを冷蔵庫から出してきて、お揚げさんと一緒に炊きます。そのとき色のついた浸け汁は残しておきます。早よ準備せんとあかんので、ラストのお膳はあらめとお漬物だけです。お饅屋さんからおけそくさんと送り団子を買うて来て、一緒にお供えします。みなさん早い時間から買いに行かはるので、お店もかなり早くからやったはりますよ。

▲あらめと浸け汁

▲あらめと浸け汁

ここからが時間の勝負!お供えが終わったら、急いで阿弥陀さん以外のお供え物を全部新聞紙の上にあけてぐるぐるっと包んでしまいます。準備が済んだら「おしょらい送り」のため近くのお寺へ直行!でも私が行く頃にはすでに多くのお家の方が来たはって「あ~負けた~!」と毎年思うのが常ですね。みなさんホンマ早いんですわ。指定のお寺や神社ではお供え物が集められ、箱に入れて積んであります。昔川に流していたお供え物は、京都市に処分してもらうことになっているのです。お供え物を置いたらご先祖さんのお塔婆を書いてもらい、お線香をあげてお参り。ゴーン!と送り鐘をついて「また来年来てや」と手を合わせ、ようやくひと区切りついた気分になります。

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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
お申込みは「鳴橋庵」HPまで。

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