出生地

光秀はどこで生まれ育ったのか…歴史上著名な人物でありながら、その出自が不明であることは、光秀の人生そのものまでもミステリアスな霧で包んでいる。光秀伝説は各地にあるが、出生にまつわる伝承が多いのは美濃である。

光秀は室町時代に美濃国(岐阜県南部)の守護を務めた土岐氏の一門で、可児郡明智城を本拠とする明智氏の出身とされる。しかし最近、近江国佐目(現滋賀県多賀町)で生まれたとする記述がある江戸前期(17世紀)の地誌「淡海温故禄」が見つかっている。

生年を記した資料がないため、光秀が何年に生まれたのかは現在でもわかっていない。私は、数年前、岩村城、苗木城を探訪したついでに、明智城(岐阜県恵那市明知町城山)と明智長山城跡、天龍寺(岐阜県可児市瀬田)を訪れた。それぞれ中世城郭として整備されていたが、天龍寺には光秀の位牌や明智氏歴代の墓があった。

坂本城 西教寺

信長は光秀の能力を買い、安土から都に上る重要だった坂本を任せ、元亀3年(1572年)光秀45歳、坂本城が完成する。城内に琵琶湖の水を引き入れた水城で、天守を持つ姿は非常に壮麗だったという。光秀の支配のもと、比叡山監視及び西近江路の要衝の地となった。

坂本城の遺構は、廃城後、ほとんど大津城築城に再利用されたが、琵琶湖の水位が下がると波際に遺構の石垣が顔を見せる。

宇佐山城を攻め落とした浅井・朝倉が比叡山に匿われたために比叡山延暦寺を焼き討ちした。13年比叡山延暦寺は復興されなかったが、比叡山東麓にある西教寺は2年後に再建された。

西教寺は光秀の死後は菩提寺となり、坂本城の城門が移築されている。梵鐘や書状など、光秀ゆかりの品々が残るとともに、光秀や妻熙子、一族の墓もある。

光秀の魂は今も坂本の地から世の中の移り変わりを見つめているかもしれない。

光秀の居城・坂本城跡に立つ

光秀の居城・坂本城跡に立つ

光秀像(滋賀県大津市坂本)

坂本の西教寺には、坂本城の城門が移築されている

西教寺境内の妻熙子の墓

西教寺境内の妻熙子の墓

西教寺境内の明智光秀一族の墓

西教寺境内の明智光秀一族の墓

福知山城

天正7年(1579年)、52歳、丹波を平定した光秀が築城。明治のはじめに取り壊され、石垣と銅門番所だけが残っていたが、昭和61年(1986年)天守閣が再建されたが、市民
を中心とした再建費の寄付が8割以上になり、市民の熱意が伝わってくる。

復元天守

復元天守

大天守に小天守と櫓が接続した特殊な構造をしている
内部に居住施設を備えている

天守台石垣に、近辺の神社仏閣の石を使い転用石とした。合理的に石材を獲得した。五輪塔や宝篋印塔、石仏など500点もの転用石材が使われており、築城工事が急がされことがうかがわれる。光秀時代の石垣が残っている平山城である。コーナーは、重ね積み方式で合理的で速く積め、光秀流の積み方である。

天守台の転用石材

天守台の転用石材

石仏の土台や石桶、五輪塔の一部が多く用いられている
こうした石材はサイズが揃っており利用しやすかった

福知山盆地を流れる由良川は、支流である土師川との合流する地点でたびたび氾濫を起こしていた。光秀は福知山城下を建設に伴って、河川の氾濫を防ぐために由良川の流れを大きく北に付け替えるという大規模な治水工事を施した。光秀が築いた堤防は、今でも明智藪として名をとどめている。

城に近い、由良川と土師川の合流点に堤防を築き、その前面に藪(明智藪)を設けて、城下町づくりをした

「明智光秀 丹波をひろめ ひろめ 丹波の福知山」と唄われている福知山音頭。築城の際、領民たちが石材や木材を城に運ぶ時の「ドッコイセ、ドッコイセ」と手振り、足振り面白く唄い出したのが、福知山音頭の始まりであると伝えられている。光秀は良き城主であった

光秀は、地子銭(じしせん)を布き、庶民の生活を豊かにするため領主が城下町に課した税金を免除した。安心安全な町には、多くの人々が集い城下が発展した。

明智光秀家中軍法を家臣に発した。戦で負担する動員や武器などを石高に応じて定めた。
それまでは、稼ぎに関わらずたくさんの兵や武器を集めた者が誉められたが、町や民衆は疲弊していた。明智光秀家中軍法は、今でいう戦国時代の働き方改革だったかも知れない。

御霊神社 福知山で善政を敷いた明智光秀を祀る。治水を極めて人心を安定させたので神となった。

光秀を祭神として祀っている御霊神社

光秀を祭神として祀っている御霊神社

光秀の書状や家中軍法などが神宝として納められている

 

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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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