歌人、西行が詠んだせつない恋ものがたり

願はくは 花のしたにて 春死なん その如月の 望月の頃

松尾芭蕉が崇拝した歌人・西行法師が詠んだ和歌です。京都・洛西に「勝持寺(しょうじじ)」というお寺があります。100本もの桜で彩られた、別名「花の寺」としても知られています。なかでも有名なのが西行みずから植えたと伝えられている西行桜。彼は桜をこよなく愛したそうですが、そこには歌にも込められた、せつない恋物語がありました。

※本稿は西行の生涯および作品、また待賢門院璋子について諸説フンプンある中の1つであることをご了承願います。

恋バナ登場人物の紹介

西行法師(さいぎょうほうし)

平安時代末期~鎌倉時代にかけて活躍した武士であり僧侶であり、そして後に百人一首にも名を連ねた歌人です。仏門に入り「西行」と名乗る前は、佐藤義清(のりきよ)というフツーに隣の家にでもいそうな名前の武士で、18歳のときに「北面の武士」といって天皇家のボディガードのような役職に就きました。物語はここから始まります。

待賢門院璋子(たいけんもんいん しょうこ/たまこ)

藤原氏一族の娘で、後に鳥羽天皇の中宮(皇后)となります。名家の生まれとあって璋子は幼少より自由奔放、てゆうかワガママに育てられました。この時代の宮中(ざっくりいえば皇居の中)は比較的「自由恋愛OK!」みたいな空気があったようで、早熟だった璋子は若いころから何かと艶聞の絶えない女性だったそうです。ちなみに「艶聞」とは、品よくいえば色っぽいウワサ、ありていにいえばスキャンダルってことです。

愛があれば年の差なんて…

皇后と武士の身分を超えた恋。しかも平安時代の、特に下級武士は限りなく「反社会的勢力の面々」に近い存在として見られていました。いくら自由恋愛OKといっても、あり得ないカップルです。しかし、北面の武士つまりボディガードになった西行(佐藤義清)は御所に出入りする身となり、そこで待賢門院璋子と出会うことになります。当時の彼女は30代半ばで、現代の感覚でいえばアラフィフ近くに相当するかと。しかしこの熟女、フェロモンが十二単をまとったようなムンムン系だったのです。品のない言い方ですね、「高貴な色香が漂っていた」ということにしましょう。今でいえば前者が藤原紀香、後者が篠原涼子といったところでしょうか。どちらをイメージするかは皆さんの想像力にお任せしたいと思います。

とにかくこの母子といってもよいくらいの17歳年上の女性である璋子に西行は一目惚れし、気も狂わんばかりの恋に落ちます。いわゆる熟女フェチだったのかもしれません。現在でも禁断の恋、背徳の愛ほど燃え上がるといいますから、もはや誰にも止められないラブストーリーに突入します。で、西行はどうしたか。ラブレターを送り続けるんですね。それもロマンてんこ盛りの和歌にして。

禁断の恋に落ちて

いっぽうの璋子はどうしたか。次々と送られてくるラブソングに胸キュン(古っ!)したのか、その一途さに心打たれたのか、西行を受け入れ一夜の契りを結んでしまうのであります。「一夜の契りってナニ?」という無粋な質問をされた方のために言い方を変えると、俗にいう「越えてはならない一線」を越えてしまったわけです。なんだかバブルちょっと前に流行った金妻シリーズみたいですね。しかし、璋子は罪悪感からか、以後は西行との関係を断ってしまいます。一説には「璋子が西行に飽きてポイした」との風聞もありますが…。その後も西行はラブソングを送るものの、璋子からの返信に書かれた「あこぎ」という3文字に絶望します。「あこぎ」を現代語訳すると「ウザっ!」です。なんにしても西行は失恋してしまったわけです。

桜に託した璋子への想い

誰にでもある失恋。皆さんはどうやって乗り越えましたか。昭和のネタで、髪を切ってきた女性に「失恋したの?」なんてのがありましたが、西行はそれの男子版をやります。なんといきなり出家してしまうのです。出家、つまり仏門に入ることで璋子への想いを断ち切ろうとしたのだと思います。とはいえ、そうカンタンに忘れられるわけもなく、煩悩と向きあう日々を過ごします。そうして自分の弱さを知った西行は心のあるがままに、叶わぬ恋の悲しさ寂しさを歌にしました。たとえばこうです。

嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

<現代語訳>
月が私を悲しませようとでもしているのだろうか。
そう思いたくなるほど、涙が流れ落ちてしまうのだ。

失恋を引きずってます感アリアリの心を美しく描写しています。もともとラブレター攻勢で璋子をオトシた西行ですから才能があったのでしょう。つぎつぎと優れた歌を詠みます。西行にとって、歌を作ることは仏像を作るに等しいことであり、歌によって悟りを得ようとしたのでしょう。春になると桜の花に璋子への想いを託すようになり、いつしか花鳥風月を愛でる歌が増えていきました。きっと桜がもつ儚さ(はかなさ)を、璋子との短い恋に重ねていたのでしょうね。そうして歳月が流れ、西行62歳のときに詠んだ歌が冒頭に記したものです。

関連するキーワード

_blank _blank

アクセスランキング

人気のある記事ランキング