ポール電車

最初から大きな話ですが、地球上で実用化されている乗り物のうち、自分でエネルギーを持たずに走っているのは「電車」だけということを考えたことがおありですか。自動車も飛行機も、そしてボートやヨットでない限り船も自らエネルギーを持って動いています。鉄道でも蒸気機関車は石炭を、ディーゼルカーは軽油を抱いて動いています。ところが電車だけは線路の上に張られた架線から電気を取り込んで動いています。これは新幹線も路面電車も同じしくみです。


そこで架線から電気を取り入れる装置ですが通常はパンタグラフと呼ばれる大きなひし形の機器が電車の屋根上に取り付けられていて、架線に接することで電気を取っています。このパンタグラフが登場するまではトロリーポール(以下ポール)と呼ばれる長い棒を電車の屋根に取り付けて電気を取っていました。

棒の取り付け部分には上向けに押し上げるバネが付いていて、先にはホイールとよばれる砲金製の溝が付いた滑車が取り付けられています。それが架線を挟んでクルクル回りながら集電するのです。そのような仕組みですから高速で走る電車には向いていませんし、進行方向の後ろ側(車掌さん側)のポールを上げることで電車の動きに追随するのです。

またポイント(線路が分岐するところ)ではポールも架線から外れてしまうことがあるので、車掌さんはポールの先に結んであるロープを引っ張って離線を防がねばなりませんでした。さらに終点の駅に着くと、進行方向が変わるのでそれまで集電していた後ろ側のポール下ろして、反対側のポールを上げるという作業をしなければなりません。この作業は先にふれたバネの力に逆らうわけですから結構な力作業でした。そんな構造ですから1両編成の時はポール集電でもよかったのですが、数両連結するとポール集電では不都合が生じ、集電装置もパンタグラフに替っていくのです。

終点駅ではその都度行われたポールの上げ下げ

終点駅ではその都度行われたポールの上げ下げ

京都はポール電車の聖地

さて日本各地の小さな電車で使われていたポールですが、最後までポール電車が走っていた町が京都でした。当時は同じ会社だった京福電鉄の嵐山本線と北野線(いわゆる嵐電)、そして現在叡山電鉄となっている叡山本線と鞍馬線(いわゆる叡電)の2路線が国内の営業電車としては最後までポールを使っていました。前者は昭和50年12月にZパンタと呼ばれるパンタグラフを半分にしたような集電装置に、後者は昭和53年10月にパンタグラフに置き換えられました。これにより集電効率も運行業務も大幅に改善されたのです。

もっとも叡電のポール電車はホィール式のポールからパンタグラフに変更されたのではありません。昭和48年1月にはポールの先端部だけホイール式からスライダーシュー式に交換されました。これは集電部分を回転させるものではなく、小さな板状のもので架線をこする仕組みでしたので、集電効率はやや改善されましたが、走行中の離線のリスクや終点でのポールの上げ下げの手間は変わりませんでした。

なお愛知県の明治村の中で走っている旧京都市電(チンチン電車)は現在もホイール式のポールで走っています。

最後のポール電車「叡電」

筆者は叡電の沿線で生まれ育ちましたのでポール電車の扱いについてはいろいろ見てきました。終点の出町柳ではそれまで集電してきた後ろ側のポールを下げ、反対側のポールが上がるのを見届けるまで改札口を出ない少年でした。上手な乗務員さんはするするとポールを上げ、いっぺんで架線にはめることが出来き、心の中で拍手をしていました。車庫内では上がったポール側のロープを片手で引きながら前後に入れ換え運転する器用な係員さんもおられました。また秋の行楽期などでは200形など普段は連結しない電車を2両連結にした時や勾配区間で確実に集電するために、前後2両の電車のポールを上げて走る珍しい光景を見ることもありました。

昭和52年頃からいよいよパンタグラフ化の準備が進められ、全ての電車の出町柳側にパンタグラフを載せる台を設置するなどの準備工事が進められました。一番思い出に残っているのは一か所ポールを取り外してパンタグラフに付け替えて本線を走らせる試運転でした。ある時、技術担当の係員さんがパンタグラフの作動状態を目視するために屋根上に寝そべって乗っておられる試運転を見た時は驚きました。

パンタグラフを載せて試運転(昭和53年10月)

パンタグラフを載せて試運転(昭和53年10月)

昭和53年10月18日、ポール電車の最終日に鉄道友の会京都支部では「さよならポール電車」のヘッドマークを作って簡単なセレモニーをしましたが、会社は大わらわでした。同夜のうちに当時25両あった電車のポールを外してパンタグラフに(作業用の貨物電車はZパンタに)載せ替え、ポイント部分の架線の修正などを限られた時間でやらねばなりませんでした。深夜、一連の作業が終わると、全線でパンタグラフによる試運転が実施されました。後日聞いた話では、鞍馬駅の構内で不具合が発生し、急いで修理されたそうです。

翌19日から「パンタグラフの叡電」が走り出しました。デナ21形など昭和1ケタ生まれの古い電車達もパンタグラフを付けられると一人前の電車?となり何か誇らしげに走っているように見えました。

筆者が制作した「さようならポール電車」のヘッドマークを付けたポール電車の最後の姿

筆者が制作した「さようならポール電車」のヘッドマークを付けたポール電車の最後の姿

前面の窓下についているのがポールからのロープを巻き取るレトリーバー。

前面の窓下についているのがポールからのロープを巻き取るレトリーバー。

万一、ポールが架線から外れて上に上がりそうになると、逆回転してロープを巻き取るようになっていた。

ポールの先端についていたホィール

ポールの先端についていたホィール

(2020.1)

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この記事を書いたKLKライター

鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長
島本 由紀

 
昭和30年京都市生まれ
京都市総合教育センター研究課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。
 

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|鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長|京都市電/嵐電/京阪電車/鉄道/祇園祭

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