「都名所図会」より

「都名所図会」より

さてさて京都人度チェックの第2弾です。
今はコロナでどこも行けへん状況ですが、この春、京都でお子さんが12才にならはったお家は気になることがあります。そう、「十三参り」です。

子どもが数えの12才になったとき、京都では十三参りをします。行くところは決まっていて、嵐山の法輪寺というお寺。今はだいぶ緩(ゆる)なってきて、有名なお寺や神社にお参りする方も多いと聞きますが、やっぱり江戸時代にはすでに行われてたと言われる法輪寺さんが別格やと思いますね。

お参りは今がちょうど時期で、春は3月13日〜5月13日となっています。ご本尊の虚空蔵菩薩さんは13日が縁日、それで虚空蔵さんの一番大きなお参りの日は旧暦の3月13日となっていました。この日は今でいうたら4月半ばあたりで、その前後1カ月ずつがお参りの時期ですね。最近は秋の十三参りていうて、10、11月にも行ってもよいそうです。

すみません、京都人度チェック、もうちょっと後に出しますね。十三参りをご存じない方もやはると思うので、先に説明をばさせていただきます。

先ほど「江戸時代には行われてた」と書きましたが、由緒としてはかなり昔から、具体的には平安時代の初め(862年)に初めてやらはった、となっています。だれの十三参りやったかというと、清和天皇という方。ほら、源氏の系統を説明するときに「清和源氏」「宇多源氏」とか言いますが、その「清和」の名前の主さんです。この方の数えの13才のときに、法輪寺で成人の法要をしやはったのやそうです。昔は12~16才が元服の年、今の十三参りでも、12才ていうたら子どもらしさが抜けてくる年ごろですしねぇ。

さて、十三参りに行って、お子達は何をするかというと、この年まで無事で育ったことを感謝するとともに、虚空蔵菩薩さんに智恵をいただきに行くわけです。まず、自分の好きな一文字を書きます。

四角の中に本人が筆で一文字書いて奉納します。

四角の中に本人が筆で一文字書いて奉納します。

一文字写経として奉納して、本堂でご祈祷してもろたら、一人ずつお札さんやらお守りやらをいただきます。これは一生に1回しかもらえへんし大事なものです。お守り、私も今でも持ってますよ!

いただけるものはかなり多いです。

いただけるものはかなり多いです。

京都の人は虚空蔵菩薩さんのことを親しみをもって「こくぞうさん」て呼びますが、この仏さんは智恵を司る仏さんです。ご利益は絶大やそうですよ。

有名なところでは、弘法大師さんが室戸岬に籠ってこの仏さんの秘法、「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を行わはりました。こくぞうさんの真言「のうぼうあきゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわか」を100日で100万回唱えたら、ものすご記憶力が良くなるという修行です。弘法大師さん、唱えたはったら明星が口に飛び込んだんやそうですよ!ほんまお大師さんはスーパーマンやなぁと思いますが、これ実際に唱えるとなると大変ですよ。100日で100万回て、1日に1万回ていうことですねぇ。1時間に400回以上唱える計算。1日中食事も摂らず眠ることもせず唱えないと達成しない数。これ、無理ですわ!

今はあるのか知りませんが、私が十三参りに行った頃は、この「虚空蔵求聞持法」の行い方を書いた紙がお札さんと一緒に入ってました。ほんで、12才の私は、無謀にもいっぺんやってみよかいなと思たわけです。お仏壇の前に座ってブツブツやり出したんですが、おんなじ言葉を繰り返すってほんましんどかった。喉は渇くし正座の足は痛い。親はこの子何やってんのかいなと心配するし。はい、結局30分ももちませんでした。それにしてもやめるの早すぎという意見もありますが、お大師さんの偉大さを子どもながら体得できたのは良かったかもしれません。

さて、ここでようやく京都人度チェックです。

京都人度チェック②

 十三参りの後、やったらあかんことは何でしょう?

もったいを付けたわりには簡単なチェックですが、これはもう調べる必要もないほど有名ですね。わかりましたか?

答えは、「おまいりが済んだら、渡月橋を渡り終わるまで振り返ったらあかん」ということ。

振り返ったらせっかくもろた知恵を返してしまうことになると。これ、みなさん、ようご存じやと思います。そやけど、なんでお寺出たところまでと違(ちご)て渡月橋までなんやろ、て思いませんか?私の疑問はここでした。

参道は長い石段。ご祈祷が終わって帰るときはたいがいこの石段を降りて帰ります。振り返ったらあかん、振り返ったらあかん、と頭の中で思いながら門を出たとき、もうそれでええような気になりますが、まだあかんていうことですよね。振り返ったらあかんのは渡月橋を渡りきるまで、そして門から橋まではかなりある。

なんで渡月橋までなのか?法輪寺さんのご見解を先に書くと

「渡月橋までは法輪寺の境内地であったので、渡月橋を渡り切ることでお寺を出ることになる」

ということでした。
たしかにお寺さんがそう言わはるのやったらそうなんやろうと思うのですが、参道から橋まではやっぱり遠い。境内がほんまにここまでなんやと納得できる理由が欲しいと思い調べてみました。

そしたら、まずわかったのは、渡月橋は法輪寺とは深い深い縁があったということ。

葛井(かづのい)寺と言われていた法輪寺を中興しやはったのは、弘法大師さんの弟子である道昌さんですが、この方が1200年ほど前に大堰川(桂川)の修築をしたときに橋を架けやはったので、そのころは法輪寺橋と呼ばれていたのやそうです。のちに鎌倉時代、亀山上皇が、橋の上の月を見て「くまなき月の渡るに似る」て言わはったことで渡月橋と名前を変えたのは有名な話ですね。また、十三参りが盛んやった江戸時代、大堰川は天龍寺の寺領でしたが、橋を架けていたのは天龍寺ではなく法輪寺やったんです。十三参りに来られる方のために橋を作ったはったんでしょうね。

そこで、橋につながるところはないかと探してみたら、裏参道を見つけました。先ほど話した石段の道は表参道で、たいがいはみなさんここを上り下りしたはりますが、裏参道はここにありました。

<google mapストリートビューより>

<google mapストリートビューより>

裏参道の入口はどこにあるかというと、渡月橋を法輪寺に向かって渡り終わった目の前にあるのです。そして、ここから石段を上がると3,4分で裏門に着きます。

裏参道は地図でいうと、赤線部分。表参道はオレンジ線ですよ。

航空写真図を見ると、川が結界となり、法輪寺が嵐山の森に囲まれているのがわかります。

裏参道の出入口までが法輪寺やったら、お寺の境内が渡月橋の前まであると言うてもええかもしれません。また、裏参道あたりにはたくさんの墓碑やお祀りしてあるものが点在しています。法輪寺さんの見解の中では「境内地であった」と過去形で語られているので、今は境内ではないのかもしれないですが、「気持ちの上での」境内がここまであると実感することができたのでした。

余談ですが、この渡月橋、以前は150mほど上流に架かっていました。保津川下りの着船場になってるあたりですかね。法輪寺の境内から渡れる橋やったでしょうが、1300年ほど前に創建されたという櫟谷宗像神社も前にあって遠回りな感じです。今の場所に初めて架けやはったんは1606年、角倉了以さんで、それ以降は橋が流されてもここに架けるようになったようです。そのことを考えると、たとえそれ以前から十三参りがあったとしても、この「振り返ったらあかん」ていう風習は、橋が今の場所になってからのほうがわかりやすいし、江戸時代になってからとちゃうやろか、て私は考えてます。みなさんどう思わはりますか?

また、この言い習わしは、法輪寺から渡月橋を渡って帰る人だけのものです。おそらく昔の京都の街中に住んでた人が言い始めたのとちゃうかなと、そういうふうにも思ってます。

「帰り道は振り返ったらあかん」

十三参りは、子どもにとっては結構緊張するイベントですが、12,3才ていうたらまだまだ子ども。うっかり振り返ってしまうていうこともありますよね。

うちの母も小さい頃おてんばで、十三参りのときも跳ね回って振り返ってしもたらしいんです。私にとっては京都の習わしをいっぱい教えてくれた賢い母でしたが、それを一生言うて後悔してましたね。「知恵を返してしもた」て。私も何回聞かされたことか…

前出の法輪寺さんのご見解の続きでは、「大人になって初めて禁止事項を守るということで大人としての自覚を促す云々」の話もありました。そしたら、振り返ったら「禁止事項を破った」ことになりますね。

たしかにうちの母も禁止事項を破ってしまいました。でも、考えてみると、そうやって一生思い続けることで自分にとっての「戒め」になってたのと違いますやろか。それも一つの「大人としての自覚を促す」手段なのやと。

それに、まぁ言うたらこれはあくまで「民間の風習」です。もちろん、いただいた知恵をしっかりと持って帰る、ていう気持ちは大切にしましょう。でも、万が一振り返ったとしても虚空蔵さんにもお慈悲はあります。きっと「かまへんかまへん、持ってお帰り~」て言うてくれやはると信じてます。

そういうことにしといてくださいね、こくぞうさん!

注:今年は新型コロナウイルスのためお参りは非常に少ないそうですが、もしどうしてもという方がおられたら法輪寺さんへお尋ねください。最近は満年齢でも普通に行かはりますし、こんなときですから1年遅れても大丈夫ではないでしょうか。秋10~11月もあります。一年中受付もされているので、柔軟に対応されるのがよろしいかと思います。

参考文献:
谷山勇太(2007)「近世の嵐山と橋--天龍寺の寺務日誌を素材として」,『社会科学』通号79, p.37-67,同志社大学人文科学研究所.
野田泰三・肥留川嘉子・朝比奈英夫(2013-12)「角倉一族の歴史と文化的活動について」,『京都光華女子大学研究紀要』(51),p.156-142
若井勲夫(2009-03)「童謡・わらべ歌新釈(中)」,『京都産業大学論集 人文科学系列』
(40),p.256-241,京都産業大学
「都名所図会」(1786)天明6年再板本,”平安京都都名所図会データベース”


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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
お申込みは「鳴橋庵」HPまで。

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