令和元年は上京区と下京区が誕生して140周年の一年でした。Kyoto Love.Kyoto編集部ではこのメモリアルイヤーに上京区長・下京区長による対談をはじめ、両区を深く知るための特集記事を半年にわたって掲載してまいりました。その特集にあたって編集部が投げかけたテーマが「上京人はお公家はん?下京人は商人気質なん?」でした。
区長対談の記事▶︎上京人は公家?下京人は商人?【ヒミツの区民ショー】偏見アリアリの色メガネをかけて下京商人を見ると、パチパチとそろばんを弾きながら、お約束のセリフ『もーかりまっか、ボチボチでんな~』と言ってニヤリとするイメージでしょうか。
いっぽうの上京人は、麻呂顏で口元を扇子で隠しながら「おじゃるでごじゃる」などと言ってる感じでしょうか。口元が見えないので腹黒いイメージもありますね。
この問いかけへの地元の皆さんの答えはいかがでしょうか。「そう言われれば、そんなとこあるかも」「いやいや何を根拠にそんなタワゴトを!」などいろいろな声が聞こえそうですね。個性豊かな両区ですから、そんなカンタンに線引きはできないとは思いつつも、編集部として結論を出さねばなりません。実際のとこ、上京人のお公家はん気質、下京人のアキンド気質はホントウなのでしょうか。
上京人・下京人のホンネ
区長対談はオフィシャルトーク。区を代表する公人としては、なかなか言えないこともあろうかと思います。「それ言っちゃおしめーよ」みたいなね。
そこで、もう少し上京人・下京人のホンネも聞いてみたいと思い、編集部アングラ企画として、実は昨秋にもうひとつの区民対談を実施していました。とある居酒屋さんに匿名希望の上京区民(30代女性)と下京区民(50代男性)をお招きし、お酒をたしなみながらの座談会としました。ご両名とも良識ある方でしたので、節度を保ちながらも心の声を聞かせていただくことができました。そのほろ酔いトークを一部抜粋してみました。
まずは上京人のお公家はん論争から。
下京匿名紳士 ※以下「下京」
「最近は御所南や御所西っていう『御所○』が注目されていて、高級住宅街に住むハイソな人が多いっていうイメージを持ってる人が多いと思いますよ」
上京匿名淑女 ※以下「上京」
「う~ん、どうなんでしょ。私は高級住宅街っていうと、下鴨や北山のほうかなって思うんですよね。ただ今出川通りから北の「御所北」は古くから住んでいる人が多いので、ちょっとイヤらしい言い方になりますが“上流意識”っていうのかな、そんな感じがあるのかもしれませんね」
下京
「あ、それわかる気がします。公家かどうかはともかく、上京の人って妙に“すました”ところがあるように思いますね。良いと悪いとかじゃなくって、それが上京らしさかな」
上京匿名
「私たちの親世代はそうかもしれないですね。でも、上京ってそれだけじゃないですよ。西陣の人は気さくな人が多いし、むしろ商人さんって感じがしますよ」
下京
「外から見ると上京区は大きく2つに分かれてるように見えます。1つはおもに御所周辺のエリア。ざっくりいえば堀川通から東かな。で、もうひとつが堀川から西のいわゆる西陣エリアですね。街の雰囲気もずいぶん違う気がします。」
上京
「そうそう、私が言いたかったのはそれです!上京って古い歴史があるので少し固いところがある一方で、ホンワカとした人づきあいができるところもあったり、色いろな面があって私はそこが好きなんですよね」
つづいて下京人は商人気質?について。
下京
「アキンドって言われるとなんか悪代官と悪巧みしているエチゴヤさんみたいでイメージよくないよね(笑)。
上京
「『オヌシも悪よのう…』『お代官さまにはかないませんよ』なんて会話は時代劇だけですか?(笑)」
下京
「でも、京都の商業を支えているのは下京区と中京区やという自負はありますよ。京都駅前もおかげさんで、私らが子どもの頃と比べてずいぶん賑やかになりました」
上京
「京都駅と四条河原町という二大繁華街はどっちも下京区ですもんね。上京区は遊びスポットがないのが残念」
下京
「あと、なんとゆうても鉾町ですね。祇園祭は町衆が作ってきた歴史があるからね」
上京
「そうそう、やっぱり下京といえば祇園祭。私、コンチキチンの音は京都のサウンドロゴだって思います。あの宵山の熱気は上京では絶対に感じられないものですね」
下京
祇園祭については、はっきりとした『プライド』がありますね。大昔に祇園祭の中止を幕府からいわれたときも「神事これ無くとも山鉾渡したし」といって強行したくらい、御上の言いなりにはならへんていう反骨心、つまり自立精神が下京区にはあるんです(※注1)。そこが上京との違いかな。京都が上京のお公家はんだけやったら、それこそ落ちぶれた貴族みたいに寂びれた街になってた思いますわ」
おっと、トークという肴にお酒が進んだのか、だんだん過激な言葉が飛び交いはじめたので、ここらでオフレコに。
町名から読みとる上京区と下京区の町並み。
ご両名とも言葉の端々から自分たちの街への誇り、そして愛を感じました。とはいえ、この裏トークはまさに生の声ではありますが「一個人の感想」でもあります。そこで編集部としては、客観的な別の視点から考えてみることにしました。
「名は体を表す」といいます。人であれ、物であれ、名前には何らかの意味が込められているものです。もちろん町名にも。上京下京それぞれの町名をみれば、その街並みがみえてきます。
上京区から見ていきましょう。
まず堀川通から東は、御所近辺ということもあり「武者小路町」「土御門町」「近衛町」など公家の香り漂う町名が並びます。
いっぽう、堀川通から西に入ると、「如水町」(黒田官兵衛/「如水」は出家後の名)、「弾正町」(上杉弾正景勝/「弾正」は官職名)、「加賀屋町」(前田利家/ご存知「加賀100万石」の祖)など、そうそうたる戦国武将の名前が連なります。これは関白・豊臣秀吉が造営した聚楽第に武家屋敷が並んだことの名残りです。
また、エリアを問わず、相国寺門前町、鳥居前町(北野天満宮)、上御霊前町(上御料神社)など寺社にちなんだ町名が点在しています。
このように上京区の町名からは、公家・武家・寺社の街並みがイメージされます。てゆうか、イメージ通りですね。
対する下京区はどうでしょうか。
こちらは大別すると商工・仏具・山鉾の3つがキーワードになります。
「材木町」「鍛冶屋街」「八百屋町」etc…。商工系の名称に職人のこだわりを感じさせます。また「銭屋町」など、いかにもとうなずける直球ネームも。
本願寺のお膝元だけあって、その周辺には「仏具屋町」「数珠屋町」「布屋町」と、仏壇仏具を思わせる町名が散見しています。
祇園祭山鉾の名称がそのまま町名になるパターンとして「長刀鉾町」「郭巨山町」「月鉾町」などが挙げられます。観光客にとっては、わかりやすくてありがたいですね。
上京下京の歴史と今
このように、くっきりと対をなす上京区と下京区の町名。「名は体を表す」のことば通り、そこには両区の歴史と成りたちが物語られています。それは、そのまま現在の両区の街並みにも反映されていて、たとえば京都の主要百貨店は下京区に集結し、京都経済センターも下京区に移転しました。一方で上京区には御所が鎮座し、茶道三千家が軒を並べ、文化庁が誘致されました。やはり上京区には公家文化の香りがただよい、下京区は商人や町衆の活気と熱気に包まれています。
もちろん、上京区にも西陣織をはじめとした商工の街としての顔があり、下京区にも雅やかな一面があります。両区ともに公家・商人と単純に線引きできるものではありません。それぞれの歴史を受けつぎながらも、新たなものを取りいれ発展させてきた市民一人ひとりの力があってこその今日があります。
「上京人はお公家はん、下京人は商人気質なの?」の結論
人と同じで街にも個性があります。公家文化だけでは、街の成長が望めません。かといって商売は単にモノとカネだけで成りたつものでもありません。特に京都は観光都市であり、その土台を支えているのが公家を代表とする文化にあるところは、みなさんご承知のことと思います。持続的に街が発展するには経済と文化がバランスよく両立することが大切です。つまり、上京人と下京人の2つの個性がそろってはじめて「京都らしさ」が紡ぎだされるわけです。
それでは編集部の結論です。上京にはお公家はん文化が、下京には商人気質が確かにありました。それは決して揶揄されるものではなく、むしろこの2つの文化があるからこそ、京都を京都たらしめているのです。市民のみなさん、自分たちの街に誇りを持つと同時にお互いの街をリスペクトしてください。それが私たちの街「京の都」をよりよい都市にする第一歩です。
※本記事は区制140周年にさいし、上京下京の両区に焦点をあてたゆえの視点であり、京都を京都たらしめているのは、11区それぞれの個性があってこそであることは申すまでもありません。
なお、行政区企画は今後も継続しておこない、コロナウイルスによる自粛モードが解けたころ、北区特集を予定しております。どうぞお楽しみに!
(編集部:吉川哲史)