ポルタは今年開業40周年を迎えます

「ポルタ」を運営している京都ステーションセンター(株)専務の水田です。まだ、この職について4年目で公務員から転職した私ですが、「ポルタ」の魅力をお伝えさせて頂きます。

京都駅前地下街「ポルタ」は、本年、11月27日に開業40周年を迎えます。
「ポルタ」は、JR京都駅に直結している地下街で、ファッション・飲食・京みやげ・スィーツ等合計115店舗が建ち並び、店舗面積は、約1万㎡。

1万㎡というショッピングセンターは、決して大きくない規模ですが、市内で地面を掘れば、平安京の埋蔵文化財が発掘される京都、地下には琵琶湖の水量の8割に匹敵する地下水が存在する京都、その京都で初めて建設された地下街です。…実は、快挙なのです。

「ポルタ」は、京都のまちの玄関口として、京都にお住いの方々や観光客等の皆様に笑顔をお届けするため、様々な角度からの地域・社会への貢献も踏まえ、常にチャレンジを重ね、進化を続けているショッピングセンターです。


「ポルタ」の始まりから、リニューアルを重ねて発信する魅力、今後の展開などについて、「KYOTO LOVE KYOTO」をご覧の皆様にご紹介させて頂きます。
 

ポルタはどうして生まれたか?

「古都」?…京都のまちは、常に新しいものにチャレンジを重ね、その積み重ねが千二百有余年の歴史を刻んできている。そして、今も百四十七万人の市民の皆さんが活き活きと生活し、五千万人の観光客を出迎えている。従って、未だかつて「古都」に陥ったことはない。

これは、私の師匠でもあります前京都市長の桝本賴兼さんの言葉です。


この美しい自然景観や社寺や京町家など歴史的な建造物、それらが醸し出す風情ある京都のまちにも昭和の時代の後半には、交通戦争と言われるクルマ中心社会が到来し、趣のある路面電車、市電も廃止となってしまったのです。

そして、1981(昭和56)年5月29日に地下鉄烏丸線が開通いたしました。

港もない、空港もない国際文化観光都市・京都のまちの貴重な玄関口…京都駅周辺には、国鉄(今のJR)を始めとする大量輸送機関が集中し、利用客と自動車が交錯するなど駅前広場の機能は著しく低下し始めていました。


この解決のための街づくりとして、人と車を立体的に分離し、安全・快適で楽しい散策や魅力的なショッピングができる京都駅前地下街が建設されました。1980(昭和55)年11月27日、京都駅前地下街「ポルタ」の誕生です。地下鉄烏丸線開通の半年前のことでした。
 

「ポルタ」の名前の由来は?

「ポルタ」の名称は、京都に初めて誕生する地下街として末永く市民の皆様に愛して頂けるようにとの願いから、「気品と個性」をコンセプトに京都新聞紙上を通し、広く一般から募集しました。

1ヶ月の応募期間に寄せられた5700通の中で、愛称として最優秀作に選ばれましたのが、イタリア語の“門”や“入口”を意味する「ポルタ」でした。

同年11月という同じ時期に開業された横浜駅東口の地下街もミナト町の玄関口として「ポルタ」と名付けられましたが、全く偶然の一致でございます。

「ポルタ」がオープンした時の京都駅は、1877(明治10)年に開業した初代のレンガ造りの駅舎から数えて3代目の駅でした。

初代京都駅-明治末期

初代京都駅-明治末期

二代目京都駅-大正前期

二代目京都駅-大正前期

三代目京都駅‐1988年

三代目京都駅‐1988年

そして、京都駅周辺の商業施設は、大正時代から市民に親しまれてきた「丸物」(後に商号変更され「近鉄百貨店」)と「京都駅観光デパート」があるくらいでした。近鉄百貨店があった場所は今、ヨドバシカメラになっていますし、京都駅観光デパートは今も駅ビル内にありますが「THE CUBE」と呼び名が変わっています。

そんな時代に「ポルタ」は、都心の賑わいスポットを四条河原町との二分化を目指し、主要ターゲットを22歳から25歳に視点を置きながら、ファッション、お土産・食料品、文化用品雑貨、飲食等の充実した魅力的なショッピングセンターとして開業いたしました。


当時、京都のまちは、地元産業界の不振、古都保存協力税問題の影響、円高不況等厳しい社会情勢の中ではありましたが、開業以来、順調に高水準を維持していたのです。

「ポルタ」の試練

 平成に入り、バブル経済が崩壊する一方で、クルマ中心の社会が進み、1996(平成8)年から2年の間に周辺地域の幹線道路沿いには、近鉄MOMO、パセオダイゴロー、草津駅前エイスクエア、大津パルコ、ジャスコシティ西大津、草津近鉄、浜大津オーパの順に大型商業施設が次々と開業し、「ポルタ」を取り巻く商環境は、大きく変化しました。


その上、隣接する京都駅も1997(平成9)年9月に平安建都千二百年記念事業の一つとして、国際文化観光都市・京都の玄関口に相応しい文化や情報を発信の拠点となる複合機能型ターミナル「京都駅ビル」に生まれ変わったのです。

その頃、開業から十数年を経過する「ポルタ」は、施設の老朽化にも直面し、様々な商環境の変化に耐え得るハード面・ソフト面の両方から強化しなければならない必要性に迫られたのです。

 「ポルタ」は、京都駅ビル開業と時期を合わせ、大規模なリニューアルに踏み切りました。「JR京都伊勢丹」や「ホテルグランヴィア京都」も含んだ京都駅ビルの賑わいを想定し、買い物客の増加や歩行者の安全性の確保に対応する ため、公共地下歩道の増設による利便性と回遊性の充実と共に地下街の改装や増床による店舗のボリュームアップなどを図るものです。


 一言で「地下街の増床・リニューアル」と言いますが、地下街の工事は、国の規制により、厳しく抑制されています。単に営業上に理由での増設は認められず、地下公共歩道の必要性が極めて高い場合のみ認められるのです。

 そして、地下街の増設には、階段の吹き抜け、給排気塔など必要な地上に突出する施設は、駅前の地上のレイアウトが変わる前にあらかじめ計画の中に取り入れて認めて頂かなければならないものです。

 ようやく工事の段階になりますと、昼間は、1600台以上の路線バスが運行し、同時に建設している京都駅ビルの工事車両の出入りもあります。夜間の工事は、近隣のホテル・旅館に迷惑がかかるので最小限度行うという過酷なものでした。


 1997(平成9)年の増床リニューアルにより、地下街にもガラスドームによる自然光の取り入れ、“ゆとりと個性”をコンセプトに床・壁などのカラーリングや照明も明るい色調に心掛けた「新生ポルタ」として、バブルの崩壊、商環境の変化、消費者ニーズの多様化・個性化等の課題克服に挑戦しました。

しかし、「JR京都伊勢丹」の開業や同年に実施された消費税5%への増税等の影響により、「新生ポルタ」のスタートは、大きな打撃を受けることとなりました。

 京都駅ビル開業以降、京都駅周辺は賑わいを増しましたが、大丸山科店・河原町OPA・新風館・ミーナ京都のオープンや四条通に面したルイ・ヴィトンやアルマーニ等の大丸の路面店、ベネトンに代わりZARAの参入など次々と新しい商業施設が建ち始め、「ポルタ」にとって厳しい試練の時期が続きました。

(ちょうど、「歩くまち京都」を担当する京都市交通政策監として、四条通の歩道拡幅をゴリ押しに進め、多くの皆さんから猛反対を受けていたころですが…)
 

 

「ポルタ」の挑戦

この厳しい時期を乗り越えるため、「ポルタ」は、増床リニューアルから12年後の2009(平成21)年以降、ヤングファッションやハイセンスなキャリア向けファッションの充実、京土産とデイリーのゾーンの明確化等様々な視点から、2012(平成24)年、2014(平成26)年とリニューアルを繰り返し続けたのです。


「モノ消費からコト消費へ」と言われて久しいですが、従来は、「お洒落な服を買う!」や「美味しいものを食べる!」という「モノ」を「買う」や「食べる」ことが目的となっていました。

しかし、「お洒落な服を着て、何処に出かけるか?」や「美味しいものを食べてどんな楽しい時間を過ごすか?」という体験型コト消費に変化していることに視点を置き、例えば、お客様の肌の色に最もよく似合う洋服の色をお勧めできるパーソナルカラーのアドバイザーが接客するなどそれぞれのショップ毎に単にお客様に「売る!」のではなく、お客様の「ライフスタイルに感動を提供」できる接客に努めることの徹底を図ったのです。

この接客は、現在のECやネット販売が急速に成長する中でも、リアル店舗の持ち味として大変重要な位置を占めていると考えています。

「ポルタ」は、リニューアル策の効果により、元気を取り戻し始めました。

地下街に四季を!

「地球温暖化」による急激な気候の変化で、日本の魅力の一つでもあります春・夏・秋・冬の四季を感じることが出来なくなり、5月から10月まで1年間の半分をTシャツで過ごせるようになりました。シーズンによってアイテムや素材の商品計画に取り組むファッション業界は、「日本の長い夏」の時代に直面し、加えて、ユニクロの世界への躍進も相まって、厳しさを増したのです。


最近、外国人観光客が増えたこともありますが、「ポルタ」を半袖やTシャツ姿で歩いている人が、開業当時と比べると本当に多いなぁと感じます。

「ポルタ」では、お客様に地下街で京都の四季の移ろいを味わって頂くことが、ファッションの季節感にも繋がると考え、館内の様々な場所に生花の寄せ植えポットを飾り付けました。

京都駅ビルが開業20周年、京都駅が誕生して140周年の記念すべき年、2017(平成29)年のことでした。

そして、その年の秋から冬にかけて、中央広場の「ポルタプラザ」において、プラントハンターとして世界的に活躍されている西畠清順氏のプロデュースにより、京都の伝統的な北山杉20本を使った庭園「そらつなぎの庭」を展示しました。

「そらつなぎ」…実は、「ポルタプラザ」のドーム型の大屋根がオープンするのです。京都で生まれて育って60数年の私が、初めて知る光景。思わずスマホを片手に動画を取りました。

そこから見える京都タワーの美しさは、京都に帰って来てホッとした気持ちで観る京都タワーとは、一味違う迫力を感じるのです。大屋根のオープンは、小さなお子さんから高齢の方々まで、皆さんが口を開けて見上げながら、スマホ片手に楽しんで頂いています。
 

「ポルタ」は売上げ全国SC上位1%の超優等生!

「えっ!そうなんですか?」と驚かれることもありますが、これは事実です。ショッピングセンター(SC)の生産性を表す数値に一坪(3.3㎡)当たりの月間売上高を示す「坪効率」という指標がありますが、全国で三千数百施設あるSCの中で、現在「ポルタ」は、概ね30位の位置、上位1%に入る売上げを誇るSCであります。

 店舗面積が1万㎡というコンパクトな規模のSCですので、大都市の地下街と単純な比較にはなりませんが、毎日の売上げが平均して4~5千万円程度ありますので、かなり頑張っている地下街でございます。


 「でも何故?」って質問があるかも知れませんが、これは、やはり京都には、文化庁が移転する魅力、我国の精神文化の拠点である京都の玄関口の地下街という立地条件であります。

そして、高齢化が進みつつも「大学のまち京都」は、人口の10分の1が大学生…活気があるまちです。

もちろん、観光客五千万人の達成やインバウンドの効果などもありますが、各ショップとも選りすぐられたスタッフが、訪れて頂く多くのお客様に感動を提供できるよう日々研鑽を積んでおり、その成果でございます。

 それだけに地域・社会への貢献やお客様に微笑んで頂ける環境整備なども重要なテーマになって参ります。

次回は、その環境整備について「ポルタのトイレのお話」から入って「ポルタ」の施設紹介をさせていただきたいと思います。ご期待ください。


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この記事を書いたKLKライター

京都ステーションセンター株式会社 代表取締役専務
水田 雅博

 
1977年7月 京都市教育委員会 採用
1996年から市長秘書、伏見区長、交通政策監、公営企業管理者上下水道局長を4年毎(市長選挙毎)に異動し、
2016年3月末…62歳で退任。
2016年6月から、京都ステーションセンター株式会社 代表取締役専務
現在(前期高齢者…66歳)に至る!

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1977年7月 京都市教育委員会 採用
1996年から市長秘書、伏見区長、交通政策監、公営企業管理者上下水道局長を4年毎(市長選挙毎)に異動し、
2016年3月末…62歳で退任。
2016年6月から、京都ステーションセンター株式会社 代表取締役専務
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